鷹野史寿の出身高校

鷹野史寿 プロ野球選手

鷹野史寿卒業高校
浦和学院高校 偏差値 埼玉県高校偏差値ランキング
プロ野球選手ランキング
1123位 / 4783人中 プロ野球選手別偏差値ランキング
性別
男性
生年月日
1973年8月10日生まれ

鷹野 史寿(たかの ふみとし、1973年8月10日 - )は、東京都出身の元プロ野球選手(外野手)。

浦和学院高校時代は清水隆行と同学年であった。高校卒業後は、東都の国士舘大学に進み、卒業後は日産自動車に入団。持ち前のパンチ力で全日本メンバーに選ばれ、シドニーオリンピックの予選を兼ねたアジア選手権ではプロアマ混成チームながら外野の一角を担った。また、プロがいない全日本では4番を打つこともあった。

1999年のドラフト会議で大阪近鉄バファローズが6位指名で交渉権を獲得し同球団に入団。ルーキーイヤーの2000年から86試合に出場し、準レギュラーとして活躍。規定打席に届かなかったが、シーズン最多死球を記録している。また8月22日の対千葉ロッテマリーンズ戦の第2打席から、8月26日の対埼玉西武ライオンズ戦の第2打席まで、史上5人目の13打席連続出塁を記録した 。中村紀洋がシドニーオリンピックに出場した際は、中村の抜けた3番を務めた。

チームがリーグ優勝した2001年は、プロ2年目にして打率.300・長打率.500・OPS0.900のラインをクリアするなど、いてまえ打線の一角としてチームに貢献した。翌2002年は、2年連続.300以上となる自己ベストの打率.317をマーク。6本塁打と20打点を記録して、これらは2001年と全く同じ数値だった。2003年は一転して不振に陥り、打撃三部門の成績はいずれもプロ入り以来最低の数字に終わった。ただ、7月14日の対日本ハムファイターズ戦で、一軍昇格後即スタメンで、第1打席から3打席連続本塁打を放ち、第4打席でもフェンス直撃のツーベースを放ち、試合後のお立ち台で涙を流した。2004年には復調し、.300には届かなかったものの打率.293・5本塁打・24打点という打撃成績をマークした。一方、三振 (45) や併殺打 (8) でそれまでの自己ワースト記録を更新してしまった。

2004年の球界再編により行われた選手分配ドラフトを経て、東北楽天ゴールデンイーグルスに移籍した。2005年は自己最多の90試合に出場し、自己最多の7本塁打を放ったものの、打率は.217と振るわなかった。2006年、春に手術した左膝のリハビリに1シーズンを費やした。2007年は打率.203、1本塁打に終わった。なお、この本塁打は、3月29日の対福岡ソフトバンクホークス戦で放ったものだが、プロ初登板初先発を務めたものの2回途中6失点でKOされた田中将大の黒星を消す同点本塁打だった。

2008年は再び一軍出場はなく、二軍でも147打数35安打の打率.238、3本塁打と不振に終わり、10月に球団から戦力外通告を受けた。現役続行を希望し、11月の12球団合同トライアウトに参加するも、他球団から声はかからず、そのまま現役を引退。球団職員としてチームに留まり、「楽天イーグルス ベースボール・スクール」のジュニアコーチとして子供達に野球を教えることになった。

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