鷲谷修也の出身高校

鷲谷修也 プロ野球選手

鷲谷修也卒業高校
駒澤大学附属苫小牧高校 偏差値 北海道高校偏差値ランキング
プロ野球選手ランキング
3656位 / 4783人中 プロ野球選手別偏差値ランキング
性別
男性
生年月日
1988年10月3日生まれ

鷲谷 修也(わしや なおや、1988年10月3日 - )は、北海道登別市出身の元プロ野球選手(外野手)。

小学3年生の時に野球を始める。登別市立西陵中時代はリトルシニアチームでプレーし、3年時に道大会で準優勝。複数の強豪校から勧誘を受けたが、見学した時の雰囲気が気に入ったという駒大苫小牧に特待生として入学。同期に田中将大(現:ヤンキース)がいた。

1年夏までは「落ちこぼれ組」だったが、香田誉士史監督のアドバイスで打撃が向上し秋の明治神宮野球大会で初めてベンチ入りする。2005年の第87回全国高等学校野球選手権大会に出場、優勝メンバーとなる。翌2006年春には不振となり一時ベンチ入りメンバーからも外れたが、夏の南北海道大会では2打席連続本塁打、第88回全国高等学校野球選手権大会にはレギュラーとして出場し3回戦の青森山田戦でも本塁打を放つ。早稲田実業と対戦した決勝と再試合では斎藤佑樹(現:日本ハム)に対し6打数0安打3三振。再試合の途中で代打を送られたこともあって自信をなくし、卒業後は野球から離れることにした。

スポーツトレーナーの勉強をするつもりで筑波大学をスポーツ推薦で受験するが不合格となり、半年間英語を勉強した後アメリカ・カリフォルニア州のデザート短大の一般入試を受けて合格。学歴を得るための入学だったが、評価の足しになればと送った高校時代のプレーのビデオが関係者の興味を引き、野球部へ入ることになる。

同州南部の短大などが集まるリーグで4番・右翼手として4割近い打率を残したことで複数のメジャー球団から調査書が送られてくるようになり、2008年のドラフト会議でワシントン・ナショナルズより42巡目(全体で1261番目)で指名を受ける。「気持ちの準備ができていない」として指名を辞退したものの、この指名によって野球に対し真剣に取り組む気持ちになったという。

2年目も打率3割をキープし盗塁数も増えるなど活躍。2009年6月のドラフト会議で再びナショナルズから14巡目(全体で412番目)指名され、当初は4年制大学への編入を希望したが指名を許諾した。その理由について「オフに北海道に戻って多くの人が応援してくれていることを知りチャレンジを決めた」と語っている。日本人選手がドラフト指名を経て選手契約を結ぶのは、2002年にコロラド・ロッキーズが坂本充(当時アリゾナ・ウェスタン短大所属)を指名したのに続き2例目である。

短大は首席で卒業し、卒業式ではスピーチを行った。

2009年、ルーキークラスのガルフコーストリーグ・ナショナルズで40試合に出場し打率.246、14打点、12盗塁、左翼手で18試合、右翼手で12試合、中堅手で6試合に出場しチームのリーグ優勝に貢献した。2010年1月にはピッツバーグ・パイレーツに所属する岩村明憲の合同自主トレーニングに参加しハイA(1A)でのプレーを目指した。

春のキャンプでは有望選手のグループに入れなかったものの、ウエイトトレーニングなどの効果が表れ始めていた同年6月中旬、ルーキーリーグ開幕を前に同チームから解雇され、日本に帰国した。その後社会人野球チームから誘いがあったものの元プロであることから断念。駒大苫小牧高監督だった香田のつてでベースボール・チャレンジ・リーグの石川ミリオンスターズを紹介され、2010年7月15日に入団が発表された。守備が安定せず指名打者での出場が増え、打率も当初は4割を超えていたものの肩の痛みもあって最終的に3割まで低下した。

2011年5月4日、本人の希望により石川を退団した。5月6日、右肩痛などの影響もあり引退を表明。12月に上智大学外国語学部への編入試験を受験し合格、2012年4月に入学した。入学後は陸上短距離に転身している。当初100mのタイムは11秒44だったが、同年7月に追い風参考記録ながら11秒18をマークしている。

実用英語技能検定1級合格、TOEIC公開テスト945点を取得。2014年度、外資系投資銀行に就職する。

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