高木由一の出身高校

高木由一 プロ野球選手

高木由一卒業高校
麻布大学附属渕野辺高校 偏差値 神奈川県高校偏差値ランキング
プロ野球選手ランキング
2760位 / 4783人中 プロ野球選手別偏差値ランキング
性別
男性
生年月日
1949年3月13日生まれ

高木 由一(たかぎ よしかず、1949年3月13日 - )は、神奈川県出身の元プロ野球選手(外野手)、監督、野球指導者。

1976年までは登録名を高木 好一、1982年までは高木 嘉一としていた(読みはいずれも同じ)。現役時代の愛称は「とっつぁん」。プロ野球界では珍しい地方公務員出身である。

高校時代は2年時より野球部に所属。高校は部員が10人ほどしかおらず監督もいないチームであった。 相模原市役所を経て、入団テストを通じて1971年のドラフト外で大洋ホエールズに入団。当人によれば入団テスト時は偶然調子が良かっただけで、入団に踏み切るまで1ヵ月ほど悩んだという。現役時代は中距離打者として活躍。当初は代打での起用が多かった。1973年のオフに戦力外になりかかったが、当時在籍していたクリート・ボイヤーが球団に掛け合い、残留する事になる。また、ボイヤーは高木に眼をかけ、退団時に自らの背番号を譲った。

1977年、外野手のレギュラーだった江尻亮が頭部に死球を受け戦線離脱したのを機にレギュラーを奪うと、以降はチームの中核となり、松原誠放出後は4番打者として活躍。現役晩年は代打の切り札としての起用が多かった。1987年、現役引退。

1988年 - 2009年まで大洋・横浜を通じて22年間コーチを歴任。1996年オフにつなぐ野球を提言し、1998年の横浜の優勝時には、「マシンガン打線の生みの親」と称された。入団から38年間一度も球団や現場から離れることなく在籍し、二軍打撃コーチ(1988年 - 1992年)・一軍打撃コーチ(1993年 - 2001年、2003年)・二軍総合コーチ(2002年)・二軍育成コーチ(2004年 - 2007年)・二軍チーフコーチ(2008年)・二軍チーフ兼打撃コーチ(2009年)を歴任。

一軍打撃コーチ時代、1997年 - 1998年は鈴木尚典、1999年はロバート・ローズ、2000年は金城龍彦と4年連続で球団から首位打者を輩出した。

2009年は二軍の湘南シーレックスチーフ兼打撃コーチを務めていたが、一軍監督の大矢明彦が5月18日限りで休養となり、シーレックス監督の田代富雄が一軍監督代行に昇格したことに伴い、シーレックス監督代行に就任しシーズン終了後まで務めた。

2010年からは球団フロントに異動し、ベイスターズに所属しながら友好球団である中国野球リーグ・天津ライオンズ監督(総教練)として派遣され、1年間指揮を執った。2011年は8年ぶりに横浜の一軍打撃コーチを務め、2012年は二軍打撃コーチ、2013年からは二軍チーフ打撃コーチを務めている。 2013年10月1日付けで中根仁とともにコーチ契約を結ばないことが通達された。

退団後、JR東日本硬式野球部で臨時打撃コーチを務めている。

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