鈴木尚典の出身高校

鈴木尚典 プロ野球選手

鈴木尚典卒業高校
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プロ野球選手ランキング
2615位 / 4783人中 プロ野球選手別偏差値ランキング
性別
男性
生年月日
1972年4月10日生まれ

鈴木 尚典(すずき たかのり、1972年4月10日 - )は、静岡県浜松市出身の元プロ野球選手(外野手)。 現役時代は横浜で2年連続して首位打者に輝くなど、アベレージヒッターとして活躍した。

浜松市立南陽中(浜松シニア)から横浜高校へ入学。『ドカベン』に憧れ捕手をしていたが、肩を故障したため外野手に転向。守備に難があったが打撃が良かったので、監督の渡辺元は鈴木を使い続けた。入学直後から4番を打ち、二年生時の1989年夏には、第71回全国高等学校野球選手権大会に出場。高校通算39本塁打を記録した長打力が注目された。

1990年のドラフト会議で横浜大洋ホエールズに第4位で指名され入団。

1991年は二軍で7安打、1992年も二軍で9安打でともに本塁打もゼロと伸び悩んでいたが、竹之内雅史の指導により1993年から徐々に打撃が開花。同年シーズンは一年を通じて二軍の4番打者を打ち、打率.280、9本塁打、47打点という結果を残した。

1994年は一軍に定着し、主に代打で出場した。8月9日の対読売ジャイアンツ戦(東京ドーム)で、槙原寛己からプロ入り初本塁打となる代打満塁本塁打を放つ。

1995年はスターティングメンバーでの出場が増え、3番打者を任されることが増えた。7月16日の対巨人戦(横浜スタジアム)で、木田優夫から9回2死一・二塁の場面で逆転サヨナラ3ラン本塁打を放った。

1996年は初めて規定打席に到達し、打率.299を記録するなどさらに成績を向上させた。主砲のグレン・ブラッグスの不調により、4番打者での起用も増えるようになる。

1997年は3番打者に定着し、初のタイトルとなる首位打者を獲得した。また横浜の日本人野手としては1985年の田代富雄以来12年ぶりとなる本塁打20本以上(21本塁打)を記録する。オフには石井琢朗とともに、横浜の生え抜きの野手としては初めての1億円プレイヤーとなる。

憧れの選手だった巨人の吉村禎章にあやかり、1998年からは背番号を7に変更した。同年は最多安打こそ1本差で同僚の石井琢朗が獲得したが、前田智徳、坪井智哉とのタイトル争いに競り勝ち、2年連続となる首位打者を獲得。マシンガン打線の中心選手として活躍し、チーム38年ぶりの優勝に貢献した。西武ライオンズとの日本シリーズでは初戦で先制タイムリー、2戦目に4打数4安打2盗塁を記録するなど、5戦目まで全てでマルチヒットを放つ。最終的には打率.480(通算25打数12安打)、シリーズ新記録の9得点をマークする活躍で日本シリーズ制覇にも貢献、シリーズMVPを獲得した。

なお、同年シーズンの首位打者争いは鈴木の打率が.337、広島東洋カープの前田智徳が.335の状態で残り試合は両チームの直接対決のみとなったが、横浜の監督の権藤博が試合前に「広島が前田を出場させるのなら、鈴木を休ませ、前田を全打席敬遠させる」と発言した。これを聞いた前田が「ファンにみっともないものを見せたくない。敬遠されるくらいなら試合に出ない」と出場を拒否したため、結果的に両選手欠場のまま、鈴木の首位打者獲得となった。

3年連続の首位打者を目指した1999年も好調を保ち、.328の高打率を残すも、首位打者は驚異的な成績をあげた同僚のロバート・ローズが獲得し、打率リーグ3位に終わる。猛打賞20回、年間満塁本塁打3本を記録し、球団新記録となる110得点を残すが、緒方孝市の111得点に及ばずリーグ最多得点はならなかった。しかしながら安打数、打点数などは自己最高記録であった。

2000年は1997年以来の20本塁打を放ち、この年限りで廃止された最多勝利打点の最後の受賞者となった。しかし、前半戦の不調が響き4年連続の打率3割はならなかった。

2001年、前年限りでローズが退団し、新監督の森祇晶から不在だった4番打者に指名された鈴木は、春季キャンプの臨時コーチを務めた落合博満から指導を受ける。「バッティング練習の時からバックスピンを掛けて打ち上げる練習しろ」と指導され、バックネットに向かってバックスピンポップフライの練習をし、飛距離を伸ばす訓練を行った。しかし、本来の打撃フォームからずれていき、打率こそ3割を超えたものの本塁打は6本にとどまるなど、打撃に微妙な狂いを見せ始める。6月24日の巨人戦で、左打者としてはプロ野球史上初の1試合3併殺打を記録。翌2002年は打率3割を切り、さらに成績を落とした。故障もあり出場試合数は100試合未満にとどまった。

2003年、打点こそ57止まりだったものの本来の打撃を取り戻し、153安打、打率.311、19本塁打を記録し復調を果たす。当時球団のオフィシャルリポーターだった長澤百代と結婚し、一女が誕生。

2004年、監督の山下大輔の構想に沿って開幕から攻撃型の2番打者として起用されるも、打順を意識し過ぎたためか再び打撃不振に陥った。レフトのポジションは佐伯貴弘に奪われ、同じく外野手の横浜高校の後輩の多村仁の台頭でその存在感が薄れた。低迷が長期化した鈴木は、この年を境にして出場機会を大きく減らすことになる。

2005年、中日ドラゴンズとの開幕戦、9回裏無死で立浪和義の打球にダイビングキャッチを試みるも後逸して三塁打にしてしまい、チームはこの後アレックス・オチョアにセ・リーグ初の開幕戦サヨナラ満塁本塁打を浴びて敗戦を喫する。その後も拙守や打撃不振が続いたことや、守備力を重視する牛島和彦新監督に堅実な守備力を買われた小池正晃がレフトに定着したため、スタメン出場が激減。打率も.215とレギュラー定着以後自己最低と言える成績に終わった。

再起を期した2006年は、肩の故障などもあり開幕は二軍スタートとなった。しかし二軍では満塁本塁打を放つなど打率.386の好成績を残し、5月11日に一軍に合流。主に代打や指名打者として起用され、特に代打時の打率は.380を記録するも、オフに球団からプロ野球史上野手では2番目の減俸額となる1億3,000万円(59%)ダウンの年俸9,000万円を提示され、契約を結んだ。牛島監督時代の2年間は守備力を重視するチーム方針もあり、代打、もしくは交流戦での指名打者に出場機会がほぼ限定されていた。

本人の希望により、2007年から背番号を入団当初につけていた51に戻し、7番は巨人から移籍した仁志敏久に譲る。また、登録名も「鈴木尚」とした。この年に横浜監督に復帰した大矢明彦は「横浜再建」三本柱のひとつに「鈴木再生」を挙げ、「泥にまみれて一からやり直してもらう」と奮起を促した。多村の退団もあり、2007年は若手との熾烈なレギュラー争いに加わることになった。開幕後の4月こそ黒田博樹から決勝本塁打を放つなど打率3割を打ち活躍を見せるも、5月以降は調子を落とす。6月はノーヒットで終わるなど不振を極め、8月には一旦登録を抹消された。最終的には打率.232、3本塁打に終わり、レギュラー奪取はならなかった。シーズンオフに年俸は、前年から3,500万円(39%)ダウンの5,500万円まで下がり、一時は2億円を超えていた年俸は2年で4分の1になった。

2008年は吉村裕基の外野再転向や、小関竜也、ラリー・ビグビー、大西宏明らの加入もあり、外野のレギュラー競争はさらに激化することとなった。オープン戦で打率.241だったものの何とか開幕一軍入りを果たし、開幕後は左の代打要員として起用されたが、成績は打率.200、打点0と低迷し、5月7日に登録を抹消された。二軍では打率4割を打つなど活躍し、8月17日に怪我で登録抹消をされたビグビーに代わって、左の代打要員として昇格した。昇格後は2本塁打を放ったが、打率は2割半ばで得点圏打率は1割台と低迷した。そして10月6日、球団から戦力外通告を受け、同時に二軍の育成コーチ就任を要請される。鈴木は他球団でプレーをする道を模索するか、現役を引退をしてコーチに就任するのか決断を保留していたが、10月14日に引退決意を発表。10月13日、シーズン最終戦の対東京ヤクルトスワローズ戦(神宮球場)で6回表1アウト走者無しの場面で代打起用され、押本健彦にファーストゴロに打ち取られた打席が結果的に現役最終打席となった。引退を決意した理由について本人は「横浜への愛着が強く、他球団のユニフォームを着てプレーする自分が想像できなかった」と自身のブログなどでコメントしている。10月17日に記者会見を行い、現役引退と二軍育成コーチ就任を正式に発表した。

2009年3月22日、横浜スタジアムでの巨人とのオープン戦で引退試合が行われた。鈴木は3回裏に仁志の代打として現役時代の背番号51のユニフォームを着て登場、セス・グライシンガーからライトへ本塁打を放ち、有終の美を飾った。セレモニーでは高校時代も含めて21年間プレーした横浜への愛着やファンに対する感謝の気持ちを述べ、最後に「今日は一日、選手に戻れて幸せでした。18年間、本当にありがとうございました」と締めくくった。

2009年は湘南シーレックス育成コーチ、2010年は同球団打撃コーチを務めた。

2011年から横浜球団の職員となり、NPO法人ベイスターズ・ベースボールアカデミーでの活動の他、テレビ神奈川で中継される横浜戦(『横浜DeNAベイスターズ熱烈LIVE』)の解説も務めた。

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