野島伸司の出身高校

野島伸司 演出家

野島伸司卒業高校
さいたま市立浦和高校 偏差値 埼玉県高校偏差値ランキング
演出家ランキング
19位 / 61人中 演出家別偏差値ランキング
性別
男性
生年月日
1963年3月4日生まれ
血液型
A型

野島 伸司(のじま しんじ、1963年3月4日 - )は、日本のテレビドラマ、映画の脚本家。血液型A型。近年、詩・作詞、絵本、小説、漫画の分野にも進出している。

新潟県出身。中央大学1年在学中に渡米し、ロサンゼルスに滞在。帰国後中退し、飲食店、肉体労働、テレビ局フロアディレクターなどのアルバイトを経験。22,3歳の頃、青森の製缶工場でまるでロボットのように黙々と作業していた時の反動でアイデンティティーを確立したいと強く思い、帰りがけにたまたま見た雑誌に載っていたシナリオ募集に応募してみようと決意し、ワープロで初めて執筆した。

1987年、脚本を学ぶため、シナリオスクール「東京山手YMCA」の9期研修科へ入学。講師の一人であり、当時第一線で活躍していた脚本家・伴一彦に師事し、『ハートカクテル・ドラマスペシャル』(日本テレビ系)などのプロットを手掛ける。

1988年5月、『時には母のない子のように』で第2回フジテレビヤングシナリオ大賞を受賞し、メジャーデビュー。『君が嘘をついた』(1988年、フジテレビ系)で連続テレビドラマの脚本家デビュー。ドラマは平均視聴率17.3%を記録し、業界で注目を集める。その後、フジテレビの名物ドラマプロデューサー、大多亮と二人三脚で、トレンディドラマの脚本を手がける。

1993年、『高校教師』(TBS系)ではゴールデンタイム枠でありながら男性教師と女子高生の純愛、レイプや近親相姦というショッキングで重いテーマを取り上げ、賛否両論を呼んだ。

1994年、『家なき子』(日本テレビ系)に企画・原案で参加し、「同情するなら金をくれ!」という台詞が流行語となった。

2016年4月開校予定の俳優養成スクール「ポーラスター東京アカデミー」の総合監修に名を連ねる。

デビュー時より山田太一のような社会派テレビドラマを書くことを希望しており、駆け出しの頃は、自身の希望とは異なるコメディやラブストーリーなど、いわゆる「トレンディドラマ」を多数ヒットさせた上で、フジテレビプロデューサーの大多亮に「社会派ドラマをやりたい」と申し入れたが、「(フジテレビの)局風に合わない」と却下されている。その後、『岸辺のアルバム』など山田作品を数多く制作した東京放送(現・TBSテレビ)に売り込みをかけ、その後長年にわたってコンビを組むことになるドラマプロデューサー伊藤一尋にアプローチ。ふぞろいシリーズなどのヒット作を生んだ金10枠を希望。野島が書くならと、伊藤Pや編成部も快諾した。

1992年の『愛という名のもとに』を皮切りに、暴力、いじめ、障害者、自殺問題など、現代社会の暗部を独自の視点で鋭く切り取った作品を多く手がけはじめ、1993年の『高校教師』がターニングポイントになったと回想しており「もし、『高校教師』が成功してなかったら、それまでのラブコメを作っていた自分に戻ったかもしれない。良くも悪くもあの作品で一変した」と述懐している。しかし、1998年の『聖者の行進』(TBS系)では、暴力描写の多さに視聴者からの抗議が殺到し、スポンサーの三共がTBS金曜ドラマ枠のスポンサーを降りるという事態も発生した。他の作品もほとんどが20%以上を記録する一方で、作中の表現が日本PTA全国協議会のアンケートでたびたび問題として取り上げられ、「子供に見せたくない番組」ワーストランキングに入ることも少なくなかった。しかし本人は「若ければ若いほど、自分を固定していない、完成していない、いろいろなものに刺激を受けやすい。そこに向けて作るのが、物作りの基本的な考え」と若者こそターゲットにしたいという持論を当時から持ち続けており、批判を受けたり視聴率に伸び悩んだとしてもソフトとしてクオリティーが高く、後に忘れられない“いいドラマ”を残したいという姿勢を崩していない。

タイトルは既存の作品から借用することが少なくない。デビュー作の『時には母のない子のように』はカルメン・マキのヒット曲(1969年発売、寺山修司作詞)と同題である。また、『人間失格』(1994年、TBS系)は太宰治の『人間失格』と完全に一致していたため、放送開始前に太宰家の遺族から苦情申し入れがあり、結果、中黒を挿入し一文追加した『人間・失格〜たとえばぼくが死んだら』と改題された(『たとえばぼくが死んだら』は森田童子の曲名)。

野島作品ではテーマ曲も効果的に使われており、ドラマ評論家の成馬零一は、1993年の『高校教師』(TBS系)の主題歌である森田童子の「ぼくたちの失敗」について、「歌詞が強烈で、作品全体の印象を支配しているといっても過言ではない」と評している。懐メロも多く登場し、1995年の『未成年』(TBS系)ではカーペンターズ、2001年の『ストロベリー・オンザ・ショートケーキ』(TBS系)ではABBAを起用し、それぞれのリバイバル・ブームのきっかけとなっている。これは昔から主役とバーターで主題歌を決められることに嫌悪感があった野島が、要求を拒否して自分が良いと思ったテーマソングを使い続けてきた結果であり、やがて芸能事務所側もバーターを諦めるようになったという。

また、野島が手掛ける作品では『高校教師』など数多くの作品で千住明が劇伴を担当している。野島が残酷ないじめを表現すれば千住が音楽で哀れみ、野島が濃いシーンを出せば千住が音楽をギターのメロディ1本で薄くするなどバランスをとってきた結果、周りからは“野島が父で千住が母”と表現されるようになったという。千住は「互いにペアとしてもいい表現ができる相手だったんだと思います。」とインタビューで述べている。

速筆。第1話が放送される前に全編を書き終えてしまうこともある。1993年版の『高校教師』では全編を書き終えた後にクランクインしている。

「企画」として作品に関わる際は“わかりやすくシンプルに”ということを心がけるが、「脚本」という立場になるとそれは全く考えず、今自分が思っていることをそのまま出すことを最も重要視する。そうなると狭い世界にのめりこんでしまうと自覚しているため、一歩下がって俯瞰し、主観と客観の両方で作品を見つめる方が良いと感じる場合には、「脚本監修」という立場をとるようにしているという。

中国や韓国では『101回目のプロポーズ』や『ストロベリー・オンザ・ショートケーキ』がリメイクされており、野島自身も韓国に赴き、脚本家らを対象に講演会を行った。

父親の影響で幼い頃から高校生まで空手をやっており、自らを「筋金入りの体育会系」と形容する。

家族構成などのプライベートは一切公表していない。

※は千住明劇伴音楽担当作品

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