近藤健介の出身高校

近藤健介 プロ野球選手

近藤健介卒業高校
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プロ野球選手ランキング
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性別
男性
生年月日
1993年8月9日生まれ

近藤 健介(こんどう けんすけ、1993年8月9日 - )は、北海道日本ハムファイターズに所属するプロ野球選手(内野手、捕手、外野手)。

千葉県の軟式野球クラブの泉谷メッツで野球を始める。小学6年時に千葉ロッテマリーンズジュニアに選出され12球団ジュニアトーナメント準優勝を果たした。中学野球界の強豪、修徳学園中学に進学し、軟式野球部に入部。中学2年時、1番遊撃手として、全国大会に出場。また、捕手としてもプレーをした。中学3年のKボール全国大会では千葉マーリンズの四番打者兼主将兼捕手として4強入りに導き、強肩強打で注目された。

2009年には、自身の力を試したいとしてスカウト無しで横浜高校に入学し、硬式野球部に入部した。同高校でコーチを務める小倉清一郎(入部1年目は部長)は、「私が勧誘したわけではなく、近藤の方から『横浜高校に入りたい』と売り込んできた。総合力で横浜高校歴代捕手でも3本の指に入る」と評価している。同期には乙坂智らがいる。

入部早々、遊撃手のレギュラーとしてベンチ入りし、主将だった筒香嘉智らと共に腕を磨いて夏の神奈川県大会で打率.438を記録するが、準々決勝戦で横浜隼人高校に僅差で敗れベスト8で涙を呑んだ。秋からは肩の強さを買われ捕手に転向した。

2年夏(2010年)は決勝で東海大相模高校に敗れた後、2年秋から3年の春季甲子園(第83回選抜大会)まで主将を務め、選抜大会での初戦敗退後は、「チームを一新」する狙いから、監督の渡辺元智の判断で主将の座を乙坂に奪われるが、副主将のような存在としてチームを鼓舞し続けた。3年の神奈川県大会直前で右足首の靭帯を痛め打撃が絶不調に陥ったが、決勝の桐光学園高校戦で決勝打を打ち優勝。夏季甲子園(第93回全国大会)に自身としては初出場し下級生主体チームを牽引した。高校通算本塁打は35本。

甲子園終了後、第9回AAAアジア野球選手権大会日本代表に選出され、盗塁を阻止するなど強肩ぶりを発揮し優勝、オールスターチーム(ベストナイン)に選ばれた。

2011年10月27日、プロ野球ドラフト会議で北海道日本ハムファイターズに4位指名され、後に契約金3000万円、年俸500万円(いずれも推定)の仮契約を行った。

沖縄県名護市で行われた春季キャンプでは二軍スタートだったが、2月9日の一軍の紅白戦に白組の代打としてプロ入り後、初めて実戦の打席に立ち、松家卓弘から二塁打を打った。さらに2月16日に行われた横浜DeNAベイスターズとの練習試合においては、8回からプロに入って初めて捕手を務め、2010年にイースタン・リーグで最多盗塁のタイトルを獲得した梶谷隆幸の盗塁を阻止して首脳陣の注目を集めた。2月24日に一軍に昇格し、3月6日に一軍の本拠地・札幌ドームで行われたロッテとのオープン戦に合わせ異例となる再招集が行われ、同試合に8回から出場し、本拠地では初となる安打を記録した。

公式戦の開幕一軍メンバーには選ばれなかったが二軍では48試合に出場し、7月4日に一軍昇格、その日のオリックス・バファローズ戦(京セラドーム大阪)の6回表に代打でプロ初出場すると、そのまま捕手の守備に就いた。日本ハムにおいて高卒新人が捕手として出場するのは、前身の東映フライヤーズ時代の1954年に安藤順三、1956年に山本八郎が出場したのに続いて56年振り3人目。さらに7月13日の東北楽天ゴールデンイーグルス戦では捕手として先発出場を果たした。高卒新人捕手の先発出場も山本以来56年振りである。同年秋の読売ジャイアンツとの日本シリーズには、代打で3試合に出場している。

春季キャンプからオープン戦の終盤まで一軍に帯同したが、開幕は二軍で迎えた。3月28日のイースタンリーグ・埼玉西武ライオンズ戦(ファイターズスタジアム)3回裏の打席で頭部に死球を受けたが、わずか2日で実戦に復帰すると、捕手ながら二軍のクリーンアップに定着。4月には、リーグトップの安打数・出塁率を記録したことから、3・4月の「ミズノ月間MVP」を受賞した。5月8日にこの年初めての一軍選手登録を果たすも、16日に抹消。しかし、抹消後もイースタン・リーグで長らく打率部門のトップに立っていたことから、フレッシュオールスターゲームでは同リーグの選抜メンバーに名を連ねた。8月2日に再び出場選手登録。再登録後は、中田翔の死球による戦線離脱を受けて、右翼手としてスタメンに起用されることもあった。

プロ3年目で初めての開幕一軍登録を果たすと、大野奨太・市川友也と交互に、捕手として公式戦へスタメン出場。5月2日のオリックス戦(札幌ドーム)からは、レギュラー三塁手・小谷野栄一の故障による戦線離脱を背景に、「横浜高校時代以来」という三塁手として連日スタメンに起用されている。「7番・三塁手」として出場した同月16日の千葉ロッテマリーンズ戦(札幌ドーム)では、1回裏の第1打席で、一軍初本塁打となる2点本塁打を記録。「2番・三塁手」でスタメンに起用された同月29日の東京ヤクルトスワローズ戦(神宮球場)では、3回表の第2打席で、「人生初」という満塁本塁打をバックスクリーンへ放った。さらに、20歳9ヶ月でこの本塁打を放ったことによって、「一軍公式戦で満塁本塁打を放った最年少選手」のチーム記録(張本勲が東映フライヤーズ時代の1961年に21歳1ヶ月で達成)を更新している。その後も三塁手としてスタメン出場を続けたが、6月15日の東京ヤクルトスワローズ戦(札幌ドーム)で走塁中に左太腿裏に筋挫傷を発症したため、同月17日に出場選手登録を抹消された。一軍復帰後は三塁手でのスタメン出場を中心に、足腰を痛めていた大引啓次に代わって遊撃手を務めたり、本職である捕手として出場した。なお、捕手としては9月15日のオリックス・バファローズ戦(札幌ドーム)で先発マスクを被り、同期入団である上沢直之のプロ初完封勝利を支えている。打撃では最終的にチーム最多の20二塁打を記録するなど長打力を発揮し、その活躍が認められて第1回21U野球ワールドカップでは日本代表の4番(一塁手)を務めた。

大野と市川の離脱もあり、「7番・捕手」で自身初の開幕スタメンを飾った。前年と異なり内野手での出場はなく、開幕から正捕手としてレギュラーに定着し、3割を越える打率を維持。5月下旬からは5番打者を任されるようになった。一方、盗塁阻止率が1割台と送球に課題を残したこと、前半戦で指名打者を務めていたジェレミー・ハーミッダ、大谷翔平がいずれも打撃不振に陥ったこともあり、打力を活かすためにシーズン後半戦以降は指名打者での出場が中心となった。最終的に129試合に出場して初の規定打席に到達し、パ・リーグ3位の打率.326を記録。打撃面で大きく飛躍したシーズンとなり、オフには来季から背番号が8に変更されることが発表された。

物怖じしない性格で、場を明るくする雰囲気を持ち合わせており、チームリーダーになりうる存在と評価されている。

肩が強く、二塁送球が2秒を切る。フットワークも良く、小柄ながらパンチ力のある打撃も売り。

2014年シーズンからイップス気味の送球難を抱えており、好調な打撃もあいまって三塁手や指名打者としての先発起用が増えているが、リード面に対しての首脳陣からの評価は高く、本人の目標もあくまで「打てて、勝てるキャッチャー」である。

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