足利豊の出身高校

足利豊 プロ野球選手

足利豊卒業高校
金足農業高校 偏差値 秋田県高校偏差値ランキング
プロ野球選手ランキング
3428位 / 4783人中 プロ野球選手別偏差値ランキング
性別
男性
生年月日
1968年10月15日生まれ

足利 豊(あしかが ゆたか、1968年10月15日 - )は、秋田県秋田市出身の元プロ野球選手(投手)。

父も叔父も兄も野球経験者という環境に生まれ、小さい頃から野球少年となった。ドカベンの山田太郎に憧れて捕手になりたかったが、小学校3年生の時に入った野球部の監督によってアンダースローの投手となっている。4年生で早くも公式戦に登板し、5年生の時にはチームを県大会準優勝に導くなど、下手から浮き上がる直球を武器に頭角をあらわした。

県内の強豪校である金足農業に進み、1年夏にチームは選手権大会に出場。他校のアンダースロー投手対策のため、打撃投手としてレギュラーに帯同している。2年生でエースとなったが、チームの打撃力が弱かった事もあり再び甲子園に進む事はなかった。在学中に球威を社会人野球やプロの球団から評価され、卒業後は新日鐵釜石に進んでいる。

チームの休部にともない1989年には社内の名古屋野球部に移籍。五輪代表の候補になるなど高い評価を受け、1990年のドラフトでダイエーから5位で指名を受けて入団した。プロ2年目の1992年には7月8日の対ロッテ戦で完封で初勝利を飾るなど5勝を挙げ、年俸は780万円増の1,500万円(推定)となった。

翌1993年のキャンプでは同郷の先輩でアンダースローだった山田久志からシンカーを直伝され、20試合に先発して西武から4勝を挙げて西武キラーと呼ばれた。しかし同年に肩を痛め、さらに1994年は脇腹と股関節を痛めて二軍での調整が続いたが、6月のワールド・ベースボール・ウイーク・イン・ジャパン第4戦でダイエー二軍の先発として登板し、キューバ相手に3安打無四球で完投勝利を挙げている。

その後は首脳陣との相性もあって出番が少なく1997年オフに自由契約となり、横浜の入団テストを受け合格。しかし翌年は再び肩を痛めて登板機会がないまま退団し、シカゴ・カブスのテストを受験するも合格はならなかった。1999年のシーズン途中から台湾リーグの三商タイガースにてプレーし、7試合で2セーブを記録。不況の影響でチームが解散したこともあり、同年をもって現役を引退した。引退後はスポーツDEPO太宰府インター店に勤務している[7]。

1990年代前半のNPBでは希少なアンダースローだった[8]。速球は最速130km/h台前半ながら、90km/h台のカーブを織り交ぜて緩急をつけていた。

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