谷澤達也の出身高校

谷澤達也 サッカー選手

谷澤達也卒業高校
静岡学園高校 偏差値 静岡県高校偏差値ランキング
サッカー選手ランキング
302位 / 1982人中 サッカー選手別偏差値ランキング
性別
男性
生年月日
1984年10月3日生まれ

谷澤 達也(やざわ たつや、1984年10月3日 - )は静岡県志太郡大井川町(現・焼津市)出身のサッカー選手。ポジションはミッドフィールダー(MF)。

元々野球好きであったが、親の負担を考え、3歳年上の兄を追って小学4年生からサッカーを始めた。中学時代はEWS・FCに所属し、同学年の成岡翔とともに、1年生から主力として活躍した。2000年に静岡学園高校へ進学。2、3年次に全国高校サッカー選手権に出場し、2年次にはベスト16へ進出。高校の1学年上には永田充、同学年には安藤淳、1学年下には狩野健太、小林祐三、松下幸平、横山拓也ら。谷澤が背負った背番号10は狩野へと引き継がれた。

2003年に高校を卒業し、Jリーグ・柏レイソルへ入団。1年目から出場機会を得て同年5月の第9節横浜FM戦でJリーグ初得点を記録。同年10月にA契約を締結した。また同年にはU-20日本代表としてFIFAワールドユースに出場。大熊清監督からはスーパーサブを任され、前線での巧みなボールキープで 劣勢の流れを変え、2アシストを記録。ベスト8進出を果たした。2006年は柏のJ2降格に伴う戦力再編もあって、大幅に出場時間を伸ばし1年でのJ1復帰に貢献。同年入籍。J1に昇格したチームでは果敢にドリブルを仕掛け攻撃のアクセントとなったが 好不調の波が大きく、シーズン通してのレギュラーを確保することはできなかった。

2008年、ジェフユナイテッド市原・千葉へ完全移籍。自身初の移籍によって結果を求める貪欲さが磨かれ、右サイドハーフのレギュラーとして定着。優れた攻撃センスと相手の意表を突くボールコントロールを武器に7得点6アシストを記録した。特に2008年J1最終節・FC東京戦では、0-2でリードを許す展開から出場すると、2得点1アシストの活躍でチームの逆転勝利・逆転残留の立役者となった。2009年にはチーム2位タイとなる32試合に出場するも、奮戦実らずJ2降格を喫した。

2011年、大熊が指揮を執るFC東京へ完全移籍。決定機を逸する場面も見られたが、ペナルティーキックの獲得やリーグ最多のアシストなど得点に絡むプレーでチームの優勝に貢献した。2012年も攻撃的MFに負傷離脱者が相次ぐ中でも安定して出場を続けていたが、同年半ばに古巣・千葉からJ1昇格のための“切り札”として熱烈なオファーを受ける。FC東京にとっては主力の一角をシーズン途中で失うため痛手ではあったが、谷澤の加入以来の継続した貢献を認め、本人の意思を尊重する形で移籍を容認。谷澤自身も千葉をJ2に降格させたさせたまま退団したことに悔いを残していたことから移籍を決意。

2012年8月、千葉へ完全移籍。変幻自在で予想の付かないプレーぶりは健在で すぐにレギュラーへ定着。2013年は攻守の連携がかみ合わないチーム状況に併せ、周囲に気を配りバランスを取るプレーを見せたが、これが奏功せずリーグ戦終盤は不調に陥り 控えへ追いやられた。2014年、FC東京在籍時以来着用していた背番号「39」を「8」へと変更。主に左サイドハーフに入り攻撃の生命線として リズムを作り、チームを勢い付けた。

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