葉山嘉樹の出身高校

葉山嘉樹 作家

葉山嘉樹卒業高校
育徳館高校 偏差値 福岡県高校偏差値ランキング
作家ランキング
563位 / 702人中 作家別偏差値ランキング
性別
男性
生年月日
1894年(明治27年)3月12日生まれ

葉山 嘉樹(はやま よしき、1894年(明治27年)3月12日 - 1945年(昭和20年)10月18日)は日本のプロレタリア文学の作家である。福岡県京都郡豊津村(現・みやこ町)出身。

士族の家庭に生まれる。旧制豊津中学(現福岡県立育徳館高等学校)から1913年に早稲田大学高等予科に進学するも、学費未納により除籍。その後、船員としてカルカッタ航路や室蘭-横浜航路の貨物船に乗船した。このときの経験が後年の作品の素材となっている。1920年(大正10年)、名古屋のセメント工場(1918年(大正7年)設立の名古屋セメント。同社は1922年(大正11年)に豊国セメントに合併される。)に勤務、そこでの労働事故をきっかけに労働組合を作ろうとするが失敗し、解雇される。その後名古屋労働者協会に加入、各種労働争議を指導した。

1923年(大正12年)、「名古屋共産党事件」で検挙、名古屋刑務所に未決囚として投獄され、獄中で「淫売婦」「難破」(のちに「海に生くる人々」と改題)を執筆。一旦保釈されたが、1924年(大正13年)有罪が確定。巣鴨刑務所に服役中、名古屋刑務所で遭遇した関東大震災の体験に基づき「牢獄の半日」を執筆し雑誌『文芸戦線』に発表する。1925年(大正14年)出獄後、「淫売婦」「セメント樽の中の手紙」を『文芸戦線』に、「海に生くる人々」を改造社から書き下ろしで発表し、これにより葉山は一躍文壇の新進作家となる。

既存のプロレタリア文学が観念的、図式的であったのに対し、葉山の作品は、人間の自然な感情をのびのびと描き、なおかつ芸術的完成度が高かった。特に「海に生くる人々」は、日本プロレタリア文学の傑作といわれる。プロレタリア文学運動が、『戦旗』派と『文芸戦線』に分かれたとき、『文芸戦線』派に属し、その代表的な作家として活動した。

特別高等警察(特高)による思想統制が激しくなり、日本の国論が中国大陸への侵出に統一されていくと、葉山は転向し、翼賛体制への支持を強めた。1934年からは長野県に住み、現地で小説を書きながら、工事現場で働いたりもした。

1943年には満州国で発行された満州新聞に投稿し、自らも満州国への開拓団運動に積極的にかかわるようになって何度も渡満した。最終的には開拓村に移住するために1945年6月、娘とともに渡満したが、ソ連軍の満州占領と第二次世界大戦の日本敗北により日本へ帰国する。その途中、1945年10月18日、列車内で脳溢血により死去した。

1977年10月18日、故郷のみやこ町(当時は豊津町)八景山に文学碑が設立された。

作家偏差値ランキング 職業から有名人の出身卒業高校を探す

作家偏差値ランキング

県別高校偏差値

関東

北関東

関西

北海道/東北

甲信越

東海/北陸

中国

四国

九州・沖縄

おすすめコンテンツ

全国高校偏差値ランキング
職業から有名人の出身高校を探す
有名人の名前から高校を探す

全国自治体別高校偏差値ランキング