菅野智之の出身高校

菅野智之 プロ野球選手

菅野智之卒業高校
東海大学付属相模高校 偏差値 神奈川県高校偏差値ランキング
プロ野球選手ランキング
1679位 / 4783人中 プロ野球選手別偏差値ランキング
性別
男性
生年月日
1989年10月11日生まれ

菅野 智之(すがの ともゆき、1989年10月11日 - )は、読売ジャイアンツに所属するプロ野球選手(投手)。神奈川県相模原市南区出身。

母方の祖父は、元東海大相模高校野球部監督の原貢。伯父(母親の兄)は前読売ジャイアンツ監督の原辰徳。

神奈川県相模原市南区出身。小学校に上がる直前の1995年10月8日に伯父・原辰徳の引退試合を観戦したことがきっかけで本格的に野球を始める[注釈 1]。軟式の少年野球クラブ「東林ファルコンズ」に所属し、当時から投手を務めた。新町中学時代は3年夏に県大会優勝。関東大会でもベスト8に進出した。

東海大相模高校進学後は2年秋から主戦として活躍。最速148km/hを記録するなどプロからも注目を集めたが、甲子園出場は一度も果たせなかった[注釈 2]。3年生夏の神奈川大会準決勝の横浜高校戦では打者として珍しい「振り逃げ3ラン」を記録するなどし、6-4で勝利したが、続く決勝戦で桐光学園に8-10で敗退した。高校時代の野球部の同学年に、広島の田中広輔、1学年後輩には大田泰示がいる。

大学は東海大学へ進学し硬式野球部へ入部。1年秋から主戦を任され、2年春から4季連続で首都大学リーグの優秀投手を受賞。2年時には第37回日米大学野球選手権大会日本代表と第25回アジア野球選手権大会日本代表に選出され、U-26 NPB選抜 対 大学日本代表にも出場。3年春の全日本大学野球選手権大会では準々決勝の同志社大学戦で7回参考記録ながらノーヒットノーランを達成し、準決勝の慶應大学戦では最速155km/hを記録し4安打17奪三振の好投で完封勝利を挙げたが、決勝で敗退。夏の第5回世界大学野球選手権大会では予選リーグのキューバ戦のアルフレド・デスパイネに対しての打席で自己最速となる157km/hを記録。4年秋にはリーグ新記録の通算14完封を記録しチームのリーグ優勝に貢献。最高殊勲選手と最優秀投手、ベストナイン、特別功労賞を受賞した。首都大学リーグでの通算成績は37勝4敗、防御率0.57、347奪三振。大学時代の野球部の1学年先輩には伊志嶺翔大が、1学年後輩には坂口真規、伏見寅威がいる。特に捕手である伏見とは2年以上バッテリーを組んでいた。

2011年のドラフト会議では野村祐輔(明大)、藤岡貴裕(東洋大)とともに「大学ビッグ3」と呼ばれ注目を集めた。伯父の原辰徳が監督を務める読売ジャイアンツの単独指名が濃厚と噂されていたが、北海道日本ハムファイターズも1位指名し、抽選の結果日本ハムが交渉権を獲得した。ドラフト後には祖父の原貢が日本ハムの事前挨拶なしでの指名を「人権蹂躙」などと非難する発言を行った。

11月7日には日本ハムの指名挨拶に同席し、進路については「目先のことだけではなく、その先の野球人生を考えた上で判断したい」とコメントが、21日には日本ハム入団を拒否する意向を表明。社会人野球や国内独立リーグ、海外のプロリーグ等に進んだ場合は2年間指名されることができないため、プロ・アマのいずれの球団にも属さず、浪人することを選択。東海大の卒業延期制度を利用し大学に残り、大学の練習施設を使用して自主練習をしながら翌年以降のドラフト指名を待つことになった。入団拒否の理由としては「日本ハムさんからいろいろなお話を聞いて光栄に思いました。しかし、それ以上に、自分が小さいころからの夢、そういうものがそれ以上に強かったということです」と述べ、決め手になったという『小さいころからの夢』については「(言葉にするのは)難しいところですが、どうですかね……。分かってください」と語った。

これに対し日本ハムは「この程度で諦めるなら最初から指名しなかった。交渉期限のギリギリまで説得を続けたい」としたが、交渉期限最終日の2012年3月31日に菅野の獲得断念を発表。その後、一時は2012年のドラフトでの再指名の可能性を公言したが[注釈 3]、後にその方針を変え、日本ハムGMの山田正雄が「うちとしては(1位は)その年の一番力がある選手。1年間のブランクがあることを考えたら(菅野が)一番力のある投手じゃないと思います」との理由で指名を回避するとコメントした[注釈 4]。同時にこの年のドラフトで意中の球団以外が交渉権を獲得した場合について、東海大監督の横井人輝が「アメリカに行くであろうと思う。野球留学も含めて、本人もいろいろ興味があるみたい」と発言し、本人も「また去年と同じことが起こるのだとしたら……。何というんですかね……日本で野球をやりたくないかもしれませんね」と発言したことや横浜DeNAベイスターズの調査書の受け取りを拒否したこともあり 、横浜DeNAベイスターズGMの高田繁や監督の中畑清、東北楽天ゴールデンイーグルス監督の星野仙一から批判された。

東海大に引き続き在学しての浪人であったが、浪人中は大学野球の規定により対外試合に出場できなかったため、東海大野球部を練習拠点とし、投げ込みやチームメイト相手の紅白戦やシート打撃に登板して実戦感覚から遠ざかることを防いだ。ただし、紅白戦やシート打撃での登板は実戦における緊張感や重圧という点とは遠いため、ブランクが懸念された。また、大学野球だけでなく、高校野球や日本プロ野球やメジャーリーグなどを積極的に観戦をし、野球選手としてプラスになったと語っている。

そして10月25日に開催されたドラフト会議では、当初はDeNAや楽天も指名の可能性を公言していたものの、巨人の単独1位指名となり、かねてより熱望していた巨人との交渉権を獲得した。ドラフト会議後には伯父であり巨人の監督である原辰徳が東海大を訪れ、背番号「19」とネームの入った巨人のユニフォームに袖を通した。

11月21日に仮契約を締結。23日に開催されたファン感謝デーで入団発表された。

スリークォーターから投じる平均球速約144km/h、最速157km/h(プロ入り後の最速はリリーフ登板で155km/h)のクセのある速球(フォーシーム、ツーシーム、ワンシーム)と切れ味鋭いカットボールを武器にし、縦横2種類のスライダー、球速の異なる2種類のカーブ、フォーク、シュートと多彩な変化球を持ち球とする。東海大監督の横井人輝は「指先の感覚が今まで見てきたどの投手よりも優れている」と評しており、菅野自身も「覚えようと思って覚えられなかった球種はない」と述べ、シュートは雑誌で涌井秀章の握りを見てすぐに使えるようになったという。一方で、元巨人監督の原辰徳からは、小技に頼らず「もう少し、力投派、速球派という部分でマウンドに上がるべき」と課題を指摘されている。

巨人に入団した当初から制球力を高く評価されており、自らも「試合でボールがコントロールできずに困ったことはほとんどない」と豪語する。制球力を示す与四球率やK/BB はどちらもリーグ1位で、それぞれ1.97、4.19と高い水準である。浪人中の2012年にはMLBのテレビ中継に没頭し、グレッグ・マダックスの「27球で27個のアウトを取る」という考えが理想になったという。また、ロイ・ハラデイの投球を見て「ピッチングはやっぱりコントロール」と再認識したといい、浪人中はボール1個分の出し入れができる制球力を目指して練習してきたという。

俊敏な牽制やフィールディングも備える。持論は「投手は投げるだけじゃない」で、打撃にもこだわりがあり、同僚の長野久義は「智之はセンスの塊」と評している[49]。

「原貢の孫、原辰徳の甥」という立場については「いやなことのほうが多かった」と言い、「そこは自分の中のモチベーションでもある。『菅野智之』として認められることを、ずっと目標にしています」と語っている[50]。高校3年時には周囲からプロ入りも勧められていたが「原監督の甥だからプロに行けたと思われるのがイヤだったんです。大学で文句なしの実力をつけてプロに行きたい」として進学を選んだという[50]。伯父のもとでプレーすることについては、2011年のドラフト会議後に「小さい頃には一緒にできたらいいなというくらいしか思ってなかったのが、大学にいってある程度実績を残せるようになって、それが夢ではなく現実となるように自分の中で思い描いていたのはある」と語った[51]。

好きな食べ物は肉で、嫌いな食べ物は梅干し。試合前の食べ物はきつねそばでトッピングはワカメとネギ。好きな色は白。短所は「興味がないものには飽きっぽい」と語っている。

趣味はゴルフで、大学4年時にはベストスコア100を記録した[52]。

2014年シーズンからミズノ社と「ブランドアンバサダー契約」を締結する[53]。

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