若林健治の出身高校

若林健治 アナウンサー

若林健治卒業高校
浦和西高校 偏差値 埼玉県高校偏差値ランキング
アナウンサーランキング
1204位 / 1802人中 アナウンサー別偏差値ランキング
性別
男性
生年月日
1958年2月23日生まれ
血液型
O型

若林 健治(わかばやし けんじ、1958年2月23日 - )は、フリーアナウンサー。元中部日本放送(CBC)・元日本テレビ(NTV)のアナウンサー。東京都渋谷区出身。血液型はO型。 法政大学自主マスコミ講座元講師、山本勉強会講師、専修大学アナウンサー講座講師、日本ベンチャー大学講師、 若林健治アナウンススクール主宰。

埼玉県立浦和西高等学校、法政大学法学部政治学科卒業後、1981年にアナウンサーとしてCBCへ入社。

入社3年目の1983年に『夕焼けワイド510』というテレビの情報帯番組の司会を任されるなど、将来を嘱望されていたが、「プロレス実況がしたい」という気持ちが強くなったことと実家の事情も重なり1984年にCBCを退社し日テレへ入社。

日テレ移籍以降は、報道番組や陸上・プロレスなどのスポーツ中継などで活躍。移籍直後から倉持隆夫に次ぐ二番手のプロレス実況アナウンサーとなり、1990年の倉持異動後はメインの実況担当となる。1995年6月から3年間、系列のラジオ日本に出向。『若林健治のときめきみなとステーション』などを担当した。1998年6月に日テレに復帰。その後は、『ルックルックこんにちは』などの情報バラエティ番組の1コーナーやナレーションを中心に活躍した。2002年10月からは日テレとラジオ日本のアナウンサーを兼務し、『ガイジンさん大指摘!爆笑!日本人の急所!』のパーソナリティも務めた。

2006年6月でアナウンス部を離れて事業局へ異動。

2007年には日テレ主催のイベント「GO!SHIODOMEジャンボリー」の一環として、プロレスリング・ノアの街頭プロレスを企画・立案した。また、イベントCMのナレーションを担当したこともある。

プロレス実況の印象が強いが、これまでのアナウンサー生活で最も感動した実況として1991年世界陸上競技選手権大会東京大会での男子50km競歩を挙げている。このレースは台風直撃の過酷なコンディションで行なわれ、5時間近い中継の中でソ連2選手の肩組ゴールインや今村文男選手の7位入賞など話題の多いレースとなった。

2007年12月31日をもって日テレを退社し、フリーアナウンサーへ転向した。

上述の通り日本テレビへ転職してしまうほどプロレスを愛しており、『全日本プロレス中継』にてジャンボ鶴田や四天王プロレスで心の叫びとも言える熱い実況で有名となった。特に竹内宏介とのコンビは「若竹コンビ」と言われた。プロレス愛では比類なきアナウンサーである。

その「若竹コンビ」で司会を担当したある番組での、プロレスの名勝負を流すコーナーでは、例えば1967年12月のジャイアント馬場対クラッシャー・リソワスキー戦が流れた際には「その試合(流血戦になったので)親にテレビを消されたんですよ!」とコメントするなど、プロレスへの思いを語っている。

また、SWSの出現により全日本プロレスが崩壊の危機を迎えたとき、「命に賭けても守りたいプロレス!それが全日本プロレス」と実況したり、「このオーは、福井に対してのオーか!」とジャンボ鶴田のオーを同日同時刻に行われたSWSの福井でのプレ旗揚げ戦を明らかに意識して実況している。だが、時を経て当時のプロレス界におけるSWSの重要性に気付きはじめ、「失礼なことを言ってしまった」と天龍源一郎に直々に謝罪した(下記著書による)。

1990年代に入り、全日本のリングが鶴田軍対超世代軍の争いで加熱するにつれ、若林の実況もヒートアップ。1990年6月8日、三沢光晴が初めてジャンボ鶴田に勝った試合を実況。「三沢が勝ったー!」の名実況を生む。これがきっかけで、今に続く実況スタイルを確立。その後も両軍の戦いを中心に数々の熱い実況を展開した。

スタン・ハンセンが場外乱闘で実況席のモニタを掴み取ろうとした時、必死になってモニタを引っ張り阻止したことは非常に有名である(モニタが日テレでなく札幌テレビ放送の機材だった為、壊されると面倒なことになる故必死に抵抗したという)。

当時実況の二大エースであった福澤朗アナウンサー(日テレの後輩)の代理として「プロレスニュース」のコーナーも担当し、ミドルネーム『若林“恩知らず”健治』名義でも登場したが、これは、キラー・カーンがそれまで同じ軍団で行動を共にしてきた長州力の試合に突如乱入(1986年8月)し長州を襲い反旗を翻した為に「何を考えているのか。恩知らずのキラーカーン」と若林が発した実況台詞からである。なお、その巨体から「若林マンモス健治」の異名もとった。

独身で結婚経験がなかったことから、渕正信や越中詩郎(※このうち越中は後に結婚)らとともに『週刊プロレス』・『週刊ゴング』の読者コーナーでたびたび独身ネタの題材にされる(先輩アナの今井伊佐男も一時期独身を貫いていた)など、プロレスファンにもその存在が認知されていた。

そんな順調なアナウンサー人生であったが、全日本プロレス中継の放送時間が視聴率低下の影響で60分から30分に縮小された。憤慨した若林は「30分が悔しいんです!」「戻せ1時間枠!」と実況中に叫んだことが日テレ上層部の逆鱗に触れ(視聴者の抗議がくることを恐れた日テレが出向を命じたという説もある)、系列ラジオ局のラジオ日本へ出向となる。

しかし、ファンからの要望で、日テレ復帰と同時期に全日本プロレス中継にも復帰。ファンの声でプロレス中継にカムバックしたアナウンサーは史上初であり、本人は復帰にあたり視聴者に向け感謝の言葉を述べた。復帰直後の日本武道館大会では「若林コール」が起きた。当時は既に平川健太郎がプロレス担当チーフアナウンサーとなっており、若林はセミファイナルの試合を担当することが多かったが、メインイベントの実況にも頻繁に起用されていた。2000年に発売されたドリームキャスト用ゲームソフト『ジャイアントグラム2000 全日本プロレス3〜栄光の勇者達〜』の実況音声も担当している。

2000年2月17日、秋山準が三沢からシングル初勝利を挙げた試合を実況。「秋山が勝ったー!」と絶叫した。三沢の対鶴田初勝利から、ちょうど10年後のことであった。

しかし、復帰から1年もしないうちに、当時の三沢社長を中心とした大量離脱から日テレの全日本中継が打ち切りとなり、再びプロレスと縁が切れてしまう。

日テレは全日本プロレス分裂後、三沢率いるプロレスリング・ノアの試合中継へ切り替えたが、彼がノア中継の実況を行うことは遂になかった。若林がノア中継へ登場しなかった理由については公式な説明がなかった為に不明だが、「熱狂的な馬場信者で日テレ上層部から嫌われているから(ただし、前述の街頭プロレスは『NNN Newsリアルタイム』内で生中継されている)」「『王道』『明るく楽しく激しいプロレス』といったフレーズや日本テレビスポーツテーマを使用しないなど脱・馬場を図るノアの路線に合わないから」という説が流れている。

全日本分裂から3年後、奇しくもノアの日本武道館大会(メインは三沢vs小橋建太)が行われた2003年3月1日に、NEO女子プロレスの板橋産文ホール(現:板橋グリーンホール)大会のメイン終了後に収録された『ぐるぐるナインティナイン』の「変装バカデミー賞」(同年3月14日放送、ホンコンが赤コーナーに扮した)を最後にしばらくマイクから遠ざかっていた。全日本プロレス中継の勇退後は『ズームイン!!SUPER』などの情報番組で活躍した。しかし、2006年6月に事業局へ異動。アナウンサーとしてのキャリアを一度は断念することとなる。

プロレス中継への情熱が消えることのなかった若林は、2007年の暮れに日テレを退職し、フリーアナウンサーに転向することを決め、これを機に実況活動を再開、2008年2月11日の健介オフィスと3月1日の全日本プロレス(ペイ・パー・ビュー生中継)の実況を行った。

同時期に、レスラー復帰を予告した大仁田厚のレポートをする際、怒号を浴びせられるも『私はテレ朝の真鍋さんとは違う!プロレス実況やるために日テレを辞めました!大仁田さん、プロレス変えてくださいよ!』と言い放ち、第二の大仁田劇場が幕開けした。 ちなみに若林は大仁田が全日在籍時に試合を実況した経験もある(1984年8月・田園コロシアムでの対マイティ井上戦)。大仁田も新人時代の若林を覚えており、再会時の第一声は「おぉ、若林!元気か?」だった。

また、2008年5月26日にはMARS SIXTEEN主催で阿佐ヶ谷ロフトAで初の単独トークイベント『若林”フリー”健治の胸突き八丁十番勝負』が開催。イベントでは大日本プロレスの関本大介・ユリオカ超特Q等がゲストに迎えられ、懐かしのエピソードや現在のプロレスに対する愛を時間いっぱいまで語り尽くした。

翌年2009年8月22日に東京・中野のStudio twlで、元週刊ゴング編集長・小佐野景浩をゲストに迎え、『若林フリー健治の胸突き八丁十番勝負〜その二〜』が行なわれ、大成功を収めた。

更に2010年1月11日には中目黒GTプラザホールにて、天龍源一郎をゲストに迎え、第三回のトークイベントが開催された。

2010年1月16日、1月17日に行われたNOAH赤レンガ倉庫2連戦のサムライTVの中継を担当。

またフリー転向時から、後進の育成にも積極的に取り組んでおり、2010年8月1日、念願だったアナウンススクールを新宿にて開校する。本人が苦学生であったことから、破格の授業料で実施。多数の内定者を輩出している。

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