畑正憲の出身高校

畑正憲 学者

畑正憲卒業高校
日田高校 偏差値 大分県高校偏差値ランキング
学者ランキング
721位 / 1027人中 学者別偏差値ランキング
生年月日
1935年4月17日生まれ

畑 正憲(はた まさのり、1935年4月17日 - )は、日本の小説家、エッセイスト、ナチュラリスト、動物研究家、プロ雀士。愛称は「ムツゴロウさん」。日本エッセイスト・クラブ賞(1968年第16回)、菊池寛賞(1977年第25回)受賞、日本プロ麻雀連盟相談役であり初代十段位、最高位戦創案者。

エッセイストとして世間に知られるようになり、ナチュラリストとしての活動で世間的な知名度を高めた。その他、特殊なジャンルでのタレントとしても活躍している。

幼い頃より生き物に関心が深く、また文学への関心が高かったものの親の意向もあって東京大学理学部で動物学を学んだ。卒業後は教育用の科学映画の作成に関わり、ここでも生き物との関係が深くなった。その後動物関連のエッセーなどで作家としてデビュー。特にそのあだ名であるムツゴロウを冠したシリーズで人気を博す。他にやはり生物学の色が濃い小説も著す。

その後動物との共棲を目指して北海道に移住、後にこれが「ムツゴロウの動物王国」へと発展する。その他動物に造詣の深いキャラクターとして動物番組に登場し、あるいは麻雀など、他の趣味に関わってのテレビ出演もある(下記の趣味の項を参照)。

福岡県福岡市生まれ。その後医師の父が満州国に赴任したため、幼年時代を満蒙開拓団の村で育つ。狼と犬のハーフ犬を飼ったり、水門でナマズを捕まえるなどの動物に絡んだエピソードはこの頃からある。太平洋戦争のさなかに兄の受験に同行して帰国、中学、高校時代を父親の郷里である大分県日田市で過ごす。

大分県立日田高等学校から東京大学理科II類に現役で合格。教養学部前期課程時代は駒場寮に住み、数匹の犬を飼っており、その犬が東大駒場寮寮生らにより勝手に学園祭で食用として食われてしまったと告白したが、一方でその後そのような事実の存在を否定している。駒場寮廃寮問題が持ち上がったとき、「あんな汚い物は、いち早く潰してしまうべき」と率先して廃寮に賛成した。

当時の理科II類は現在の理科III類の内容を含んでいたため、父からは医学部医学科への進学を望まれていたが、理学部動物学科に進学するか文学部哲学科に傍系進学するか悩み、結局父に無断で理学部動物学科を選択し、動物学を専攻。学部卒業後に大学院理学系研究科修士課程に進学してアメーバの生理学的研究に携わる。この頃、日本における動物行動学の草分けである日高敏隆や、ピジョンミルクの研究で東大の研究室に出入りしていた常陸宮正仁親王とも親交を持つ。しかし、研究の途上で文学の世界で生きるか、研究者の世界で生きるか悩み、自殺寸前まで精神的に追い詰められ、突如研究室から姿を消した。尚、本人は書類上修了になっているか未修了になっているのかを確認していない。

その後学習研究社(現・学研ホールディングス)の映像部門に就職し、理科関係を中心に学習映画などの作成に携わる。「ムツゴロウ」という名前はこの頃出版社より付けられる。。しかし、社の成長による巨大企業化とそれによる社風の変質を嫌い、社長に直訴状を送って退職。文筆業に専念することになる。文壇では北杜夫に傾倒し、彼の作品を何度も肉筆で筆写して文体を修行した。のちに無人島に移住した際には、事前にわざわざ北杜夫に手紙を出して報告したとの逸話もある。

1967年、『われら動物みな兄弟』を刊行して翌年、日本エッセイスト・クラブ賞を受賞。1969年、金の星社から子供向けSF『ゼロの怪物ヌル』、『天然記念物の動物たち』などを刊行。1970年、『ムツゴロウの博物志』を刊行。以後、いわゆるノンフィクション作家となる。

日田高校に通っていた頃に知り合った女性と結婚し、娘をもうける。娘を生物に深く触れさせて育てたところ、魚の命を奪って食べることを拒絶するようになったことに衝撃を受け、もっと深く生の自然に触れさせて、表面的な生き物好きの精神の虚弱さを払拭させて育てることを決意した。

1971年、東京を離れ、北海道厚岸郡浜中町の嶮暮帰島に移住。さらに対岸の浜中町に移り1972年に「ムツゴロウ動物王国」を開園。1979年には標津郡中標津町にも広大な牧場やログハウスの自宅を有したムツ牧場を開園。ここで多くの動物を飼育しながら文筆生活を送るうちにヒグマとの生活を描いたエッセイや、天然記念物に指定された動物の保全の現状を追跡したルポなどで文壇での成功をおさめる。

その後、彼のエッセイに共鳴してこの共同生活に加わる若者が増えた。この共同体の姿がテレビ番組としてシリーズ放映されて人気番組となった。この間にも自然保護運動に奔走していた。増田俊也の『七帝柔道記』には畑が1987年の知床原生林伐採問題時に急先鋒に立って反対運動に参加していた場面が実名で出てくる。

「ムツゴロウ動物王国」は原則非公開だったため、北海道で培ったノウハウを生かし、「都会の人々に動物にふれあってもらう」というコンセプトで、2004年7月28日、東京都あきる野市の東京サマーランド内の約9万m²の敷地に観光施設としての「東京ムツゴロウ動物王国」を開園。北海道には一部のスタッフや動物が残留するのみとなった。

東京ムツゴロウ動物王国は集客が伸びず、2006年10月14日、「ムツゴロウ動物王国」の運営会社だったグローカル21が破綻し、負債総額8億円に上ることが明らかとなった。その後運営主体を畑正憲のプロダクション「ムツプロ」に暫定的に移すも、2007年10月17日、東京都あきる野市の「東京ムツゴロウ動物王国」が2007年11月25日で閉園、活動発祥の地である北海道へ戻ることが発表された。2008年5月16日、従業員への給与2007年6-8月分を、各月の支払日に支払わなかったとして、労働基準法違反の疑いで書類送検された。東京ムツゴロウ動物王国の運営資金を個人保証で借り入れていた関係から、個人としても約3億円の借金を背負ったが、執筆・講演活動などの収入で約8年間かけて借金を完済した。

畑はウィキペディアを批判している。2006年1月5日にウィキペディア日本語版の当項目において何者かの手により大麻栽培をしている旨の悪質なデマが記されたこと、それを鵜呑みにした客人が来た際の驚きを畑はこう綴っている。“私は、麻薬の類が極端に嫌いであり、手を出すなよと、周りに戒めてきた。多分、フリーライターが書いたものだろうが、私が最も嫌いなものをつけ加えて、裏でニヤリとしているに違いなかった。それは悪意に満ちた人物紹介だった”。なお、畑に対する中傷デマ記述は2ヵ月以上も削除されず記事に残存していた。

日本プロ麻雀連盟の相談役も務める。連盟に於ける段位は九段。麻雀の腕は相当のもので、2012年現在も存在するタイトル戦「十段位戦」は、あるプロ雀士[誰?]が「連盟の最高位は九段だが、ムツゴロウさんは十段の実力の持ち主」と評したことにちなんで創設された。畑自身は「入団テストを実施するよう提案したとき、自分もそれを受けて九段の人間に圧勝し、九段と認定された。翌年に九段の人間の誰が一番強いのか決めようということで十段を作った」と語っている。ちなみにこの大会には自ら出場し3回優勝している。

徹夜を厭わない性格から、徹夜麻雀が非常に得意であり、ムツゴロウ王国では誰かがぶっ倒れるまで麻雀を打つことがしばしばあった。これをコンセプトとして、不眠不休で半荘50回を打ち続ける「雀魔王戦」というタイトル戦が日刊ゲンダイの主催で行われていたこともある。この大会にも自ら出場し第1回・第2回と連覇している。後に本人が語ったところでは「39歳の時に胃がんになって胃を全摘出し、いつ再発するかもしれないという不安に悩まされていた際に、僕を救ってくれたのが麻雀だった」とのことで、当時は「10日間不眠不休で麻雀を打ち続けた」こともあるという。

伝統のタイトル戦「最高位戦」は、畑の提唱により創設された。昭和麻雀十傑の一人にも選ばれた。このような雀豪ぶりから雀聖・阿佐田哲也は『ぎゃんぶる百華』にて雀鬼ベストテンにランクインさせ、「北海の雄」と称した。麻雀漫画家片山まさゆきの作品には、北海道で動物たちと暮らしている「ウツゴロウ」という名の雀師が登場する。また、アーケードゲーム『麻雀格闘倶楽部5』以降では、プロ雀士の1人としてゲームに参加している。

このように有名人かつ強豪雀士でありながら、いわゆるテレビマッチ(テレビの麻雀対局番組)への出演は長年避けてきた畑だったが、2009年には『第4回麻雀格闘倶楽部』(MONDO21)のエキシビションマッチに出場し、約30年ぶりにテレビマッチ出演を果たした(対局相手は小島武夫・灘麻太郎・荒正義)。同年の日本プロ麻雀連盟主催 第一回麻雀トライアスロン・雀豪決定戦でも決勝卓に残り、一部の局でTV放映された(対局相手は小島武夫・先崎学・滝沢和典)。また小島武夫のDVD『ミスター麻雀 小島武夫五番勝負』(2008年)にも対局相手の一人として登場している。

役満をよく和了するらしく、デイリースポーツに連載されている「マージャン灘麻太郎の定石打法」[要文献特定詳細情報]によると「私と一緒に打っている時だけでも十回以上アガっている」という。また、地和で国士無双を和了したことがあるという(3139回分)。

囲碁はアマチュア五段の腕前。50歳頃から絵も描き始め、年に1回のペースで個展を開催している。競馬も好きだが、それを話すと世間のムツゴロウのイメージとのギャップに驚かれるらしい。

元西鉄ライオンズ投手の畑隆幸は従弟である。西鉄が東京に遠征に来た時には、彼は球場によく足を運んでいた。

また珍しい食べ物が大好きなことでも知られる。『ムツゴロウとゆかいな仲間たち』内で、土筆の胞子を集めそれで和菓子を作るシーンが公開された事がある。自著ではミミズやアメーバなどを集めて料理して食べてみた事があるとの記述があり、テレビ番組ではアメリカに生息する巨大ナメクジをまるごと食べたこともある。

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