由紀さおりの出身高校

由紀さおり ミュージシャン

由紀さおり卒業高校
洗足学園第一高校 偏差値 東京都高校偏差値ランキング
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688位 / 829人中 ミュージシャン別偏差値ランキング
性別
女性
生年月日
1948年[1]11月13日生まれ
血液型
A型

由紀 さおり(ゆき さおり、1948年11月13日 - )は、日本の歌手、タレント、女優、ナレーター。本名・旧芸名、安田 章子(やすだ あきこ)。田辺エージェンシー・安田音楽事務所所属。血液型はA型。

群馬県桐生市出身。洗足学園第一高等学校卒業、洗足学園短期大学英文科卒業。姉は歌手の安田祥子。姉とシンガー・ソング・コメディアンを自称(正しくはシンギング・コメディエンヌ)。

群馬県桐生市に生まれ、3歳で横浜市へ移る。少女時代から姉の安田祥子と共に本名の「安田章子」名義で童謡歌手として活躍。1965年にキングレコードから本名名義で「ヒッチハイク娘」にて歌手デビューするが、ヒットに恵まれず停滞の時代に入る。童謡歌手時代からの仕事であるCM曲やテレビ・ラジオ主題歌の吹き込みや、「大人の世界を歌えるように」という修行の意味合いもあったキャバレー・ナイトクラブへの出演を行いながら雌伏の時を過ごす。

1969年、東芝音楽工業(現・ユニバーサル ミュージック EMI Records Japanレーベル)より再デビュー作となった「夜明けのスキャット」が発売される。元々TBSラジオの深夜ラジオ番組「夜のバラード」のOPとして制作され、当初はレコード化の予定はなかったが、リスナーからの問い合わせが相次ぎシングルリリースが企画された。しかし由紀は歌手デビューに失敗した過去に対する懸念と自ら結婚を控えていた事情もあり再デビューに消極的だったが、新たに歌詞が書き下ろされる間にいずみたくらが説得してレコーディングが実現した。大ヒットとなった「夜明けのスキャット」は、最終的には150万枚のミリオンセラーとなり、この年の暮れには「第20回NHK紅白歌合戦」で念願だったNHK紅白歌合戦初出場を果たす(以降1978年・第29回まで10年連続出場)。

当時、新番組として準備されていた『サザエさん』のスタッフは由紀に主題歌の歌唱を依頼するつもりだったが、「夜明けのスキャット」での再デビューの時期と重なり、断念したという。

翌1970年には、「手紙」も6週連続1位、1970年度年間6位となる大ヒットになり、第12回日本レコード大賞の歌唱賞を受賞した。その後も「生きがい」「故郷」「ルーム・ライト」「挽歌」「ふらりふられて」「う・ふ・ふ」「トーキョー・バビロン」などの歌謡曲を世に送り出し、その確かな歌声は「酔い覚ましの清涼剤」との評価を受ける。1973年には「恋文」で第15回日本レコード大賞最優秀歌唱賞を受賞した。

実力派歌手として人気を集める一方、タレント性を見込まれバラエティー番組にも数多く出演。『8時だョ!全員集合』で共演したいかりや長介からの薫陶を受けコメディエンヌとしての才能も開花し、『全員集合』や『ドリフ大爆笑』においては最多ゲスト(『大爆笑』は一時レギュラー出演)となり、コントの「オチ」を任せられる程になった。また1995年から2006年にかけてNHK『コメディーお江戸でござる』(のち『道中でござる』)でも準レギュラーで出演し、プロの喜劇人・伊東四朗と息の合った掛け合いを見せるなど実力の健在ぶりをアピールした。現在も以前より出演頻度は減ったものの『ライオンのごきげんよう』や『ダウンタウンDX』などの番組等にゲスト出演している。

1980年代にはテレビ司会者・タレント・女優としての活躍も目立ち、彼女のマルチな才能がさらに発揮されていく。1982年には『おもしろサンデー』へ桂文珍と共に司会として出演。1983年には松田優作主演の『家族ゲーム』でお惚けな母親役を演じ、日本アカデミー賞助演女優賞を受賞、1987年には朝の連続テレビ小説『チョッちゃん』で主人公の母親役を演じ、流暢な方言を披露した。

1985年より姉・安田祥子と共に童謡コンサートをスタートさせ、徐々に歌手活動に再び重点を置くようになる。1986年には童謡アルバム『あの時、この歌』を発表し、同年の暮れには第28回日本レコード大賞企画賞を受賞、童謡ブームの火つけ役となる。1987年には童謡歌手として「第38回NHK紅白歌合戦」に出場。NHK紅白歌合戦に9年ぶりに復帰し、以降2001年の「第52回NHK紅白歌合戦」まで紅白の常連として出演した。なお、1992年・第43回では自身唯一の紅組トリを務めている。また2000年には、映画『ドラえもん のび太の太陽王伝説』の主題歌「この星のどこかで」を、安田と共に歌っている。

実姉の安田とのレパートリーは童謡・唱歌に留まらず、オリジナル楽曲、歌謡曲、クラシック、アニメ主題歌など多ジャンルに渡っており、特にスキャットで唄った「トルコ行進曲」は1997年の「第48回NHK紅白歌合戦」において披露されたことで一躍全国に認知。X JAPANのTOSHIも「由紀と言ったら、トルコ行進曲」と歌番組共演時にリクエストするなど姉妹の代表曲として知られている。

現在でも各地で精力的にコンサートを行う一方、女優・タレントとしての活動も盛んに行っている。

2009年には由紀さおりに改名してから40周年にあたると、ソロ名義では約四半世紀ぶりのオリジナルアルバム『いきる』を発売。またソロコンサートも行い盛況を収めた。「今後は姉妹名義の活動と並行しながら、(歌手としての)ソロ活動にも力を入れていく。21世紀の歌謡曲を歌っていきたい」と発言している。2012年、紫綬褒章受章。また同年の「第63回NHK紅白歌合戦」にも久々に返り咲き(ソロ歌手としては20年ぶり13回目、紅白出場は11年ぶり)を果たした。

1969年、20歳で10歳年上の音楽ディレクター大森昭男と結婚。結婚生活7年目に別居、14年目に離婚成立となった。37歳で子宮筋腫を患い、子宮内膜症も併発。悩んだ末、4年後の41歳の時に子宮を全摘した。ホルモン治療という選択肢もあったが、そのことにより声が変わってしまう事や「自分の声を愛してくれた母を悲しませたくない」との思いから手術を決断した。この手術後にアメリカ在住の柴冨哲也と知り合い、交際。再婚・渡米や歌手引退も考えたが、デビュー直後から個人事務所を起こすなど芸能活動をサポートしてきた母の猛反対を受け、結局母の意見に従った。1999年にその母を癌で失い、一周忌を終えた2000年、8年間の交際を経て事実婚の関係となる。しかし、由紀は仕事を辞める事ができず、日米の遠距離婚の溝は埋められないまま、2006年12月、離別している[10]。

(注意点)

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