田上明の出身高校

田上明 スポーツ選手

田上明卒業高校
秩父農工科学高校 偏差値 埼玉県高校偏差値ランキング
スポーツ選手ランキング
2394位 / 2530人中 スポーツ選手別偏差値ランキング
性別
男性
生年月日
1961年5月8日生まれ
血液型
A型

田上 明(たうえ あきら、1961年5月8日 - )は、日本の男性実業家、元プロレスラー、元大相撲力士。埼玉県秩父市出身。身長192cm、体重120kg。血液型A型。現在はプロレスリング・ノアの代表取締役社長を務める。

中学時代は走高跳や柔道など様々な種類のスポーツを行う。埼玉県立秩父農工科学高等学校進学後、相撲部に入部。知人の紹介で3年次の3学期に押尾川部屋へ入門。1980年1月場所に本名の「田上」の四股名で初土俵を踏んだ。後に本名の田上から玉麒麟 安正(たまきりん やすまさ)と改名した。なお、下の名である安正は田上の高校時代の恩師の名に因む。

右四つの型に填れば抜群の力を発揮し、1986年5月場所には十両に昇進した(最高位は西十両6枚目、十両在位7場所)。十両では44勝46敗と安定した成績を残し幕内昇進も期待されたが、師匠・押尾川親方(元大関・大麒麟)との確執もあり、三場所連続で負け越したあとの(ちょうど同部屋・同年力士の益荒雄による、いわゆる「益荒雄旋風」の最中であった)1987年7月場所前に廃業した。

その後、知り合いだった落語家の三遊亭楽太郎(現・6代目三遊亭圓楽)の勧めもあり、プロレスラーに転身した。楽太郎は天龍源一郎の中学時代の同級生で、その伝手で全日本プロレスの入団が決まったという。なお田上は1989年に結婚したが、その時の結婚式の司会を務めたのがその当時、楽太郎の弟子だった伊集院光だった(「伊集院光のOh!デカナイト」放送当時に伊集院自身が発言している)。

1987年8月にジャパンプロレスに入団。翌1988年1月に全日本プロレスへ正式に移籍し、1月2日にジャイアント馬場とのタッグでデビュー戦を行った。以降、数年間は伸び悩む時期が続いた。

1990年、谷津嘉章らの離脱でパートナー難に悩んでいたジャンボ鶴田の要望で当時所属していた超世代軍を離脱、鶴田とタッグを組んで超世代軍との抗争を展開する。大勝負の経験を積むうちにレスラーとして成長し、1992年3月4日には鶴田とのコンビ「鶴明砲」で世界タッグ王座を獲得、トップレスラーの一人となった。

鶴田が肝炎で第一線を退いた後は超世代軍を離脱した川田利明とコンビを結成、このコンビは「聖鬼軍」を名乗り2000年に大量離脱・ノア発足で田上が全日本を退団するまでトップ戦線で活躍した。世界タッグ王座史上最多となる6度の載冠を果たしている。

また、1996年にはチャンピオン・カーニバル、三冠ヘビー級王座、世界タッグ王座、世界最強タッグ決定リーグ戦を全て制する活躍を見せた(グランドスラム)。

1996年5月24日の三冠ヘビー級選手権試合においてシングルマッチで三沢光晴から初勝利をあげる。四天王の中では初の快挙となった。

その後も川田とのタッグを中心に、プロレス四天王の一員として三沢や小橋健太、スタン・ハンセンらと激闘を繰り広げる。馬場が亡くなった1999年には、馬場没後初の三冠戦でベイダーとの王座決定戦を戦うが敗北。世界最強タッグ決定リーグ戦では川田の欠場もあり、ハンセンとのタッグで準優勝に終わる。

2000年、三沢らと全日本から離脱しプロレスリング・ノアに移籍した。

ノア移籍後は3度のGHCヘビー級王座挑戦のチャンスがありながらベルトを巻くチャンスが無かったが、2005年9月18日の日本武道館大会での小橋とのタッグで、秋山、天龍組と戦った一戦が大きな契機となり、2005年11月5日・日本武道館で行われた大会で王者・力皇猛に挑戦、何発ものラリアットや必殺技「無双」を受けながらも必殺技「オレが田上」で初戴冠した。

2008年1月にデビュー20周年を迎え、後楽園ホールで行われた記念試合では、後援関係者のほか、亀山つとむ、ザ・グレート・カブキ、そして愛娘がリング上で田上に花束を贈呈した。

2009年7月6日、初代社長の三沢が試合中の事故により急逝したことに伴い、第2代プロレスリング・ノア代表取締役社長に就任した。9月27日に日本武道館で行われた三沢の追悼興行で、全日本の武藤敬司と社長タッグを結成したが、小橋&高山善廣組に敗れた。10月には、大阪府立体育会館での三沢光晴追悼興行で川田との聖鬼軍タッグを9年4ヶ月ぶりに復活させ、秋山準&KENTA組と対戦し勝利をおさめた。

2010年7月19日の秋田市セリオンプラザ大会では、川田に加え小川良成との聖鬼軍トリオでモハメド・ヨネ&金丸義信&平柳玄藩組から勝利をした。

2011年までは殆どの大会に出場していたが、2012年からはスポット参戦の形になっている。

2013年5月12日の会見で、12月にラストマッチを行い、引退すると表明、12月7日に引退試合が行われ、歴代の付き人である平柳、森嶋猛、杉浦貴と組み、天龍、藤波辰爾、井上雅央、志賀賢太郎組と対戦し、「オレが田上」で井上からフォールを奪い有終の美を飾った。試合後には四天王の小橋、川田もリングに上がり引退セレモニーとなった。

引退後はノアの社長に専念。

他にも突如として普段使わない技(フライングクロスチョップ)などをいきなり繰り出すこともある。

タッグでの成績は著しく良い

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