潮崎豪の出身高校

潮崎豪 スポーツ選手

潮崎豪卒業高校
東海大学付属第二高校 偏差値 熊本県高校偏差値ランキング
スポーツ選手ランキング
1483位 / 2530人中 スポーツ選手別偏差値ランキング
生年月日
1982年1月21日生まれ
血液型
AB型

潮﨑 豪(しおざき ごう、1982年1月21日 - )は、日本の男性プロレスラー。熊本県熊本市出身。血液型AB型。東海大学第二高等学校(現・東海大学付属熊本星翔高等学校)卒業。プロレスリング・ノアでデビューし、全日本プロレスを得て現在フリーランス。

兄1人と姉1人を持つ第3子として生まれる。プロレスファンである兄の影響で、小学2年生の頃よりプロレス、特に全日本プロレスをテレビ観戦するようになり、超世代軍のファンとなる。小学3年時よりやり始めた少年野球では、4、5番打者を任される捕手を務め、地元・熊本の東地区優勝を果たしている。同様に小学校時代はエースで4番を務める野球選手で後に東海大二高の1学年後輩となる女子プロゴルファーの古閑美保と、少年野球の試合で対戦したこともある。熊本市立西原中学校ではバスケットボール部に入部、ポジションはセンターフォワードを務め、3年時にはキャプテンを任された。高校に進学してもバスケを継続、2年時よりレギュラーとなり熊本県でベスト4という成績をおさめている。

高校卒業後、警察官の父に倣い警察官採用試験を受験するも失敗、公務員予備校に通いながらフリーター生活をおくっていた。そんなある日、プロレスリング・ノアの創業者である三沢光晴の「ぶっちゃけ、プロレスラーは根性さえあれば誰でもなれる」という発言をテレビで耳にし、またある日には、野球経験者で格闘技経験がないという共通項のある小林健太(後のKENTA、現:ヒデオ・イタミ)が全日本プロレスの新人テストに合格したという記事を『週刊プロレス』のバックナンバーを再読中に目にする。それらに感化された潮﨑は、子供の頃は「住む世界が違う」「なれるはずがない」という理由で自らの職業とする考えはなかったプロレスラーになることを思い立つ。

後日、三沢が小橋に対し花道からの断崖式タイガー・スープレックスを敢行した2003年3月1日のGHCヘビー王座戦をテレビ観戦していたところ、「プロレスリング・ノア 第2回新人公開オーディション」の告知の「練習生募集」のテロップを目の当たりにする。必要書類を送付したところ、書類選考を通過する。受験直前には既に合格できるだろうという自信があったという2003年4月17日実施の体力テストにおいて、参加者23名の中の合格者6名のうちの1人となり、1週間後に入団(21歳)。憧れていた小橋建太の付き人となり、のちに合宿所の寮長も務めた。

2004年6月26日(22歳)、この日京都KBSホールで行われたバトルロイヤルでプレデビュー。同年7月24日、ディファ有明での秋山準&橋誠戦(パートナーは本田多聞)にて正式デビュー。第2回入門テスト合格者6名の中で、唯一デビューまでこぎつけた。ノアでは、2001年12月24日の鈴木鼓太郎(当時は鈴木康弘)以来2人目となる生え抜きの新人デビューであり、初のヘビー級からのデビューである。

なお、デビュー翌日25日の長岡市厚生会館大会の第1試合で行われた初シングル戦の相手は杉浦貴で、原爆固めで敗れている。

2004年11月21日、宮城県スポーツセンターで行われたKENTA蹴撃七番勝負最終戦の丸藤正道対KENTAの試合後、グローバル・ハードコア・クラウン無差別級王者である丸藤に「15分時間切れの場合王座移動」というルールで挑戦するも、時間切れ12秒前に不知火で敗れる。

2005年1月のシリーズで潮﨑豪七番勝負が全試合行われた。相手は小川良成、秋山準、齋藤彰俊、三沢光晴、リック・スタイナー、田上明、小橋建太(試合順)。相手の得意技を出すなど健闘するが、0勝7敗で終了した。同年4月24日の日本武道館大会で、天龍源一郎・秋山準相手に小橋と組んで戦った一戦は、天龍のパワーボムで潮﨑が敗れた。

2005年8月24日、福島市国体記念体育館大会の対エディ・エドワーズ戦においてムーンサルトプレスでピンフォール勝ちを収め、シングル戦初勝利を収めた。

2005年11月5日、日本武道館で行われた小橋・潮﨑組vs佐々木健介・中嶋勝彦組という師弟タッグ対決で爆発。健介、中嶋へジェラシーをぶつけ、果敢に挑んでいったが、健介のラリアットで潮﨑が敗れた。試合後は礼は行ったものの、悔しさのあまり健介との握手は拒否した。同月11-15日、小橋・秋山と共にヨーロッパへ初遠征。

2006年1月11日、後楽園大会のKENTAとのシングルマッチにて、フィニッシュ技「go 2 sleep」の膝を顎で受けてしまい、同箇所を骨折。全治3か月の重傷を負って欠場。同年6月9日、選手会興行にて復帰。当初の復帰予定はまだ先だったが、谷口周平の怪我による欠場で、急遽出場の運びとなった。

2006年8月にSUWAと、2007年4月19日からは青木篤志と共に、それぞれ約1か月間ヨーロッパへ遠征。2007年4月下旬、キング・オブ・ヨーロッパ・カップ(英語: King of Europe Cup)に出場し、1回戦でRQW(英語: Real Quality Wrestling)所属のマーチン・ストーンに勝利するも、2回戦(準々決勝)でPWG所属のデイビー・リチャーズに敗れた。

2007年10月、田上明とのタッグで臨んだGHCタッグ選手権王座決定リーグ戦でGHC初挑戦。1点止まりの最下位に終わる。

2007年9月9日、ノアの日本武道館大会にて、三沢とのタッグで臨んだ無我ワールド・プロレスリングの藤波辰爾・西村修戦は、潮﨑が西村の足4の字固めで敗北。同年12月、無我ワールド・プロレスリングのトーナメントに参戦。1回戦で竹村豪氏に勝利するも、準決勝で吉江豊に敗れた。

2008年1月20日、ノアの後楽園大会で行われたROH世界ヘビー級選手権試合にて選手権者のナイジェル・マッギネスに挑戦するも、ロンドン・ダンジョンで敗れる。同年2月、ノアと業務提携を結んでいるアメリカのROHに、無期限の武者修行という形で派遣。

2008年4月、第1回グローバル・タッグ・リーグ戦に、田上明の要請を受け、一時帰国して田上とタッグチームを結成して出場。1勝止まりの最下位に終わる。リーグ終了後、再び渡米。

2008年8月23日、フロリダ州クリスタルリバーでエリック・スティーブンス(英語: Erick Stevens)が君臨するFIP世界ヘビー級王座に挑戦。ムーンサルトプレスで勝利し同タイトル(第7代)を獲得。同年9月1日、WWEのセントルイス大会のダーク・マッチに出場、ジミー・ワン・ヤンと対戦し敗北。この直後、同団体より所属契約のオファーが届き、潮崎本人も「やってみたい気持ちはあった」というが、3年という契約期間が三沢社長の想定を超えていたことや、日本テレビのノアの地上波放送が翌年3月をもって終了することが内定していた時期ということもあり、契約は成立しなかった。

同年10月4日、ミズーリ州ウエストプレーンズで9人によるバトルロイヤルという形で行われたWLW世界選手権に勝利し、WLW世界ヘビー級王座(第43代)を獲得する。同年12月20日、フロリダ州クリスタルリバーで行われたFIP世界ヘビー級選手権試合でタイラー・ブラックに敗れ、王座から陥落した。

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