清水直行の出身高校

清水直行 プロ野球選手

清水直行卒業高校
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プロ野球選手ランキング
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性別
男性
生年月日
1975年11月24日生まれ

清水 直行(しみず なおゆき、1975年11月24日 - )は、京都府京都市下京区出身(兵庫県西宮市育ち)の元プロ野球選手(投手)・野球解説者。2014年からは、ニュージーランド野球連盟のゼネラルマネジャー(GM)補佐や、野球ニュージーランド代表の統括コーチも務める。

1998年の都市対抗野球・社会人野球日本選手権に出場するが、共に登板機会がなかった。1999年の都市対抗野球2回戦で先発するが、満塁本塁打を被弾して降板、この試合を最後に活動を停止した東芝府中硬式野球部最後の敗戦投手となった。

1999年のドラフト会議において、千葉ロッテマリーンズを逆指名し、2巡目で入団。

2000年、4月1日の対福岡ダイエーホークス戦で初登板。5月4日の対大阪近鉄バファローズ戦で初先発・初勝利を挙げる。その後は中継ぎ投手として起用されていた。

2002年、黒木知宏・小野晋吾が怪我で離脱し、ネイサン・ミンチーが開幕当初不調に陥り、チームも開幕から11連敗と危機的状況の中、先発投手に転向し、プロ野球ワーストタイ記録の開幕12連敗を阻止する。この後先発ローテーションに入る。

2003年、初めてオールスターゲーム出場し、第2戦千葉マリンスタジアムで先発するが敗戦投手となる。リーグ唯一の200イニングを登板する。

2004年、西武ライオンズとの開幕戦で初の開幕投手をつとめ、松坂大輔に投げ勝つ。アテネオリンピック野球日本代表にも選ばれ対ギリシャ戦で先発。勝利投手になる。

2005年、開幕戦の対東北楽天ゴールデンイーグルス戦に登板するが敗れ、楽天球団創立初公式戦での初白星を献上している。この年防御率はロッテの先発ローテーション投手中、最も悪かった。リーグ優勝の際のビールかけ会場では挨拶の際に「今まで迷惑かけて・・・」と言葉を詰まらせ、涙を拭く場面があった(その後は「嘘泣きです!」と明るく振る舞っていた)。シーズン中は味方が4点以上援護した試合は10勝0敗、援護点が4点未満だった試合は0勝11敗という極端な成績であった。

2006年開幕前の3月に、第1回WBCの日本代表に選出された。この大会では、1次リーグの対中国戦に登板しセーブを上げる。2次リーグアメリカ戦ではデレク・リーに同点本塁打を記録される。

シーズンでは、9月2日の対オリックス戦(京セラドーム大阪)の3回、カリーム・ガルシアを空振り三振に打ち取り投球回数1000回を達成。シーズン最終戦の10月1日の対楽天戦に登板し、1失点完投勝利して5年連続2桁勝利を達成。なお2桁勝利での1桁敗戦(10勝8敗)は初。さらに、年々悩まされてきた一発病も、この年は規定投球回に達した投手の中ではトム・デイビー(オリックス)と並んでリーグ最少の被本塁打9本と安定感を見せた。この年まで他の主戦級投手不在もあり、安定した活躍を続けたため、次第にエースとしての認識が定着する。2002年 - 2006年のシーズンに連続2桁勝利を挙げているのは、清水以外に井川慶(阪神タイガース)、石川雅規(東京ヤクルトスワローズ)のみである。現役投手の連続2桁勝利記録は1996年 - 2002年の7年連続の西口文也(西武)。オフには10月から翌年3月まで、TBSラジオでプロ野球選手をオフ期間中パーソナリティに起用した番組『エキサイト・スタジアム』の木曜日を担当。

2007年、3度目の開幕投手を務めるが4失点で6回途中で降板、その後も不安定な投球が続き、1年間ローテーションを守るも6勝止まり。シーズン連続2桁勝利は5年で止まった。特に優勝した北海道日本ハムファイターズに0勝4敗と相性が悪かった。

2008年、キャンプ直前の1月17日に明美夫人が心不全で死去する不幸に見舞われたが、開幕からほぼ一年間、先発ローテーションを守り通して13勝をあげた。9月15日の対福岡ソフトバンクホークス戦では、同点で迎えた9回表に自ら志願して2002年6月以来のリリーフ登板を果たし、1回無失点で切り抜けると、その裏にチームがサヨナラ勝ちを収め、7年ぶりの救援勝利をあげた。シーズン終了後には、同年にFA権を取得する清水に対して、阪神タイガースが獲得を検討するとの報道がなされたものの、残留するという形で翌年の契約更改を行い、2年総額5億2000万円で合意した。1年目が2億4000万円、2年目が2億8000万円という年俸変動性のものであった。

2009年、開幕から不調が続き、6勝にとどまった。11月9日、那須野巧、斉藤俊雄との交換トレードで横浜ベイスターズへ移籍。2年目の年俸2億8000万円は横浜が支払うことになった。背番号は、入団して以来着けていた18番をエースの三浦大輔が着用しているため、同時期にトレードで日本ハムへ移籍した加藤武治が着用していた17となった。

2010年は、6月20日の対阪神戦でプロ通算100勝を挙げる。また、三浦の不調もあって横浜投手陣の柱として活躍し、2年ぶりの二桁勝利である10勝を挙げる。しかし、調子の善し悪しが激しく11敗を喫し、共にリーグワーストとなる防御率5.40と26被本塁打を記録するなど前年より成績は悪化した。

2011年の開幕前に左膝を痛め開幕メンバーから外れると、4月に1試合登板したのみで登録を抹消され、7月に一軍昇格を果たしたが、8月24日に再び左膝を痛めて登録抹消。左大腿骨滑車部損傷と診断され、結局7試合の登板でシーズンを終えて、2001年以来10年振りに規定投球回到達を逃した。オフには2010年の松中信彦(ソフトバンク)と並びプロ野球史上最大(当時)の減額となる2億円減の5000万円で契約更改した。2012年は一軍での登板がなく、10月10日に球団から戦力外通告を受けた。

2013年、所属球団がない状況で、現役続行を視野に左膝のリハビリを続行。2月には東京ヤクルトスワローズの春季キャンプで入団テストを受験する予定だったが、テストの直前に辞退した。同月17日からは、「リハビリ中で所属なしの現役投手」という立場で、『neo sports』(テレビ東京)にコメンテーターとして出演。同年のシーズン中には、現役続行への道を模索しながら、FOX SPORTS ジャパンBASEBALL CENTERおよびBS12 プロ野球中継のロッテ戦中継で解説を務めた。

2014年、ニュージーランド野球連盟のGM補佐と、野球ニュージーランド代表のコーチに就任。清水によれば、DeNAからの戦力外通告後にニュージーランドの野球に興味を持ったことで、「野球への恩返しを兼ねて、野球人口の増加や、2020年夏季東京オリンピックにおける野球・ソフトボールの競技復活に携わりたい」という思いに至ったという。これを機に、同年3月24日付で現役からの引退を発表。以降は、日本で野球解説者としての活動を続けながら、隔月ペースでニュージーランドに滞在して技術指導などに当たっている。6月28日には、QVCマリンフィールドのロッテ対オリックス戦の試合前に、ロッテの主催で引退セレモニーを行った。

2015年7月6日に、第4回WBC予選のニュージーランド代表投手コーチを務める事が発表された。

最速151km/hのストレートの伸びやキレはリーグ屈指と評され、高速スライダー、フォーク、チェンジアップも高レベルであった。2008年にはシュートの割合を増やしたことで復活を果たした。

ロッテに入団した当初、チームには清水将海が在籍していたため、「清水直」と表記された。これが定着したため、チームに同姓の選手がいない場合でもスコアボードでは「清水直」と表記されている。

先発ローテーションの1人として2002年から2006年まで5年連続で規定投球回、2桁勝利を継続していた。その安定した成績や統率力のある性格から、ロッテのエースと呼ばれ、メディアでもそのように紹介されていた。

2014年10月24日、ニュージーランド航空が「壮大すぎる機内安全ビデオ」の日本語版(英語制作/日本語字幕)を公開した。イライジャ・ウッドの右側座席に搭乗する客として出演。これは日本では12月13日に公開される映画「ホビット」シリーズの完結編公開にちなんだものである。撮影が映画内で「中つ国」として登場するニュージーランドのロケであることからの出演で、野球ニュージーランド代表の帽子をかぶっている。日本-ニュージーランド便に採用されている最新のボーイング787-9型機の専用ビデオで、ボーイング777-300ER型機用のビデオには登場していない。

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