浜田廣介の出身高校

浜田廣介 作家

浜田廣介卒業高校
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作家ランキング
389位 / 702人中 作家別偏差値ランキング
性別
男性

浜田 広介(はまだ ひろすけ、旧字体:濱田 廣介、1893年(明治26年)5月25日 - 1973年(昭和48年)11月17日)は、日本の童話作家。本名は廣助。日本児童文芸家協会初代理事長。代表作に『泣いた赤鬼』『椋鳥の夢』『竜の目の涙』などがある。坪田譲治、小川未明とともに児童文学界の三種の神器と呼ばれた。

山形県東置賜郡高畠町の農家に生まれる。米沢中学(現山形県立米沢興譲館高等学校)、早稲田大学英文科卒。

1914年(大正3年)大学入学の年に『萬朝報』の懸賞小説に短編小説『零落』が入選したのを皮切りに何作かの小説を著す。また1917年(大正6年)「大阪朝日新聞」の懸賞新作お伽話一等に『黄金の稲束』が入選したのを機会に、コドモ社の児童雑誌『良友』から童話を発表するようになる。翌年には『途暗し』で北村透谷賞を受けたりするが、やがて童話作家を志すようになる(この間、鈴木三重吉からの『赤い鳥』への参加呼びかけを断っている)。

卒業後ほどなくコドモ社に入社し、児童雑誌『良友』『幼年之友』を編集。1923年(大正12年)から作家に専念した後も同誌から多くの童話を発表する。1925年には早大童話会を立ち上げる。1940年(昭和15年)に日本文化協会児童文化賞、1942年(昭和17年)に野間文芸奨励賞、1953年(昭和28年)に芸術選奨文部大臣賞、1957年(昭和32年)、1961年(昭和36年)に産経児童出版文化賞を受賞。山形県東置賜郡高畠町に記念館が建てられている。

作品は“ひろすけ童話”と呼ばれ、小学校低学年向けの平易な語り口と純朴で心を打つ内容により、絵本などで親しまれている。

だが1953年、鳥越信と古田足日の二人を中心とした「少年文学宣言」が発表され、小川未明と廣介は、古い児童文学として否定されるという、苦渋の晩年も送った。

自作の詩「日本橋から」は古賀正男が無断で曲をつけ佐藤千夜子の歌でヒットした。著作権法に抵触すると聞かされた古賀は浜田に謝罪したが、当の浜田本人はそんなことも知らず、二人で大笑いした。

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