浅見八瑠奈の出身高校

浅見八瑠奈 スポーツ選手

浅見八瑠奈卒業高校
新田高校 偏差値 愛媛県高校偏差値ランキング
スポーツ選手ランキング
605位 / 2530人中 スポーツ選手別偏差値ランキング
性別
女性
生年月日
1988年4月12日生まれ
血液型
A型

浅見 八瑠奈(あさみ はるな、1988年4月12日 - )は、愛媛県伊予市出身の日本人の女子柔道選手である。階級は48キロ級。血液型はA型。段位は四段。組み手は右組み。得意技は背負投、体落、袖釣込腰。父親は講道館杯や体重別等で優勝経験のある浅見三喜夫。

3歳くらいの時から柔道を始めて、幼稚園の時には同級生の男子を投げ飛ばしてすかさず抑え込み、べそをかかせたりしていたが、先生に柔道は喧嘩のために使うものではないと怒られたことにより、それ以降は素人相手に柔道の技を使っていないという。

伊予柔道会に所属していた南山崎小学校時代には、愛媛県青少年柔道大会の学年別大会に毎年出場して、1回を除いて全て優勝を果たした。また、伊予柔道会と新田高校の1年後輩には2011年の73kg級世界チャンピオンである中矢力がいた。その中矢とは少女時代に対戦したこともある。

伊予市立港南中学校2年の8月には全国中学校柔道大会44kg級に出場して、準決勝で富士宮第二中学の清水明子に技ありを取られて敗れるものの、3位となった。

中学3年になると48kg級に階級を上げて、8月の全国中学校柔道大会では決勝まで進出するが、香月中学の湧川のなに0-3の判定で敗れて2位にとどまった。さらに9月には全日本ジュニアにも出場して中学生ながら準決勝まで進出するが、そこで2歳年上である藤村女子高校の山岸絵美に出足払で一本負けして、その後の3位決定戦でも国際武道大学の坂野歩に効果を取られて5位にとどまった。

高校は父親が柔道部を指導する新田高校へ進学した。その父親は校内で一番恐れられていた存在だったこともあり、周囲からはよく「あれが浅見の娘だ」と言われてイヤな思いもしたという。 また、学校では父親を「先生」と呼んで敬語を付けて話さなければならなかったものの、家では「お父さん」と呼んでいた。しかし、会話を交わすことはあまりなかったという。高校2年になる直前の3月に全国高校選手権への出場を果たすが、決勝で大阪工大高校の伊部尚子に大内刈で効果を取られて2位に終わった。 その後、高校2年の8月にはインターハイ準決勝で夙川学院高校の小林咲里亜に内股すかしで敗れて3位、続く9月の全日本ジュニアの準決勝でも山岸に指導1を取られて3位にとどまった。

11月には講道館杯に初出場して初戦は突破するものの、2回戦で近畿大学クラブの大井麻理子に後袈裟固で一本負けして、敗者復活戦でも小林に有効を取られて敗れ、メダルを獲得できずに終わった。 12月は団体戦の愛媛国際親善女子柔道大会に地元愛媛代表で出場して順調に勝ち上がり、決勝で全日本チームと対戦するが、1階級上の選手である淑徳大学の西田優香に背負い投げで一本負けして、チームも2位に終わった。

高校3年の4月には体重別に初出場を果たすが、初戦でミキハウスの北田佳世に背負投で一本負けを喫した。その後、8月のインターハイでは決勝に進出するが、藤村女子高校の浅香夕海に小内刈で効果を取られて2位に終わった。この時、山梨学院大学柔道部総監督の西田孝宏に、「オレが日本一にしてやる!」と声を掛けられたこともあってか、大学は山梨学院大学に進学することを決めた。

続く9月の全日本ジュニアの準決勝では小林に小内刈で敗れて前年に続いて3位にとどまった。11月に出場した講道館杯でも、準々決勝で筑波大学の伊部尚子に効果を取られて敗れるが、3位決定戦ではコマツの宝真由美を判定で破り3位は確保した。

また、高校3年の5月には初めての個人戦での国際大会となる韓国ジュニア国際に出場するが、中国の呉樹根に敗れて3位にとどまった。この時父親に、「48kg級で負けて帰る奴はおらん」と叱咤されたことがきっかけで、「48kg級で負けはあり得ない」と意識するようになった。

2007年に入ると、高校卒業直前に出場した2月のベルギー国際では、準決勝で当時の世界チャンピオンであるキューバのヤネト・ベルモイに有効を取って優勢勝ちした勢いで、決勝でも宝真由美から効果を取って勝ち、国際大会初優勝を果たした。

4月になると山梨学院大学に進学して、その直後には体重別に出場するが、初戦で渋谷教育学園渋谷高校の中村美里に小外刈で2度効果を取られて敗れた。

5月のフランスジュニア国際では、決勝でポーランドのエヴァ・コニエチヌイを破って優勝を果たした。 続いて6月には、団体戦の都道府県対抗全日本女子柔道大会に愛媛県チームの一員として出場して、決勝では体重別で敗れた東京都代表の中村美里と対戦して引き分けるが、チームは敗れて2位に終わった。

9月の全日本ジュニア決勝では、二見中学の福本奈緒を横四方固で簡単に一本勝ちして大学生の貫禄を示して、ようやく全国大会での初優勝を果たした。

続く10月の学生体重別では、決勝で伊部尚子に背負い投げで技ありを取られて、その後には体落で有効を取り返すも2位に終わった。

しかし11月の講道館杯では、準決勝で三井住友海上の山岸絵美に延長戦で効果を取り優勢勝ち、決勝では宝真由美を指導1で破って優勝して、父娘2代でこの大会の優勝を勝ち取った。ジュニアのみならずシニアの全国大会である今大会でも優勝を果たしたことにより、オリンピックの存在を強く意識するようになったという。

さらに、翌週には青島国際に出場するも、準決勝でベルモイに敗れて3位に終わった。続く12月の嘉納杯でも、準決勝で同じくベルモイに朽木倒で技ありと有効を取られるが、攻め返して指導3を取り返すものの結局敗れた。3位決定戦では韓国の金英蘭に崩袈裟固で一本勝ちするも3位にとどまった。この時には、「ベルモイに敗れて悔しいが、銅メダルが取れて、ほっとしている。これから、外国人選手の対策を練って、海外で活躍できる選手になれるように努めたい。とりあえず、組み手に拘り練習したい」と発言した。そのすぐ後に開催された団体戦の愛媛国際親善女子柔道大会に愛媛代表として出場するが、1階級上の相手と2戦して2試合とも引き分けに留まり、チームも予選で敗れた。

2008年に入ると、2月のベルギー国際において、予選リーグ2回戦で有効を取って優勢勝ちした以外は、決勝でフランスのエミリ・ラフォンに大外刈で一本勝ちしたのをはじめ7試合のうち6試合で一本勝ちして、前年に続いて2連覇を果たした。続く全国体育系学生女子体重別団体大会では山梨学院大学の優勝に貢献した。4月の体重別準決勝では、オリンピックを目指すきっかけの選手になったというトヨタ自動車の谷亮子と対戦して、前半指導1を取られるが後半は掬投などで果敢に攻め込んだものの健闘及ばずに敗れた。この対戦では指導1の差しかなかったので、谷をもう少し研究すれば勝てるのではないかという感触をつかめたと言う。

10月の学生体重別決勝では、帝京大学の近藤香が掛けた袖釣込腰を返して効果を取って優勢勝ちを収めて、学生チャンピオンとなった。 試合後の優勝インタビューでは、「決勝の相手は何度も戦っている強い相手、挑戦者のつもりで頑張った。投げを返しただけのポイントなので納得していない、もっと稽古して日本を代表する選手になりたい」と語った。

続く11月の講道館杯では、3回戦で伊部尚子に延長戦の末に判定負け(1-2)するものの、その後持ち直して、宝に判定勝ちを収めて3位に入った。この際、「途中で負けてしまったが、先生がここで諦めるな最後まで自分の柔道をやれと押してくれて、気持ちを立て直すことが出来ました。チームに同じ階級の仲間(黒江優希・濱口光)がいる事は強くなるチャンスなので、いいライバルとして3人で頑張っていきたい」とコメントを残した。

さらに12月の嘉納杯では、準決勝で山岸絵美と延長戦までもつれこんだものの、旗判定(0-3)で敗れ、3位決定戦ではモンゴルのムンフバット・ウランツェツェグに指導3で勝つが、前年に続いて3位にとどまった。その時には「山岸さんとは力の差があると感じた。48kg級は国内の人達が強いので、稽古を重ねて負けないようにしていきたい。海外遠征に行ける事になったが、ランキング制が導入されて、優勝するとポイントが付くのでポイントを取るよう頑張りたい」と語ったが、山梨学院大学女子柔道部監督の山部伸敏には、この大会で外国選手に負けなかった点は評価された。

2009年に入ると、まずは1月のワールドカップ・ソフィアで、決勝でロシアのリュドミラ・ボグダノワに体落で一本勝ちしたのをはじめ、5試合全て一本勝ちして優勝を果たした。2月にはワールドカップ・ウィーンにおいて、決勝こそ呉樹根に指導2での優勢勝ちだったものの、準決勝ではオリンピック金メダリストであるルーマニアのアリナ・ドゥミトルに体落で一本勝ちしたのを含めて、5試合のうち4試合を一本勝ちして優勝を果たした。

続く4月の体重別準決勝では、了徳寺学園の福見友子に延長戦までもつれたが旗判定(0-3)で敗れる。その際に、「福見さんとは初めての対戦だったが組み手を持てなかった、先に組まれて動かされた。福見さんは片手でも技が出せる、自分はまだ2本持たないと力が出せない、判定以上の差を感じた。課題は組み手争いに勝つこと、まだまだです」とコメントを残した。

5月のグランプリ・チュニスでは、決勝でチュニジアのカネス・ムバルキに上四方固で一本勝ちしたのをはじめ、3戦全てを一本勝ちで優勝した。7月には、ユニバーシアード個人戦の決勝で、モンゴルのムンフバットを袖釣込腰で破ったのをはじめ、4戦全て一本勝ちで優勝すると、続く団体戦においては、1階級上の選手を相手に、4試合のうち3試合で一本勝ち、残り1試合は有効を取って優勢勝ちを果たして、日本の団体戦優勝に大きく貢献し、ユニバーシアード2冠を達成した。

その後、10月の学生体重別決勝では近藤香に、延長戦の末旗判定(0-3)で敗れて2連覇はならなかった。その際に、「近藤さんとは7回目の対戦で初めて負けた。悔しいが、相手は何度もこの思いをしたんだとも思った。勝った時よりも今回の方が勉強になった。この悔しさを次の講道館に生かして優勝したい」とコメントした。11月の講道館杯では、準決勝で伊部とGSまでもつれこむものの3-0の判定で勝利するが、決勝では山岸に指導2を取られて優勢負けして2位にとどまった。その時には、「今回は優勝を狙っていたので悔しいです。差はあまり感じなかったが、攻め時に攻めきれなかった。逆に指導狙いの相手の足とり攻撃を3回連続許したことが敗因だと思う」とコメントを残した。

12月の東アジア大会では、決勝で北朝鮮のパク・オクソンを体落で破ったのをはじめ、3戦全て一本勝ちで優勝した。そのすぐ後に地元で開催された団体戦の愛媛国際親善女子柔道大会には愛媛代表で出場して、2戦して2試合とも一本勝ちを果たすが、チームは予選で敗れた。

2010年1月には世界ランキング上位選手が集まるワールドマスターズ大会に出場した。山岸絵美との対戦となった初戦では開始直後に山岸が肩車の動きに入って浅見の脚に手をかけてきたことにより、この大会から正式に導入された、下半身への攻撃は一回で反則負けが適用となる新ルールによって反則勝ちとなると、準決勝では2009年の世界チャンピオンである福見友子に隅落で一本勝ちした。さらに決勝も前年の学生体重別で敗れた近藤香に有効2つを取って優勢勝ちした。かくして、国内のみならず世界においても最大のライバルと言える福見、山岸を直接対決で破って、年間王者決定戦ともいえる今大会を制することになった。この時には、「2人に勝って優勝できて本当に嬉しいです。前から世界に出たいと思っていたのですが、国内で福見さんと山岸さんには勝てなかったので……。でも、自分が世界に出ても勝てるんじゃないかとは思っていました」とコメントした。

続く2月のワールドカップ・ブダペストでは、準々決勝までは一本勝ち、準決勝でドゥミトルに有効を取っての優勢勝ち、決勝では世界ジュニアチャンピオンであるブラジルのサラ・メネゼスに指導3での優勢勝ちを果たして、5試合のうち3試合で一本勝ちして優勝した。

この時点まで、前年1月のワールドカップソフィア以降の国際大会では7連勝を成し遂げ、団体戦の試合も含めて総計34勝を記録。そのうち29勝が一本勝ち(反則勝ち1つを含む)と、一本勝ちの多さが目立った。

しかし翌週、当初出場予定だった山岸に代わって出場したグランプリ・デュッセルドルフでは、準決勝でドゥミトルに腕緘で一本勝ちするも、決勝で福見と延長戦までもつれたが指導2の優勢負けを喫することになった。この結果、国際大会での連勝は7で止まったものの、決勝までの4試合を全て一本勝ちして上がった。

また、2007年12月の嘉納杯でベルモイに優勢負けして以降、この時点まで外国選手には46連勝を果たした(2試合の引き分けを含む)。

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