永井真理子の出身高校

永井真理子 ミュージシャン

永井真理子卒業高校
麗澤瑞浪高校 偏差値 岐阜県高校偏差値ランキング
ミュージシャンランキング
661位 / 829人中 ミュージシャン別偏差値ランキング
性別
女性
生年月日
1966年12月4日生まれ
血液型
A型

永井 真理子(ながい まりこ、1966年12月4日 - )は、ミュージシャン・歌手である。本名:廣田 真理子(ひろた まりこ、旧姓:永井)。静岡県御殿場市出身。麗澤瑞浪高等学校、日本女子体育短期大学保育科卒業。血液型はB型。

永井の生まれた静岡県御殿場市では美容室を営んでいたが、父が病気であったことや家庭を思い、美容室を継ぐか迷っていた。しかし母により、広い世界を見てそれから自身の人生を選択するように助言され、子供が好きなこともあり、まずは保育士を目指して大学進学とともに上京する。

都内での暮らしは楽なものではなかったが、自身には夢があり、そのような暮らしは苦にならなかったという。大学では音楽活動もしたいと思っており、知り合いの紹介で中央大学のバンド「WIZARD」にコーラスとして加わる。やがて「WIZARD」のボーカルが辞め、永井がボーカルを務めることになった。このバンドでの経験により、永井は音楽の世界に魅せられその活動に没頭した。ところが、後に「WIZARD」は解散してしまう。

永井は音楽を諦められず、自ら後に契約することになるファンハウス(現:アリオラジャパン)へデモテープを持参した。デモテープを聴いた同社の音楽関係者から好感触を得て、永井の通っていた大学の学園祭で、自身のライブを見てもらうことになった。永井は即席のバンド「Dance」を結成しライブを行ったが、この中には後に永井に多くの楽曲を提供することになる前田克樹の姿もあった。ライブの翌日に音楽関係者より連絡があり、デビューを前提にアルバム上機嫌の制作を行うことになった。ただ、大学は辞めずにレコーディングなどを行い、大学卒業後の1987年にファンハウス(現:アリオラジャパン)より「oh,ムーンライト」でデビューした。デビュー後の1980年代後半から1990年代前半にかけ、ボーイッシュな雰囲気で人気を得て、「ミラクル・ガール」(1989年)、「ZUTTO」(1990年)など多くのヒット曲を生んだ。

1989年発売のPCエンジンCD-ROM2用RPG「天外魔境 ZIRIA」には、声優として参加。1991年には、第42回NHK紅白歌合戦に初出場を果たし、紅組の9人目で「ZUTTO」を披露した。

1992年8月2日に、日本人女性アーティストとして初の横浜スタジアムでのライブを開催し、翌1993年7月31日にも同スタジアムでライブを開催した。そのライブ公演2回目のアンコールの際、ステージ上でツアーバンド「Hysteric Mama」のギタリスト・廣田コージ(COZZi)と婚約したことを発表した。このライブの模様はWOWOWで生中継された。当時、永井真理子の人気は絶頂期であったが、翌1994年の結婚後のライブツアー「Love Eater」では2年連続横浜スタジアムを満員にした快挙とは打って変わって、空席が目立つなどの現象が起きた。人気急落の原因は永井の結婚・出産によるファン離れや音楽性の変化という諸説あるが、2015年現在も確たる事実は未だ不明である。

1994年にエッセイ『野望の大陸』を集英社より出版。1996年には、長男を出産した。1997年に東芝EMIに移籍。 2003年に家族と共にシドニーに移住し、自主レーベル「BLUE TONGUE」を立ち上げた。その後、TBS系ドラマ『タイヨウのうた』で沢尻エリカが演じる雨音薫が劇中で歌う「Stay with me」の作詞なども行う。2013年に、家族と共に日本へ帰国した。なお、御殿場にある実家の美容室は現在閉店しており、跡地にはTOKAIコミュニケーションズ御殿場支店がある。

2015年現在、歌手活動は事実上停止しているが、音楽活動は引き続き行っていると自身のブログで公表している。

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