榎下陽大の出身高校

榎下陽大 プロ野球選手

榎下陽大卒業高校
鹿児島工業高校 偏差値 鹿児島県高校偏差値ランキング
プロ野球選手ランキング
2239位 / 4783人中 プロ野球選手別偏差値ランキング
性別
男性
生年月日
1988年7月21日生まれ

榎下 陽大(えのした ようだい、1988年7月21日 - )は、北海道日本ハムファイターズに所属するプロ野球選手(投手)。

鹿児島県鹿児島市出身。伊敷台小学校1年時に野球を始め、6年時には県選抜のメンバー入りし、全国大会で優勝。伊敷台中学校時代は軟式野球部でプレー。

鹿児島工業高では3年夏の甲子園(2006年・第88回選手権大会)に出場している。準決勝で同大会の優勝校である早稲田実業高と対戦し、斎藤佑樹に無得点に抑えられて敗れた。

九州産業大学進学後は1年春からベンチ入りし、同年と2年秋、3年秋、4年秋の福岡六大学リーグ優勝を経験した。2年春にはベストナイン、4年秋にはMVPに選出された。リーグ通算31勝7敗。同リーグでは馬原孝浩(九州共立大学)以来となる30勝投手。

2010年10月28日のプロ野球ドラフト会議にて北海道日本ハムファイターズから4位指名を受け、翌29日には、九州大学野球選手権の準決勝・名桜大学戦でノーヒットノーランを達成。プロ入りに関して意中の球団は特になかったが、福岡Yahoo!JAPANドームとの相性などから福岡ソフトバンクホークスでのプレーを夢見ていたという。前述の通りドラフト会議ではソフトバンクではなく日本ハムから指名され、会議後の九州大学野球選手権決勝戦後に「ソフトバンクに取っておけばよかったと思わせる投球をしたかった。いつかまたここ(福岡Yahoo!JAPANドーム)で投げたい」と語った。11月20日、契約金5000万円・年俸900万円で契約(金額は推定)。

2011年7月26日、オリックス・バファローズ戦で4番手として初登板を果たす。先頭の鈴木郁洋から三振を奪うも、その後は四球と連打で1点を失った。

2013年10月4日、福岡ソフトバンクホークス戦で2番手として登板、プロ初勝利を挙げた。

真上から振り下ろすオーバースローから最速150km/hの速球にフォークボール、カットボール、スライダー、90~100km/h台のスローカーブを投げ分ける。

岡島秀樹を彷彿させる、顔が横を向く独特の投球フォームは小学6年時の野球教室で稲尾和久に「投げる時は、捕手をしっかり見て投げなさい」と指摘されて初めて自覚。以来何度もフォームを変えようとしたが、結局現在のフォームに戻っている。

「英語ができれば世界の色んな所に行けるから」という憧れから幼い頃より英語に興味を持ち、野球は高校で辞め、大学卒業後の留学を考えていた。しかし両親の説得により、野球ができて英語の勉強にも取り組める大学への進学を決め、九州産業大学では国際文化学部英文コースに在籍。以前は日本人学校の教師を目指していたが、日米親善高校野球大会の高校日本代表のメンバーとしてアメリカ遠征やロサンゼルスでのホームステイを経験し、今では「メジャーリーグに挑戦する日本人選手の通訳」を夢見ている。また母校の鹿児島工業高校で教育実習を行い、英語の教員免許を取得している。

ルーズショルダー気味のため、キャッチボール前にはチューブトレーニングを欠かさない。

同学年の田中将大と親交があり、同世代では田中と斎藤(上述)が別格だったと語っている。

尊敬する選手にはティム・リンスカムを挙げている。

理容組合北海道日本ハムファイターズ後援会が球団とコラボして、2007年より毎年の最新ヘアデザインのモデルを若手選手の中よりファン投票にて選出している企画「ファイターズスタイル」の2012年度モデルに選ばれている。

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