森唯斗の出身高校

森唯斗 プロ野球選手

森唯斗卒業高校
海部高校 偏差値 徳島県高校偏差値ランキング
プロ野球選手ランキング
2858位 / 4783人中 プロ野球選手別偏差値ランキング
性別
男性
生年月日
1992年1月8日生まれ

森 唯斗(もり ゆいと、1992年1月8日 - )は、福岡ソフトバンクホークスに所属する、日本のプロ野球選手(投手)。

徳島県海部郡海陽町出身(同町は2006年に3つの町の合併により誕生したもので、森が生まれた当時は存在してしなかったが、合併前のどの町で生まれたかは不明)。浅川小学校(2011年閉校)1年生の時に外野手として野球を始め、4年生の時に投手になった。海南中学校(現・海陽中学校)では軟式野球部に所属していた。

海部高校では1年生の時にベンチ入りし、2年生の秋には背番号1をつけていた。3年生時の夏の甲子園・徳島大会では2試合に救援登板し、無失点だったが、チームは3回戦で敗れ、甲子園出場経験は無い。

高校卒業後、三菱自動車倉敷オーシャンズに入部。4年目の2013年、第84回都市対抗野球大会・中国2次予選では45回1/3を投げたが、チームは敗退した。しかし、伯和ビクトリーズの補強選手に選ばれ、本大会1回戦において3番手で登板し、2回を投げ無失点だった。2011年に巨人に入団した田原誠次は、チームでの先輩だった。

10月24日に行われたプロ野球ドラフト会議で福岡ソフトバンクホークスに2巡目で指名され、契約金7,000万円、年俸1,200万円(金額は推定)で合意し、入団。背番号は38に決まった。

2014年、5月2日に出場選手登録され、11日の対西武戦の9回二死の場面で4番手でプロ初登板し、1/3回を投げ無失点だった。18日の対オリックス戦の2回一死で、右肘の靱帯炎症により緊急降板した先発のブライアン・ウルフの後を受け2番手で登板し、この年最長となる5回2/3を投げ、被安打3、与四死球0、奪三振2、無失点だった。26日の対中日戦では同点の11回に登板し、1回を投げ無失点で初ホールドを記録し、7月12日の対日本ハム戦では、1点ビハインドの6回に3番手で登板し、1回を投げ三者凡退・無失点に打ち取ると、7回の裏にチームが逆転して勝利したことで初勝利を挙げた。8月16日の 対オリックス戦では、同点の7回に登板したが2イニング目の8回に2点を失って勝ち越しを許し、初めて敗戦投手になった。夏場以降、いわゆる「勝利の方程式」に組み込まれ、主にリードしている試合の7回に登板、58試合登板と20ホールドはいずれもチームで3番目に多かった(登板試合数は森福允彦と同数)。日本ハムとのクライマックスシリーズでは3試合に登板し、計2回1/3を投げ3失点で防御率11.57、1ホールドの成績で、阪神との日本シリーズでも3試合に登板、1回ずつを投げ無失点、2ホールドの成績だった。二軍では2試合に登板し、計2回を投げ無失点だった。7月17日に行われたフレッシュオールスターゲームのウエスタン・リーグ選抜のメンバーに選ばれたが、試合に出場しなかった 。

オフの12月3日に年俸3,600万円アップの4,800万円(金額は推定)で契約を更改した。

2015年1月4日、前年の12月28日に徳島県出身の元会社員の女性と結婚していた事が発表された。

この年、開幕は一軍で迎え、3月27日の対ロッテ戦との開幕戦では2点ビハインドの9回に2番手で登板し、1回を投げ1失点だった。6月10日の対阪神戦では、2点ビハインドの6回一死の場面で登板して2回2/3を投げ、1試合の連続奪三振数の球団タイ記録に並ぶ7者連続奪三振を記録した。この年のオールスターゲームのファン投票の中継投手部門で1位を獲得したエディソン・バリオスが、右肩の関節周囲炎により出場を辞退したため代わりにメンバーに選ばれ、7月17日に行われた第1戦の7回に4番手で登板し、1回を投げ被安打2、奪三振1、無失点だった。7月16日、第1回WBSCプレミア12の日本代表第1次候補選手に選出された事が発表された。9月10日に、第1回WBSCプレミア12の日本代表候補選手に選出された事が発表された。

直球の最速はプロ入り後に150km/hを計測。変化球はスライダー、カーブ、カットボール、スプリットを投げ、プロ1年目の春季キャンプでパームボールの習得に挑戦し、オープン戦では実際に投じた。

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