柄谷行人の出身高校

柄谷行人 コメンテーター

柄谷行人卒業高校
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性別
男性
生年月日
1941年8月6日生まれ

柄谷 行人(からたに こうじん、1941年8月6日 - )は日本の哲学者、思想家、文学者、文芸評論家。本名は柄谷 善男(よしお)。兵庫県尼崎市出身。

筆名は夏目漱石の小説『行人』にちなむ、と一般に言われるが、本人は否定。「kojin」という語感と響きから偶然に思いついたという。

「国家」「資本」「ネーション」とは区別されるものとして、近年では「アソシエーション」という言葉を強調している。それにもとづき、2000年6月にはNAM(New Associationist Movement)を立ち上げる(2003年1月解散)。

1969年、夏目漱石を主題とした「意識と自然」で第12回群像新人文学賞評論部門を受賞。文芸批評家としてのキャリアをスタートさせる。20代の柄谷は、吉本隆明を高く評価していたことが初期論文の「思想はいかに可能か」や「心理を越えたものの影」からうかがわれる。また、評論に夏目漱石を選んだのは、『漱石とその時代』等の漱石論・保守派的な論客で知られる江藤淳に読んでもらいたかったからだという。柄谷は若い頃には江藤淳の文章を筆写して文章の練習をしていた。1975年にアメリカ・イェール大学で日本文学の講義を受け持ったのは江藤淳の推挙である。

文芸批評家としては「内向の世代」(古井由吉・後藤明生)を擁護。また中上健次とは、デビュー前から友人であり、その作品の終生における同伴者となる。中上の死の時には弔辞も読んでいる。また、デビュー以来の漱石論は断続的に執筆し続け、作品論としては『草枕』『門』『三四郎』『明暗』『道草』『それから』『虞美人草』を新潮文庫版のそれぞれの解説に執筆している。

1973年新左翼運動衰退のメルクマールとなる連合赤軍事件を暗に主題とした「マクベス論」を発表。以降「内面への道が外界への道である」として、文芸批評の枠を超え、理論的(再)吟味を中心とした仕事を数多く行うこととなる。その中心にすえられたのが、価値形態論を中心としたマルクス『資本論』の読み直し・再解釈である。いままでのマルクス・レーニン主義の視点からでないマルクスを発見する、そして新たな連帯・コミュニケーションの形を見つけ出す、という目論見に基づくものであった。

1973年「マルクスその可能性の中心」連載を『群像』で開始(1978年出版)。また1975年には、アメリカ・イェール大学で、ポール・ド・マンと出会う。1980年代に有名となった文芸理論としてのディコンストラクション、イェール学派のド・マンを通して、1978年には哲学の脱構築のジャック・デリダにも出会った。

その理論的仕事は三浦雅士編集長下の『現代思想』(1973 - )(青土社)に発表されることが多く、蓮實重彦とともに1983年浅田彰『構造と力』で始まる「現代思想ブーム」「ニューアカデミズム」の一端を70年代において準備した。三浦は柄谷の『心理を越えたものの影ー小林秀雄と吉本隆明』で「同時代人を発見した」と思ったという。『現代思想』では70年代、当時注目の言論人としばしば対談を行い、三浦は柄谷を雑誌の方向性の中心に据えたという。

80年代、立て続けに『隠喩としての建築』『言語・数・貨幣』『探究Ⅰ』『探究Ⅱ』を発表。いわゆる「構造主義」「ポスト構造主義」の理論的再吟味とマルクス『資本論』の価値形態論の再吟味を同時に行う仕事を行った。その仕事は1995年『Architecture as Metaphor』としてまとめられ、英語版が出版された(2003年の岩波版『隠喩としての建築』はその和訳である)。日本における80年代消費社会とポストモダニズムの安易な結合を批判した『批評とポストモダン』(1984)と合わせ、その仕事は80年代、一世を風靡した。例えばこの時期、大岡昇平は『批評とポストモダン』に小林秀雄のデビュー作「様々なる意匠」の再来を見出し、東浩紀は2000年代になって、同書を柄谷の作品で最も優れたものと評した。

1986年にはフランスポンピドゥー・センターで「前衛の日本」という大展覧会あわせて開催されたシンポジウムに蓮實重彦・浅田彰とともに出席した。

『探求Ⅱ』連載終了後の1988年から、数回の中断をはさみながらも、雑誌『思潮』『批評空間』を浅田彰とともに主宰(2002年まで)。スラヴォイ・ジジェクを日本ではじめて本格的に紹介し特集をくむなど、浅田彰の国際的な編集能力に助けられた。アドバイザリー・ボードと称するメンバーにはエドワード・サイード、岩井克人、鈴木忠志らが名を連ねた。また若手批評家として東浩紀を生み出した。柄谷本人は90年代、この雑誌を中心に、それまでの構造と実存、あるいは個別性と単独性、一般性と普遍性の区別についての議論を、カント再吟味という形に移して継続した。

また1990年代は、ポストモダン建築・脱構築主義建築の代表的作家である磯崎新、ピーター・アイゼンマン、イグナシ・デ・ソラ・モラレスが主宰した建築と多領域の対話の場としての国際会議Any conference(1991 - 2000)に参加。デザインや建築といった分野でも脱領域的に読まれることとなる。ロサンジェルスで行われたANYの第1回目の会議の最初のパネルではデリダと一緒に壇上に並んだ。

1995年には、カリフォルニア大学アーバイン校で、「エクリチュールとナショナリズム」という論文を「人文科学の言説に関する国際会議」で発表。デリダがコメンテーターを務めた。

1991年には、日本の湾岸戦争関与に反対してアピールする文学者たちの中心人物として運動を主導した。

1994年、法政大学の国際文化学部新設の取り下げに反対して教員によるロックアウトを行う。なお、法政大学では第一教養部に所属し、英語を担当しており、文学部の所属ではなかった。

2001年、『トランスクリティーク カントとマルクス』を、その前年に自らも関わって立ち上げた生産者協同組合である、批評空間社から出版、その内容をもとに、2000年6月、アソシエーション=「国家と資本への対抗運動」の活動、NAM(New Associationist Movement)を立ち上げる。『NAM原理』(2000・太田出版)は、WEB上でその内容が公開されていたにもかかわらず当時1万7千部以上売れた。著名なエコロジー活動家など多数が参加し、最大700人の会員数を数えた。2001年9月11日にアメリカ同時多発テロ事件発生した際、NAMのサイトに「テロにも報復戦争にも反対する」という旨の声明が出た。なお『批評空間』のWEBサイト上で、9.11同時多発テロに対する柄谷行人のコメントとして「これは予言ではない」と題する文章が掲載された。

2001年12月にはWEB上でのヴァーチャルな取引を、制度設計として組み込んだことを目玉とする地域通貨Qを、NAMとは独立した任意団体として西部忠を中心に立ち上げた。当初の予定では、批評空間社もこのQに参入し、productsを部分的にQ支払い可能にし、出版・メディア、そして最終的には流通一般そのもの、の既成の仕組みを徐々に変革していくことが目指されていた。第3期批評空間創刊記念シンポジウムでは、建築や芸術のジャンルから磯崎新や岡崎乾二郎らがパネリストとして並び、地域通貨Qによる流通の変革への期待が述べられた。しかし、人間関係の軋轢、未知の問題点の噴出、ネット上でのコミュニケーションからおこる通信上の混乱などで、NAMは2003年1月に早々と解散。あるいは柄谷が「身も蓋もなく潰」した。批評空間社も社長兼『批評空間』の編集者の内藤祐治の死(2002年春)を契機に解散した。

『トランスクリティーク』自体は2003年NAM解散後、MIT(マサチューセッツ工科大学)出版から英語版が出版された。ジジェクはこれを「必読の書」と評した。しかしながらジジェクは、その中で、柄谷のカント読解がヘーゲルによるカント批判を軽視しているのではないか、商人資本の強調が労働価値説の位置を不確かなものにしているのではないか、地域通貨という解決策にも疑念が残るのではないか、と疑問を羅列するかたちで指摘している。また日本語版としては、岩波書店から柄谷行人集第三巻『トランスクリティーク』(2004)と言う形で第2版が出された。なお柄谷のカント読解は、初版出版時、岩波新カント全集監訳者の坂部恵から高い評価を受けている。

また、柄谷は自身の「トランスクリティーク」という言葉はガヤトリ・C・スピヴァクの「プラネタリー」という言葉と親和性が高いとしている。プラネタリー(惑星的)とはスピヴァクによると グローバリゼーション(地球全域化)という言葉への「重ね書き」」として提案された。実際、短期間所長をつとめた近畿大学人文研のキャッチフレーズは「プラネタリー(惑星的)な思考と実践」「芸術とは何かを発見する術であり、認識を新たにする術であり、社会の生産のあり方をも変革する力、すでに存在する事物の再生産ではなく、まだ認識もされなかった事物を新たに見出し生み出す力、さらにその新たな事物を交換、流通させていくメディアの創設、社会関係の構築」であった。

2004年5月には近畿大学人文研での講義をもとにした『近代文学の終わり』を早稲田文学に発表。「若い人は「文学」をもうやらなくて結構です。かつての「近代文学」と持っている意義は同じだけど、何か、違うことを実現してください」という主旨を述べた。柄谷は、事実上この前後から文芸批評を行っておらず、このジャンルから撤退同然である。別の場所では「これまでのスタンスのままで「文学」をいうことはできない。文学を続けたかったら、むしろそれを否定しなければならない」とも述べている。

2004年11月には、京都大学で、この年の10月9日に亡くなったデリダの追悼シンポジウムに参加。その中で「トランスクリティークとはディコンストラクションの否定ではなくその徹底化であると考えてもらってもいい」と述べた。

また同じく2004年に岩波書店から定本柄谷行人集(全5巻)を刊行。英語やその他の言語に翻訳された著作・論文のみを選定し、今までの仕事を「定本」としてまとめた。

2003年にMIT出版から『Transcritique on Kant and Marx』を刊行。

2004年に岩波書店から定本柄谷行人集(全5巻)を刊行。英語やその他の言語に翻訳された著作・論文のみを選定し、今までの仕事を「定本」としてまとめた。

2005年4月から朝日新聞の書評委員。

2006年3月に[近畿大学国際人文科学研究所]所長を、副所長で、坂口安吾研究者の関井光男(柄谷とともに新坂口安吾全集を編集)とともに辞任。2006年1月19日の公開最終講義以降、外国を含め、大学においてゼミは行っていない。現在は自宅近くで、半年に一度、長池講義という無料の公開講義を行っている(2007年11月より)。

2006年4月には「21世紀の教養新書」として再出発することになった岩波新書赤版から刊行数1001点目・装丁リニューアル第1弾として『世界共和国へ』を出版。なお「世界共和国」という言葉はカントの『永遠平和のために』(1795)からとられている。

2007年10月、アメリカスタンフォード大学で講演を行った。映像は、YouTubeで見ることができる。

近年は佐藤優(『獄中記』)や宮崎学(『法と掟と』)への評価が高い。柄谷のアソシエーション=「国家への対抗」が必然的に国家の法・実定法と緊張関係に入る、あるいは、それとは一定程度独立した自治的空間の創出を目指すことになる、ことから、さまざまな具体的な模索をしていることの一環(宮崎学「掟」への高評価・中間団体(丸山真男)の評価)だと思われる。またヴィトゲンシュタインやオースティン、ハーバート・ハートの流れを汲む英米法哲学の主流派の一人、ジョン・ロールズ(『正義論』『万民の法』)をカント的理念を法に持ち込むものとして高く評価している。

なお、ネグリ=ハートのマルチチュード(有象無象)論に関しては、「二元性(帝国(グローバルな資本主義)対マルチチュード)は、諸国家の自立性を捨象する時にのみ想定される」、つまり国家を軽視している、と懐疑的である。とはいえ、90年代終わり「『トランスクリティーク』を書いた時点では、(…)ネグリらの観点と似たものを持っていた」「グローバルな資本主義の深化が、ネーション=ステートというものを希薄にすると考え」ていた、とも認めている。

新自由主義・リバタリアニズムに関しても、その思潮は、リベラルな外観のもとに、実質的に、国家と資本、政治と経済の結合を強め、国家的統治を強化することにしかならず、しかもそのことを隠蔽する、と批判的である。

現在はフェアトレード事業を行っているオルタートレードの機関誌・季刊『at』(太田出版)において『「世界共和国へ」に関するノート』を連載中。国家論や互酬制・相互扶助論についての原理的な論究を行っている。

2008年1月には『新現実』Vol.5(太田出版)で、大塚英志と対談。その中で柄谷は「批評空間の立ち上げはもう無理」「NAMも同じで、違う形ではやるかもしれないが、俺がもう二度とやるとは思うなよ」と述べている。

地球温暖化などの環境問題に関しては、物理学者槌田敦の地球温暖化二酸化炭素原因説=原子力発電奨励批判に注目している。同様な趣旨で、2008年4月7日朝日新聞紙上に「科学者の課題は何ですか」という分子生物学者福岡伸一氏とのクロストークが掲載された。

早稲田大学2008年4月1日入学式での不当逮捕抗議声明(すが秀実の項を参照)に賛同署名している。

2010年6月、岩波書店から『世界史の構造』を出版した。

1980年の『日本近代文学の起源』における「『文学』という概念は歴史的にもともとあったものではなく、近代になって『源氏物語』や井原西鶴などが、『文学史』として再発見され、作りだされた」といった議論は、大きな影響力をもった。その後、「○○は近代になって、人工的に産み出された概念である」というように、様々な論者によって流用されてきた。しかし1978年に『日本近代文学の起源』が『季刊藝術』に連載されていた時点で、亀井秀雄が『群像』での連載「感性の変革」において、「起源」の同定作業が不徹底であるなど厳しく批判した。が、柄谷は応答しなかった。さらにアリエス『<子供>の誕生』の剽窃だとする批判もあるが、本人は読んだことがない、と否定している。

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