松山竜平の出身高校

松山竜平 プロ野球選手

松山竜平卒業高校
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性別
男性
生年月日
1985年9月18日生まれ

松山 竜平(まつやま りゅうへい、1985年9月18日 - )は、広島東洋カープに所属するプロ野球選手(外野手、内野手)。背番号は44。

鹿児島県大崎町出身。大崎小学校3年生の時にソフトボールを始め、6年生で全国大会優勝。ソフトボールスポーツ少年団の監督の勧めで左打ちに転向した。その監督が福留孝介を育てた新留勝郎監督である。当時松山は捕手を務めており、同チームの1学年下には榎田大樹が在籍していた。大崎中学校時代は、ボーイズリーグの「鹿屋ビッグベアーズ」に所属し、鹿屋中央高校では1年生からエースで4番だった(甲子園には出場していない)。高校時代は猛練習が実を結び、3年時春には100mだった遠投が夏には123mにまで伸ばし、苦手だった50m走の記録も春の6秒5から夏には6秒まで伸ばしている。九州国際大に進学し、1年春から出場。2007年6月の全日本大学野球選手権大会では、2回戦に早大の斎藤佑樹から二塁打を放ち注目された。4年間で首位打者2回、本塁打王1回、打点王3回に輝き、通算安打は122本で、九州六大学リーグの新記録を作る。大学通算打率.412、通算三振数は18(1試合平均0.24個)。福岡大の白仁田寛和投手とは、九州六大学野球のライバルであった。2007年11月19日のプロ野球大学生・社会人ドラフト会議で広島東洋カープに4巡目で指名された。入団時の意気込みとして背番号37を永久欠番にしたいと語り、登録名に関しても活躍後に“竜平”に変更したいと語った。同年11月26日に契約金5000万円、年俸1000万円(推定)で仮契約。

1年目の2008年は開幕一軍を逃したものの、ウエスタン・リーグ開幕からチームの中軸として好調を保ち、4月24日に一軍昇格。代打による2打席のみで二軍に降格したが、その直後二軍では4番に定着。疲れや守備練習に時間を割くこともあって調子を落とすこともあったが、ウエスタン・リーグの打点王を獲得。安打もリーグ最多を記録した。課題の守備は将来を睨んで三塁の練習をしているが、ウエスタン・リーグの試合では主に一塁を守る機会が多かった。それまでやっていた外野は2試合のみの出場だった。

2年目の2009年は春季キャンプの途中に肉離れでリタイア。4月に二軍に合流すると5月にはウエスタン・リーグの月間MVPを受賞する活躍を見せたが、その後の不調が響いて一軍出場はなかった。守備では三塁の守備に就く機会が前年の5試合から33試合に増えた。

2010年は主に一塁手としてウエスタン・リーグの試合に出場。前年に続き一軍出場はなかった。2010年11月、大学時代に知り合った広島県出身の女性と結婚を発表。すでに同年より、同居生活を送っており、12月12日(この日は自身の入団会見の日にあたる)に入籍。2011年2月には第一子が産まれる予定であることを明かした。

2011年は岩本や天谷の不振で1軍昇格すると、6月9日の埼玉西武ライオンズ戦で涌井秀章から決勝打となるプロ初本塁打を放ってチームの連敗を10で止めた。7月5日の横浜ベイスターズ戦では初の3安打を放ち、結局この年は自己最多68試合に出場。打率.270、3本塁打の成績を残した。

2012年は前年度の活躍が評価され、オープン戦でチーム唯一の全試合出場。打率.403の好成績を残し、オープン戦の首位打者となった。この活躍で開幕を一軍で迎えた。ところがシーズンが始まると突如打てなくなり、一軍と二軍を往復する生活が続くも、8月21日の横浜DeNAベイスターズ戦では初の4番に座り、8月30日の東京ヤクルトスワローズ戦では4番としての初打点を挙げた。結局この年は打撃部門の全てで前年度を下回り、打率もあわや1割台と打撃不振に苦しむシーズンとなった。

2013年は廣瀬純などと外野の枠を争い、シーズンを通して一軍に定着する。最終的に規定打席到達はならなかったものの自己最高となる打率.282、10本塁打、52打点、OPS.732を記録した。

2014年は春季キャンプ2日目に故障したが、オープン戦は9試合に出場し打率.452を記録するなど打撃好調だった。開幕2戦目の中日ドラゴンズ戦に3番ライトでスタメン出場した。その後は打撃不振が続いたが、徐々に調子を上げ3割を維持していた。しかし、6月13日の埼玉西武ライオンズ戦で左前十字靱帯を損傷し、約2ヵ月の戦線離脱となった。規定打席到達はならなかったが、打率.318、7本塁打、34打点、OPS.815を記録した。前記のような活躍にも関わらず、背番号37を剥奪され、迎祐一郎の引退で欠番になった44番に変更された。

2015年は開幕戦に5番レフトでスタメン出場した。4月18日の中日戦で故障し、戦線離脱となった。復帰後はファースト、レフト、ライト、指名打者など様々なポジションでの出場が続き、左投手が先発する試合では、左の代打の切り札としての出場が多くなった。6、7、8月の月間打率がそれぞれ.391、.348、.387と打撃好調で、8月終了時点では3割を維持していた。しかし、9月に深刻な打撃不振に陥り、最終的には打率.277、7本塁打、26打点、OPS.795でシーズンを終えた。阪神タイガースの藤浪晋太郎を得意とし(打率.583、本塁打1、打点3、四球1)、藤浪キラーと呼ばれた。10月20日、秋季練習中に右太もも裏を故障し三軍調整となった。

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