服部孝宏の出身高校

服部孝宏 スポーツ選手

服部孝宏卒業高校
世羅高校 偏差値 広島県高校偏差値ランキング
スポーツ選手ランキング
1857位 / 2530人中 スポーツ選手別偏差値ランキング
性別
男性
生年月日
1971年11月27日生まれ
血液型
A型

服部 孝宏(はっとり たかひろ、1971年11月27日-2000年6月29日)は広島県世羅郡世羅西町(現在世羅町)出身の陸上(長距離走・マラソン)選手。身長179cm、体重59kg、血液型A型。

男子陸上競技界では名門の広島県立世羅高等学校を卒業後、1989年カネボウに入社。カネボウ陸上競技部に所属。当時の監督は就任したばかりの伊藤国光。当時の部員に高岡寿成、早田俊幸らがいる。

1995年2月、別府大分毎日マラソンでマラソンデビュー。成績は2時間17分15秒の12位。 1996年2月、東京国際マラソンで8位入賞、2時間12分41秒。 着々とタイムを上げていく。

1997年2月、東京国際マラソンで、旭化成の川嶋伸次・谷口浩美を抑え、レース後半はトップを独走。 終盤、NTT西日本(当時はNTT中国)の清水康次が迫り、首位争いを演じたものの、後半の上り坂で失速。 惜しくも清水に首位を明け渡したが、自己最高順位の2位入賞を果たした。このときのマラソン記録も自己最高の2時間10分21秒をマーク。

マラソン競技デビューから4戦目で、同1997年8月開催の世界陸上アテネ大会の男子マラソン日本代表に選出。 アテネのレース本番では猛暑による悪コンディションで日本代表チームのペースは軒並み上がらず、日本人最高位の真内明2時間21分23秒 22位、川嶋伸次 2時間22分33秒 25位、花田勝彦2時間25分00秒 34位、服部は2時間26分33秒 40位。東京国際マラソンで首位争いをした清水康次は2時間37分11秒で58位だった。

翌年1998年2月の東京国際マラソンでは2時間17分20秒の17位。 記録の伸び悩みもあり、この後カネボウ陸上競技部を退部。本格的なマラソン競技から引退。

2000年6月、山陽自動車道、玖珂インターチェンジの出口ランプで交通事故に遭い、夭折。28歳の若さだった。

服部孝宏の関連人物

スポーツ選手偏差値ランキング 職業から有名人の出身卒業高校を探す

スポーツ選手偏差値ランキング

県別高校偏差値

関東

北関東

関西

北海道/東北

甲信越

東海/北陸

中国

四国

九州・沖縄

おすすめコンテンツ

全国高校偏差値ランキング
職業から有名人の出身高校を探す
有名人の名前から高校を探す

全国自治体別高校偏差値ランキング