徳本一善の出身高校

徳本一善 スポーツ選手

徳本一善卒業高校
沼田高校 偏差値 群馬県高校偏差値ランキング
スポーツ選手ランキング
960位 / 2530人中 スポーツ選手別偏差値ランキング
性別
女性
生年月日
1979年6月22日生まれ
血液型
O型

徳本一善(とくもと かずよし、1979年6月22日 - )は、広島県広島市佐伯区美鈴が丘生まれの陸上競技選手。モンテローザ所属。2011年より駿河台大学コーチ、現在は監督。ニックネームは「徳さん」。血液型:O型。

父親が陸上競技好きで、父親との親交を深めるために陸上部入部を決意。小学校のマラソン大会で1位になったことも陸上部入部の要因となった。しかし、当時は走ることは余り好きではなく、SLAM DUNKの影響からバスケットボール部への入部と迷う場面もあった。

美鈴が丘中1年時は100m、走り幅跳びを専門種目としていた。中学1年の秋に1500mに出場し、2年時から本格的に長距離に転向。2年時には1500m、3000mにおいてその才能を開花させ、一躍同学年の全国レベルに名乗りを上げた。3年時には全国大会で1500m2位、3000m3位になった。この1500mのレースではゴール目前までトップを走るも、ガッツポーズをしている間に逆転されてしまった。

当初、広島県立西条農業高等学校へ入学予定だったが広島市立沼田高等学校の指導者・三浦学に憧れ沼田高校に入学。高校1年時に中国大会6位でインターハイ1500mに出場。その直後の8月17日、三浦が交通事故で亡くなりショックで練習に手がつかない日々が続いた。

1年時の冬に疲労骨折し水泳や自転車の練習に明け暮れる。2年時のインターハイ予選には800mだけ出場し、準決勝敗退。しかし地元広島国体の1500mでは4位に入賞。2年時の冬にまたも疲労骨折したが、3年時のインターハイ予選には800m、1500m、5000mと3種目に出場、3種目とも本選に進出した。結果は800m準決勝敗退、1500m2位、5000mは棄権した。(1500mの優勝者は高校記録、ジュニア記録を持つ佐藤清治) 高校最後の試合は日の丸を付けて走りたいとの思いから卒業式と日程が重なる福岡国際クロスカントリー大会に出場しジュニア8km優勝。世界クロスカントリー選手権日本代表となる。

13大学、4実業団から勧誘があったが選手を縛り付けず、比較的自由な練習メニューと結果を残せばルーズな服装もある程度許される環境に惹かれ法政大学社会学部に入学。練習でも先輩後輩関係なくやる気のない部員には罵声を浴びせ、大会前には度々強気な発言もするビッグマウスなところもあったが、現実にインターカレッジでは1500m、5000m、10000mで活躍し、大学陸上界を代表する選手となった。

またユニバーシアード北京大会で銅メダリストになるなど、国際舞台でも活躍した。トレードマークは茶髪、時に法政カラーのオレンジに染め抜いた髪とオークリーのサングラス。朴訥系の多い学生陸上選手の中にあっては異様なキャラだったため、箱根駅伝を中継する日本テレビを中心にマスメディアが大きく取り上げ、「ビジュアル系ランナー」「爆走王」などとして注目された。徳本の影響でこの後も法大は派手なチームカラーを前面に押し出している。法大のエースとして、2年時には1区スタートから飛び出すとそのままトップで中継し区間賞、2区・坪田智夫(現:法政大学陸上競技部監督)とオレンジ旋風を巻き起こす。3年時には2区を走り、板山学(中央大学、現:同校・長距離専任コーチ)、岩水嘉孝(順天堂大学、現・資生堂ランニングクラブアシスタントコーチ)、神屋伸行(駒澤大学、現:ランニングアドバイザー・KAMIYAランニングクラブ代表、東京経済大学陸上競技部コーチ兼駅伝ブロックヘッドコーチ)らと競って区間2位。4年時にも2区を走ったが、5.4km地点で右足肉離れを発症。成田道彦監督らに止められ、途中棄権となった。徳本は大会史上8人目の途中棄権者であり、スタートから28.6km地点での途中棄権は箱根駅伝史上最短である。かねてからのビッグマウスぶりには味方と同時に快く思わない人も少なくなく、彼のホームページの掲示板に誹謗中傷が相次ぎ、一時閉鎖に追い込まれたこともある。ただこの途中棄権が転機となったのか、次第に強気な発言は影を潜め、人間的にも丸くなっていく。社会人1年目には母校の夏合宿に参加し、「ひょっとしたら俺はまだ法政大学なんじゃないかと思った。学生の時は言いたいことばっか言って父親的な感じだったけど、今だったら『こうしたら速くなれる』とか、相手の悩みに答えてあげられる、そんな母親的な自分もいますね」と振り返っている。

様々な企業から勧誘を受けるが、日清食品白水昭興監督の「自分らしく競技できるのが一番いいんだ。お前は金髪が似合う。それでいいじゃないか。」という言葉に惹かれ日清食品に入社。 2003年、2004年、日本選手権男子5000m連覇。2003、04年にはパリ世界陸上選手権、アテネオリンピック5000m標準B記録である13分25秒40を突破するために積極的に海外レースに参加。しかし僅か0.8秒及ばず世界への挑戦は断念。一時スランプに陥っていたが、ひざを手術し2006年頭に復活。2006年世界クロスカントリー選手権福岡大会の男子シニア12キロの代表に選ばれた。同年には全日本大学駅伝の移動中継車の解説と2007年箱根駅伝でゲスト解説を務めた。

2007年東京マラソンで初マラソン。記録は2時間15分55秒で5位入賞だった。

2011年11月、駿河台大学に選手兼コーチとして就任。2012年4月より監督に就任するとともに、モンテローザにも社員として所属しつつ、現役ランナーを続けている。

2012年12月、防府読売マラソンにて2時間14分48秒の4位入賞を果たす。日清食品グループ時代の自己記録を更新。

ファッションブランドでデザイン提案をするなど、そちらの方面でも才能を発揮、自分のブランドを立ち上げたこともある。既婚、1男1女の父。

トラック&フィールド年次ベスト(太字は自己記録)

ロード年次ベスト(太字は自己記録)

駅伝成績

3年

1年

2年

3年

1年

2年

3年

4年

1年

2年

3年

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