山森雅文の出身高校

山森雅文 プロ野球選手

山森雅文卒業高校
熊本工業高校 偏差値 熊本県高校偏差値ランキング
プロ野球選手ランキング
1842位 / 4783人中 プロ野球選手別偏差値ランキング
性別
男性
生年月日
1960年11月26日生まれ

山森 雅文(やまもり まさふみ、1960年11月26日 - )は、熊本県宇城市出身の元プロ野球選手(外野手)。1988年登録名は山森 眞幸。

熊本工業高校入学当初は投手であったが、監督に投球フォームを変えたほうがいいと指摘され、これが気に障り外野手に転向した。高校卒業後1978年のドラフト会議で阪急ブレーブスに4位指名され入団。会議当日は自動車教習所で普通運転免許の学科試験を受けていた。

守備は上手かったが、打撃が思うように行かず、毎年のように打撃力向上が課題とされていた。しかし、大事な場面で打席が回ってきたときの安打は多く、1984年には初の満塁本塁打を、翌年には2本の満塁本塁打を記録し、勝負強さを示している。1986年には規定打席に到達していないにもかかわらず守備が評価されゴールデングラブ賞を受賞。1994年に現役引退。

引退後、1995年に上田利治監督の下で日本ハムの一軍外野守備走塁コーチ、2000年二軍コーチ、2001年からオリックス二軍のコーチを歴任。2004年限りで退団。

2005年11月には台湾・統一ライオンズの打撃コーチに就任が発表されたが、就任前に辞退した。2007年より、千葉ロッテマリーンズのスカウトに就任し2011年からはロッテの一軍外野守備走塁コーチを務め、2012年からは同球団の二軍外野守備走塁コーチを務める。10月15日、球団から来季のコーチ契約更新はない旨を通知された。2013年からは再びスカウトを務める。

愛称はゾンビ(映画『ゾンビ』を他の選手と見に行き、その映画に出てくるゾンビに似ていたことから)。

1981年9月16日に阪急西宮球場で行われた阪急対ロッテ後期11回戦にて、山森は今も語り継がれるファイン・プレーというべき捕球を行った。

1回表ロッテの攻撃で、2番の弘田澄男は阪急先発の山田久志のボールを打ち返し、山森の守るレフト方向へ、高く舞い上がる大きなフライを放った。この大きな当りはレフトのラッキーゾーンを超えてホームランになる、そう誰もが思ったが、山森は自分の身長よりもかなり高いラッキーゾーンの金網の最上部に右足の中段でのワンステップだけでまるで猫のように飛び乗ると、左足と右手を金網に掛けて右足でバランスを取りつつグラブを差し出した。ボールは山森の構えるグラブへ吸い込まれ、ホームランと思われた打球はこのプレーによってアウトとなった。

このプレーでアメリカの野球殿堂関係者が「日本人第一号の米国野球殿堂入り」を決めた。このことで、日本中で大きな話題となった。現在も殿堂入りしたメジャーリーガーと同じように写真とこのプレーをした時の映像が流されている。また、アメリカのテレビで放送されたホームランキャッチベスト10特集で並み居るメジャーリーガー達を抑えて1位を獲得したこともあった。

名称だけを見ると曲芸のような技と思われるが、山森は試合前の練習中常にフェンスの高さ、フェンスまでの距離を確認し、金網の上を歩く練習までしていたと言われており、実際には常日頃からの準備が実った結果と言える。山森もこのプレーは「練習の延長の様なもの」としか思っておらず、殿堂入りするまではよく覚えていなかったといい、むしろ翌日に弘田から「よくもオレの数少ないホームランを取ってくれたな」と怒られたことを覚えていたという。

またこの当時、「山森が捕球したままスタンド(ラッキーゾーン)に落ちたらホームランなのかアウトか?」と話題になったが、あの体勢で捕球後にスタンドに落ちてもボールを落とさなければ打者はアウトである。

【9月16日】1981年(昭56) 本人も忘れていたプレーで“米野球殿堂入り”した山森 - スポニチ

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