山口多聞の出身高校

山口多聞 政府高官

山口多聞卒業高校
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114位 / 192人中 政府高官別偏差値ランキング
性別
男性
生年月日
1892年(明治25年)8月17日生まれ

山口 多聞(やまぐち たもん、1892年(明治25年)8月17日 - 1942年(昭和17年)6月6日 は大日本帝国海軍 日本海軍の軍人。海軍中将 位階 正四位 勲等 勲一等金鵄勲章 功一級。東京市小石川区に旧松江藩士 山口宗義 貞の子として生まれる。第一次世界大戦時には欧州派遣艦隊に所属。水雷、砲術出身の士官であり本来の専門は潜水艦だったという。大戦後戦利艦であるUボート回航要員を経験したこともある。五十鈴 (軽巡洋艦) 軽巡洋艦や伊勢 (戦艦) 戦艦の艦長を歴任したが、その中にあって当時発展過程にあった航空機や空母機動部隊の真価を直ぐさま理解するだけの柔軟性があった。海兵同期の大西瀧治郎らの勧めもあり航空関係に転向し、次代の日本海軍を担うエースと目された。大陸に於いて第一連合航空隊司令官として大西の第二連合航空隊との合同作戦(重慶爆撃)に従事した。部下との意志の疎通を図るため予定外で陸攻に同乗し飛行食を工面して貰ったり、大西との作戦会議において納得がいくまで双方引かずに議論をやり合ったことなど、この時期於いても彼の人柄を物語るエピソードが少なからず残されている。その後、空母機動部隊の主力の一つである第二航空戦隊に転属した。年功序列の壁に阻まれ、ついに機動部隊司令長官には就くことはなかったが、航空戦隊司令官として真珠湾攻撃を初め緒戦の快進撃に貢献。機動部隊輪形陣(空母を護衛艦で囲む隊形のこと。山口の場合は戦艦、巡洋戦艦も含めた)等の新機軸を打ち出すなど、航空戦力の充実研究に心血を注いだ。

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