小林成光の出身高校

小林成光 サッカー選手

小林成光卒業高校
佐野日本大学高校 偏差値 栃木県高校偏差値ランキング
サッカー選手ランキング
105位 / 1982人中 サッカー選手別偏差値ランキング
性別
男性
生年月日
1978年4月13日生まれ

小林 成光(こばやし まさみつ、1978年4月13日 - )は、栃木県佐野市出身の元プロサッカー選手、サッカー指導者。現役時代のポジションは主にミッドフィールダーで、左右のサイドアタックを担った。

小学校2年生の時にサッカーを始める。1994年、佐野日大高校に進学し、在学中3年連続で国体栃木県選抜に選出された。

1997年、高校を卒業し、東京ガスに入社。社員選手としてジャパンフットボールリーグ・東京ガスFC(現 FC東京)に入団し、同年リーグ開幕戦にスタメン出場。ガス検診をこなしながらも「凄く我慢して起用してくれた(小林談)」大熊清監督の期待に応えるために必死に戦い、全試合に出場。新人王に輝いた。その後チームと共にJ2、J1と舞台を移しながらプレー、2002年からプロ契約を結んだ。同年より監督に就任した原博実は自身の掲げる攻撃的サッカーの担い手として小林を左ウイングに抜擢。開幕戦、小林は前年度優勝の鹿島を相手に2得点2アシストの大活躍で脚光を浴び(翌日の日刊スポーツ紙では、「日韓W杯の秘密兵器」という見出しで一面を飾った)、次節の浦和戦でも決勝点を挙げてFC東京の開幕ダッシュの立役者となった。

しかしその直後の2002年4月15日、練習場に向かう為にオートバイを運転中に突風でバランスを崩し転倒。右大腿部骨幹部を骨折し、長期のリハビリを強いられる。右大腿骨には重い随内釘(ボルト)が埋め込まれ、骨盤からの骨移植も行われた。2004年にはシーズン開幕前のキャンプから軽快なプレーを見せ、同年3月のナビスコカップ鹿島戦で途中出場、9月の同杯準々決勝G大阪戦では約2年4ヶ月ぶりに公式戦のスターティングメンバーに名を連ねた。シーズン終了後、プレーの質を取り戻すべく、再骨折のリスクを覚悟で髄内釘を除去。これが事故以来4度目の手術だった。

2006年、J2サガン鳥栖へ移籍。同年9月の神戸戦で4年半ぶりにリーグ戦での90分フル出場を果たした。

2007年、J2クラブからもオファーを受ける中、地元栃木でJリーグ昇格を目指すJFL・栃木SCへ移籍。サイドでの突破力を発揮して チーム2位の6得点を挙げ、復調を印象付けた。2008年、クラブはリーグ2位に入り翌年からのJリーグ加盟を果たしたが、小林はこの年限りで栃木との契約を満了。予てより栃木でサッカーを終える意思を持っていたため、故郷のクラブのJ2昇格を花道に現役引退を表明した。

2009年、古巣のFC東京にて育成部コーチに就任。感性と冷静に見る目を併せ持ち、選手個々に考えさせる指導ができる、とクラブ上層部からの評価は高く2010年に日本サッカー協会公認B級コーチライセンス取得。また、東京都社会人リーグのFCフエンテ東久留米でもプレーし、1部昇格に貢献した。

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