大平透の出身高校

大平透 タレント

大平透卒業高校
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生年月日
1929年9月24日生まれ
血液型
O型

大平 透(おおひら とおる、1929年9月24日 - )は、日本の声優、俳優、ナレーター。大平プロダクション代表。日本俳優連合副理事長。2014年11月1日より81プロデュース所属。

東京都大田区出身。血液型はO型。身長180cm。

東京都大田区出身。父親の仕事の関係で、生後8ヶ月でインドネシアに移り、5歳までジャワ島のバンドンで過ごす。帰国後は大田区で過ごしたが、住んでいた家屋が国道の拡幅工事に伴う立ち退き対象にされたため、これを契機に疎開を兼ねて四国などに移り住む。

終戦後東京に戻り、東京都立城南高等学校(バレーボール全日本元監督の松平康隆と同窓)を経て、明治大学政治経済学部に入学、野球部で活躍するが肺結核に罹り、3年間休学を余儀なくされる。病も癒え復学をしようと考えていたところ、父親の勧めでラジオ番組専属アナウンサーのオーディションを受けて合格。1952年「ラジオルーテルアワー(日本ルーテル教団)」専属アナウンサーでデビュー、夜学に転籍して仕事をしながら卒業した。フリーアナウンサーを経て、1954年、ニッポン放送開局とともに、フリーのアナウンサー・制作プロデューサー・ディレクターとして週2本のドキュメンタリーを制作していた。1955年、ラジオ東京テレビ(現:TBSテレビ)開局とともに、TBS劇団へ入団、同年、1940年代にフライシャー・スタジオで制作された短編アニメシリーズ「Superman」を再編集した「まんが・スーパーマン」で日本のテレビ史上初の日本語吹き替えを行う。1958年にTBSが劇団を解散し、フリーとなる。

1963年に大平プロダクションを設立。1982年に大平透声優ゼミナールを開校し、後進の指導にあたっている。

2000年8月26日、妻と死別。

2007年3月3日、第1回声優アワード功労賞を受賞。

2008年5月4日、『ザ・シンプソンズMOVIE』のDVD発売と吹替え復帰をリクエストしてくれたファンに感謝して「シンプソンズファン感謝祭」を主催。これをきっかけにザ・シンプソンズのDVDが発売されるとファンと声優でシンプソンズファン感謝祭を開催している。2013年現在までに5回開催されている。

2000年代に入り、ナレーションやディズニーキャラクターのピート、『ザ・シンプソンズ』の主役ホーマー・シンプソンの吹き替えなどを中心に声優活動を継続している。

2013年3月2日、第7回声優アワードで森功至、小原乃梨子、岡本茉利と共に「シナジー賞(タツノコプロ50周年)」を受賞[7]。3月23日、24日に開催された「東京国際アニメフェア2013」では第9回功労賞を受賞[8]。

2014年11月1日付けで81プロデュース所属になる。

大橋巨泉とは50年来の大の親友。弟子に安富史郎、浜田健作らがいる。

身長180cmと昭和一桁生まれの中ではかなりの大柄であり、アテレコ黎明期、生放送で狭いスタジオの中で一つのマイクを何人もの声優が奪い合っての収録という環境において、比較的小柄な納谷悟朗は、スタジオに大平がいると「邪魔っけでしょうがなかった」と冗談混じりにインタビューで語っていたこともある。また、大平自身は多くの声優にそう思われていた当時を振り返って、「でも私が主役だったからねえ」とこれまた冗談混じりに語っている。

アニメでは主役から悪役や老人役、コメディーリリーフなど幅広い役柄を担当している。

演じる役によって声の音域を変えているが、一番地声に近いのは『笑ゥせぇるすまん』の喪黒福造だという。

1955年、「まんが・スーパーマン」で日本のテレビ史上初の日本語吹替えを行う。当初は録音をせずに生放送の生吹替えで1人5役(スーパーマンの恋人ロイス・レーンを含む)を演じ分けていた。これが大ヒットし、翌年1956年には実写版テレビシリーズ「スーパーマン」で主演のジョージ・リーヴスの吹替えを務めた(最高視聴率74.2%)。放送当時の人気は非常に高く、大平の名を一躍全国区に高めた。また番組宣伝ではリーヴス並みの大柄な体躯を買われ、自らスーパーマンの衣装を身につけて貢献している[9]。また、78年の映画版『スーパーマン』のテレビ朝日版にも大平は出演し、スーパーマンの父親ジョー・エル(マーロン・ブランド)の吹き替えを担当した。

海外テレビシリーズでは「スパイ大作戦」(1967年 - 1973年、フジテレビ系)の番組プロローグに登場する「指令の声(演:ボブ・ジョンソン)」の吹き替えでも知られる。

デビューからしばらくは低音で演じる役柄が多かったが、ハンナ・バーベラ・プロダクション制作の『恐妻天国』(1961年、フジテレビ)で主人公・フレッドの「情けない感じ」を出すために高い声色を使って演じたところ、たまたまそれを観ていた広告代理店・読売広告社の当時の常務が『おらぁグズラだど』(1967年)の製作にあたり「絶対にグズラは大平透だ」と推薦し[10]、グズラ役に抜擢される。以来、『ハクション大魔王』(1969年)ほか読売広告社/タツノコプロ制作のアニメ作品に数多く出演するきっかけとなった[11]。特に『ハクション大魔王』からは、フジテレビ系列日曜夕方6時台枠のアニメに放映された全てのタツノコアニメにレギュラー出演。『未来警察ウラシマン』(1983年)途中での放送枠変更を挟んで、『よろしくメカドック』(1984年)まで連続して出演している。また『カバトット』(1971年)、『かいけつタマゴン』(1972年)では「台詞なしで声の表情だけで演じるギャグアニメ」という制約の中、主役を演じ切っている。タツノコ作品の収録では「座長」と呼ばれ、共演者のまとめ役的役割を果たした[11]。『科学忍者隊ガッチャマン』(1972年)では、番組後半にささきいさお演じるコンドルのジョーを中心とするストーリー展開となったために、主演である大鷲の健を演じる森功至が憤慨し降板を申し出て現場を騒然とさせたため、「自分の都合で番組をやっているのではない」と森を説得し、現場の混乱を収めたこともある[12]。タツノコプロとは仕事以外でも親交があり、自身が支援していた北海道の障害者団体の児童のために、タツノコプロ創設者である吉田竜夫の夫人を介して、タツノコ作品の上映会を開催している[13]。また、上記のような経緯から読売広告社との関係も親密で「読広の社外取締役」とも言われた[14]。

1970年から2001年まで毎日放送 - NET系(1975年4月からはTBS系)で土曜日の朝に放送されたワイドショー『八木治郎ショー』⇒『八木治郎ショー・いい朝8時』⇒『すてきな出逢い いい朝8時』では、1994年まで番組筆頭スポンサーだった田辺製薬(現・田辺三菱製薬)の生コマーシャルを担当した。

特撮ヒーロー番組ではピー・プロダクション制作の作品に関わりが深い。『マグマ大使』(1966年)では、当初は宇宙の帝王ゴアの声だけを担当する予定だったが、「表情の動かないぬいぐるみの動きと吹き替えのタイミングが合わせづらい」と、自ら申し出てゴアの着ぐるみを着け、これを演じている[15]。『俺は透明人間!』(1970年)では俳優として第1話にギャング団のボス役でゲスト出演、『スペクトルマン』(1971年)では主人公が所属する組織「公害Gメン⇒怪獣Gメン」のリーダー・倉田室長役でレギュラー出演している。

東映作品には、『スパイキャッチャーJ3』(1965年)から出演。『スーパー戦隊シリーズ』では『秘密戦隊ゴレンジャー』(1975年)の第15話より参加。以後、『科学戦隊ダイナマン』(1983年)までの7作品、および『恐竜戦隊ジュウレンジャー』(1992年)のナレーターを担当した。ダイナマンでは、編成上の都合から第10話より放送時間が短縮され、番組予告もその煽りを受けたがアドリブを随所に入れ、時間的な制約をカバーした。ナレーションの際には、台本を読んで作品の状況を把握してから、監督と相談して作品の情景にあわせてナレーションするように心掛けていたという。ナレーター以外では『超力戦隊オーレンジャー』(1995年)で敵組織の首領・皇帝バッカスフンドの声を担当している。また、『メタルヒーローシリーズ』では『宇宙刑事シャイダー』(1984年)から参加、『超人機メタルダー』(1987年)[16]以外の、『機動刑事ジバン』(1989年)までの5作品のナレーターを担当した。

洋画作品では、テリー・サバラスの吹き替えを多く演じている。サバラス主演のテレビシリーズ『刑事コジャック』(1975年 - 1979年、TBS系)は当初、大平が吹替える予定だったが、当時の演出担当ディレクターが「吹き替えのためには、声優もオリジナル俳優と同じ格好で生活してリアリティを出すべきだ」と主張し、大平に対して丸坊主になるよう要求したが、大平がこれを拒否して降板。結局、森山周一郎が吹替えることになった(森山が一時丸坊主にしていたのは、これが理由である)。

『スター・ウォーズ・シリーズ』では旧三部作でダース・ベイダーの声を担当、新三部作EP3『シスの復讐』(2005年)でも引き続き声を担当した。これは監督であるジョージ・ルーカスが、日本語吹替え版の大平の声を気に入り直々に指名したものだという[10]。シリーズを通して、旧シリーズと新シリーズの両方で同一キャラクターを吹き替えを担当したのは大平のみである(オフイシャルな日本語吹替え版のみの場合。一度きりのテレビ放映などその他の日本語吹替版を含めると、ヨーダ役の永井一郎も挙げられるため2人となる)。

※太字は主役・メインキャラクター

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