國母和宏の出身高校

國母和宏 スポーツ選手

國母和宏卒業高校
登別大谷高校 偏差値 北海道高校偏差値ランキング
スポーツ選手ランキング
2471位 / 2530人中 スポーツ選手別偏差値ランキング
性別
男性
生年月日
1988年8月16日生まれ

國母 和宏(こくぼ かずひろ、1988年8月16日 - )は、日本のスノーボード選手及び指導者。アメリカ合衆国カリフォルニア州在住。全日本スキー連盟スノーボード技術コーチ(2013-2014シーズン)。

北海道石狩市出身に生まれ育ち、4歳の時にスキー場で初めてスノーボードを目にし、父親に頼み込んで始めたという。1992年当時は子供用のスノーボードが無かったので、大人用のスキー板を使って父親が自作してくれたスノーボード板でスノーボードを始めた。子供の頃からバックカントリー等を滑り、世界に通用する独特のスタイルを身につけていく。石狩市立生振小学校在校中に史上最年少の11歳でプロ試験に合格。12歳でバートン・スノーボードとプロ契約をし、国内外での選手活動を本格化させる。登別大谷高校に進学すると三大国際大会の一つであるFISワールドカップのサースフェー大会(スイス)で優勝するなど頭角を現していく。高校卒業後は北海道東海大学に進学(在学中に東海大学に統合)して選手活動を継続する。

2003年、世界最大規模のスノーボード大会バートン・グローバル・オープンの一つ全米オープンにて14歳ながら2位となり、注目を浴びる。この頃からスタンダードフィルム(英語版)の撮影クルーに参加。

2004年、エクストリームスポーツ世界最大の大会であるX Gamesに初出場し、4位入賞を果たす。また、日本オープンで史上最年少王者となる。

2006年、トリノオリンピックにハーフパイプ(スノーボード競技の一種目)日本代表として17歳で初出場するも、実力を発揮できず予選敗退(最終順位23位)に終わる。 翌年も精力的に国際大会に出場しスノーボード世界選手権で日本人初メダルとなる銀メダル、アジア冬季競技大会男子ハーフパイプ優勝など順調に経験を重ねながら、スタンダード・フィルム(英語版)等のスノーボードムービーの為の映像を撮影し多数出演。2007年6月21日にスポーツ振興基金からの助成金を原資に月額20万円が活動費用として支払われるエリートA指定を辞退し、A指定の選手として活動していくことが日本スキー連名より発表された。

2008年、ニュージーランドオープン制覇を達成した。その後、故障し、出場予定であった翌2009年のX Gamesや世界選手権への出場はならなかった。

2009年、復帰戦となった冬季ユニバーシアードで骨折明けながら男子ハーフパイプおよび男子ビッグエアーの2種目で優勝。。8月に行われたニュージーランドオープンではショーン・ホワイトらに次ぐ3位入賞を果たし、11月のW杯スイス大会では4シーズン振り3度目のW杯優勝を達成。8月に行われいたW杯ニュージーランド大会で優勝した青野令に続き五輪代表入りに内定した。

2010年1月、X Gamesで銅メダルを獲得する。

トリノに続く形でバンクーバーオリンピックでもハーフパイプ日本代表に選抜される。しかしこの時、スノーボーダーとしての着こなしや謝罪会見での不用意な発言などから強いバッシングと批判報道を受けた。一時は代表出場も危ぶまれたが、日本代表選手団の橋本聖子団長の判断で開会式欠席のみとなった。競技では予選二組目を2位で突破し、直接決勝に進んだ。決勝では1回目は最後の技で転倒し流血。2回目でも最後のダブルコーク1080の着地が乱れたものの、最終順位8位の記録を残して入賞となった。同年5月10日に皇居で開かれた五輪入賞者を労う茶会にも招待を受けたが、米国滞在中であったことから出席を辞退している。

米国滞在中にはバンクーバー五輪における銀メダリストのピートゥ・ピロイネン、銅メダリストのスコット・ラゴ、4位のユーリ・ポドラドチコフ、5位のルイ・ヴィトら強豪が出場する中、97.17点という圧倒的な点数を記録し、全米オープンを日本人初制覇。

2011年には全米オープンを連覇し、主催企業であるスノーボード用具のトップメーカー・バートン社の広報映像に起用された。撮影ではオープニング映像のためにカナダの山岳地帯で雪山の崖からジャンプなどの技を披露し、海外の専門誌の表紙を飾るなど話題を集めた。連覇を記念したインタビューでは2014年のソチオリンピックについて「特定の大会に拘りはなく、スノーボード活動の一環として捉えている」と返答した上で「2年前の五輪は楽しかった」「自分の気持ちが向いていたら出たいですね」と返答している。

2012年の全米オープンでは、ショーン・ホワイトに次ぐ史上二人目の男子ハーフパイプでの三連覇が期待されたが、決勝前の練習中に腰を強打し、その影響や疲労からトリックは見せず、合掌しながらハーフパイプを滑り降りビブズを観客に投げ渡して棄権した。それまで所属していたバートン・スノーボードからアディダス・スノーボード及びキャピタに移籍。

2013年X Games、にて採点や自身の演技への不服から中指を立て波紋を呼んだ。また、アディダス・スノーボードから自身のドキュメントムービー『Welcome:Kazu Kokubo』が公開された。他、オークリーのチームムービーに出演。

2014年、前述のドキュメンタリームービーの完成度が評価され、Riders Poll(英語版)のオンライン・ビデオ・シリーズ・オブ・ザ・イヤーを受賞。 キャピタの映像作品『Defenders of Awesome 2 – STAY BAD ASS』、アディダススノーボードの映像作品『adidas Snowboarding : Nomad』シリーズ、オークリーのスノーボードムービー『Snowboarding: For Me』等に出演。 その影響で翌2015年にかけて日本・アメリカ・スペイン・韓国等のスノーボード雑誌10誌の表紙を飾り、トランスワールド・スノーボード誌(英語版)によるSnow Exposure-Meterでスノーボーダーの全米雑誌露出で総合10位、広告ページを除いた順位では4位にランクインした。

2015年、Riders Poll(英語版)のメンズ・ビデオパート・オブ・ザ・イヤー、メンズ・ライダー・オブ・ザ・イヤー、スタンドアウト・パフォーマンス・オブ・ザ・イヤーの三部門にノミネートされた。 トランスワールドの映像作品「Origins」に出演した他、サマーキャンプの「キャンプ・オブ・チャンピオンズ」でジェイミー・アンダーソンらと共演。また、自身が率いていたSTONPチームの最終作品をリリースした。

X Gamesのリアルスノー部門に初出場し同部門日本人初のメダルとなる銀メダル及びウェブによる投票のファン・フェイバリット賞を過半数以上の支持を得て獲得。

2013年5月、ソチ五輪への出場を目指さない意向を示し、これを受けて全日本スキー連盟は全日本チームの技術アドバイザー(TA)への就任を要請した。全日本スキー連盟の萩原文和スノーボード部長は「技術面での貢献や、新技についての情報も早い」とコメントしている。競技内容の変化が早いハーフボード種目においては第一線で活躍する現役選手が技術指導を兼務する事が望ましく、上島しのぶコーチは「常に進化しているものを周りに教えられる人はなかなかいない」と評している。

また国際大会での経験や高い技術力に加え、人格面でも後進選手から慕われている点が考慮された。特に平野歩夢とは実質的な師弟関係にあり、訓練面のみならず私生活での面倒も見るなど深い信頼関係だという報道もある。また平岡卓も尊敬する選手として名前を挙げている。

2013年-2014年スノーボード・ワールドカップに技術コーチとして帯同した。続くソチ五輪にも日本代表の技術コーチとして渡露、平野歩夢の銀メダル獲得と平岡卓の銅メダル獲得に貢献した。各メディアからは「改心」などと後進の指導に活躍した事を評価する報道が行われた。

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