唐川侑己の出身高校

唐川侑己 プロ野球選手

唐川侑己卒業高校
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プロ野球選手ランキング
4581位 / 4783人中 プロ野球選手別偏差値ランキング
性別
男性
生年月日
1989年7月5日生まれ

唐川 侑己(からかわ ゆうき、1989年7月5日 - )は、千葉ロッテマリーンズに所属するプロ野球選手(投手)。

千葉県成田市出身。父親の方針で小学校入学当時は空手(緑帯)を始め、成田市立成田小学校3年から成少フォックスに入団し野球を始める。以来一貫して投手を務めている。小学校6年で千葉県大会ベスト8。成田小学校の2学年上に、女子マラソン選手の田中智美(第一生命)がいた。

中学では熱心な誘いを受けていた強豪シニアリーグのチームには入らず、成田市立西中学校の軟式野球部に入部。これも身体が出来ていないうちから硬球での野球をさせることに反対していた父親の方針からだった。中学3年時にはKボール成田市選抜のエースとして全国大会準優勝を果たした。

高校は成田高等学校に進学。小学生のころから成田高校の試合を見に行っており、当然のようにここに入るのだと思っていたのだという。入学後ブルペンでの投球を見た尾島治信監督が、1年生ながらその抜群のコントロールに驚き、急遽4月第二週目の練習試合で投げさせたところ、2イニングで6奪三振といきなり非凡な才能を見せた。1年夏からベンチ入りし(背番号18)、同年秋から背番号1をつける。秋の千葉県大会決勝では、岩嵜翔擁する市立船橋高に勝利しセンバツ出場を決める。

2年春の甲子園では、1回戦の小松島高戦で10奪三振を奪い完封し、一気に知名度を上げた。夏の千葉大会では初戦の2回戦で市立稲毛高戦に先発。Aシードであり、優勝候補と目されていたが3-4で敗れる。

3年春の甲子園では、初戦で延長12回の末、同年夏に準優勝した広陵高に敗戦。夏の千葉大会は東海大浦安高戦で同大会28イニングス目で初となる失点を喫し、延長14回の末0-1で敗戦。当時バッテリーを組んだ西田和也捕手が得点出来なかったことを謝罪すると、「自分が0点に抑えたら負けなかった。」と答えたという。夏の甲子園出場は逃したものの、県大会で投げた3試合で35奪三振とその力を充分に見せつけた。甲子園での通算成績は1勝2敗、防御率0.90。

高校生のドラフト候補として大阪桐蔭高の中田翔、仙台育英高の佐藤由規と共に高校ビッグ3と呼ばれ、2007年のプロ野球ドラフト会議で、千葉ロッテマリーンズと広島東洋カープから1巡目指名を受け、抽選で地元・ロッテが交渉権を獲得。同年11月6日、契約金9000万円・年俸1000万円(金額はいずれも推定)で仮契約が成立した。背番号19。

2008年4月23日、高校ビッグ3の中で最初に一軍登録。4月26日の対ソフトバンク戦(ヤフードーム)でプロ初登板。先発で7回を投げ被安打3、四球1、奪三振5、無失点で、ドラフト制導入以後ではロッテ球団史上初の、高卒新人プロ初登板初先発初勝利を果たした。また、この勝利は平成生まれのプロ野球選手の勝利投手第1号でもあった。5月3日のプロ第2戦となった対西武戦(千葉マリン)では奪三振10、被安打3、失点1で高卒新人としてドラフト制度施行後初の無四球完投(2勝目)を達成するなど、交流戦前までは先発の柱として活躍した。 しかしそれ以降は調子が上がらず、交流戦で戦ったセ・リーグのチームを抑えることが出来なかった。パ・リーグとの対戦に戻っても調子は戻らず、先発するも打たれて早い回で降板するケースが多かった。最終的には5勝4敗、防御率4.85の成績に終わった。

2009年は5月10日に初完封を記録するなど序盤は好調だったが、夏場以降は勝ち星に恵まれず5勝止まりに終わる。チーム最終戦となった10月7日で7回を投げれば規定投球回到達だったが、8失点と打ち込まれて7回1死で降板。到達はならなかった。 また、同年11月に開催された、野球の日本初のプロと大学の選抜チーム同士による交流戦であるU-26 NPB選抜 対 大学日本代表のNPB選抜に選出され、東京ドームでの試合に登板した。

2010年5月13日の対横浜戦(横浜スタジアム)で武山真吾選手の放った打球を右手に受けて中指を骨折。当初打撲の診断だったが回復せず、改めて検査を受けた結果骨折が発覚し全治1か月と診断され登録抹消。8月12日、対日本ハム戦で復帰初勝利(6回2失点)を飾ったが、シーズン通して怪我に悩まされた。6勝はマークしたものの先発ローテションを守ることは出来なかった。また平成生まれ初となる日本シリーズ第4戦で先発登板を果たしたが、4回途中で2失点と投球内容は冴えなかった。その後チームは日本一に輝いたものの、自身は納得のいかないシーズンとなった。

2011年シーズンから朝日新聞千葉版で、梶原紀章・広報担当の執筆していた「マリーンの風」に代わって「泰然自若」を執筆開始。前半戦終了時点で防御率1.77と抜群の安定感で自身初となるオールスター出場も経験し、肩の疲労に悩まされるものの先発ローテーションを守り、初の二桁勝利と規定投球回数到達を達成した。

2012年、本拠地QVCマリンフィールド内に「319シート」を設置。同チームのサブロー選手とのプロデュース席で一塁側内野席35席を319シートと命名し、千葉県内および東日本大震災の被災地の少年野球チームの招待することとした。この年は8勝を挙げたが、故障離脱によりまたしても1年間先発ローテーションを守れなかった。

2013年は2年ぶりの2桁勝利はならなかったが、チームトップタイの9勝(11敗)を挙げ、またチームで唯一規定投球回をクリアした。

2014年は開幕から絶不調で、二軍落ちを経験することとなり、シーズンを通じて、調子があがらないまま、精彩を欠いた。

オーバースローから平均球速約136km/hのストレートと鋭いスライダー、平均球速101km/hのカーブで緩急をつける投球をする。他にチェンジアップ、シュートを混ぜる。

相手打者からはストレートとスライダーの腕の振りがまったく一緒でタイミングが取れない、ストレートの速度表示と体感速度が違うと評される。直球は速いが速球派というほどではなく、変化球は多彩だが視界から消えるほどではない。しかし、何故か打てないといわれるピッチャーであったが、13年以降は特にストレートの球速低下とともに打たれることがかなり多くなっている。

ドラフト1位の大物ルーキーということで注目されたが、プロ入りまでクイックモーションができなかった。成田高校・尾島監督はクイックを教えることでフォームのバランスを崩してしまうことが怖かったと語り、プロ入り後にクイックを習得した。

年単位での不振は少なく、ある程度活躍している方ではあるが、故障が多いことがネックで活躍の妨げになっている。

座右の銘は「泰然自若」。父親の好きな言葉でもあるという。

唐川の名字と組み合わせると『努力すれば大成する』画数ということで、唐川家の子供の名前は字画を8画+3画になっているという。飼い犬の拉々(ララ)も同じく8画+3画。

「控えめな、ほわっとした子」(母)でプロ野球選手になるとは思っていなかったそうだ。また中学3年生時点で進路希望に「公務員」と書いた。両親が安定した職業に就いて欲しいと考えていると思ったからだという。

父親の憧れのプロ野球選手が山田久志だったため、息子にアンダースローをしてもらいたいと思っていたそうだが、投げ方を教えてくれる人が周囲にいなかった為、アンダースローフォームにはならなかった。

ロッテ新人寮に入寮する際、あざらしの形をした抱き枕のしろたんを持参し話題に。ロッテのユニフォームを着たコラボ商品・マリーンズしろたん抱き枕やマスコットが制作され、2009年の新春初売りイベントで発売したところ5分で完売した。

爪が割れやすい体質であり、ネイリストの経験がある姉に定期的にケアをしてもらっている。

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