吉田忠智の出身高校

吉田忠智 議員

吉田忠智卒業高校
鶴崎工業高校 偏差値 大分県高校偏差値ランキング
議員ランキング
797位 / 885人中 議員別偏差値ランキング
性別
男性
生年月日
1956年3月7日生まれ

吉田 忠智(よしだ ただとも、1956年3月7日 - )は、日本の政治家。社会民主党所属の参議院議員(1期)、社会民主党党首(第4代)。党参議院国対委員長、党参議院幹事長、党政策審議会長などを歴任した。

1956年3月7日、大分県臼杵市生まれ。大分県立鶴崎工業高等学校に入り陸上選手を目指すも、膝の故障で断念し、進学に進路変更する(ランニングや筋力トレーニングは、議員となった今でも自彊術を取り入れつつ日課として続けている)。1年の浪人生活を経て、九州大学農学部に入学し、卒業。大分県庁に農業土木の技術職員として入庁。労働組合活動を通じて、自治労大分県職員連合労働組合(大分県職労)で書記長、執行委員長を歴任。

その後、国会へと転身した重野安正の後継として大分県議会議員となり3回当選。2010年の第22回参議院議員通常選挙に社会民主党公認で比例区から立候補し、同党の候補者の中では福島瑞穂に次ぐ2位の個人票を集めて、初当選した。なお、大分県職労から大分県議、国会議員になった経歴は、村山富市・重野安正と同じである。

2013年9月26日、同年7月の第23回参議院議員通常選挙における社民党大敗の責任をとる形で党首を辞任した福島瑞穂の後任を決める党首選への出馬を表明。同年10月14日、17年振りとなる党首選で石川大我を破って第4代党首に選出された。

10月29日、「脱原発」を訴える元内閣総理大臣・小泉純一郎と会談し、意見交換した。

1994年、村山内閣が「自衛隊合憲」を表明した際、大分県職労書記長在任中であった吉田は、同郷で大分県職労出身の組織内議員だった村山を支える立場にいたことから、労組の会合で激しい批判にさらされたとされる。なおこの件に関しては、社会民主党党首に就任後、報道の取材において「十分な議論や国民の理解を得ることなく政策転換し、社民党の議席を減らすことになった」と述べており、党が低迷する大きなきっかけをつくったのは、村山が首相当時に打ち出した「自衛隊合憲」だったとしている。

第22回参議院選挙では、ソフトバンクモバイルのキャンペーン名と自身の名前の読みが同一であることに着目し、陣営では同キャンペーンを模したポスターを掲示する戦術を展開した。なお、これについて、携帯電話会社側は同じ読みでも意味合いが全く違い問題ないとしている。また総務省も特定企業の宣伝にはならないという見解を示している。また、携帯電話会社でも、吉田陣営にパロディにされたキャラクターを「選挙に出馬」させるCMを放送した。なお、キャッチコピーは「ただともの国を一緒に」というものであった。

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