加藤翔平の出身高校

加藤翔平 プロ野球選手

加藤翔平卒業高校
春日部東高校 偏差値 埼玉県高校偏差値ランキング
プロ野球選手ランキング
1528位 / 4783人中 プロ野球選手別偏差値ランキング
性別
男性
生年月日
1991年3月28日生まれ

加藤 翔平(かとう しょうへい、1991年3月28日 - )は、千葉ロッテマリーンズに所属するプロ野球選手(外野手)。

埼玉県加須市出身。野球を始めたのは小学校2年から。加須市立三俣小学校時代は陸上競技やサッカーなども同時にやっていたが、父からの「陸上より野球の方が面白い」という言葉で野球に専念することに。小学校時代は「三俣タイガース」に、加須市立昭和中学校時代は「加須シニア」に所属。その後、野球と勉強をしっかりとやって公立高校で私立に勝ちたいという思いから、春日部東高校へ進学。

1年夏の県大会後、当時のコーチからの薦めで左打ちにも挑戦。コーチからの指導と人一倍の練習量と練習時間で、約1ヶ月後の練習試合では早くも安打を放つなど、左打ちを自分のものにした。俊足という武器をより活かせる両打ちとなることでプレーの幅は大きく広がり、本人も「これが自分の野球人生で大きな節目」になったと語っている。2年夏は、先発メンバーのうち5人が1・2年生というチームで3番を打ち、25打数13安打の大活躍をみせたものの、県大会ベスト8。主将を務めた3年の夏は県大会3回戦敗退。甲子園出場はなし。

2009年、上武大学ビジネス情報学部へ進学。硬式野球部に入部し、1年の春からレギュラーとして活躍。11月の第40回記念明治神宮野球大会では関東五連盟第一代表として出場。初戦の関西国際大戦では、1番センターとしてスタメン出場し、第一打席でホームランを放っている。この時、プロ入り後にロッテでチームメイトとなる益田直也、松永昂大と対戦している。 準決勝では明治大学に4-5と逆転勝ちしたものの、決勝で0-2で立正大学に敗れ、準優勝となった。なお、この決勝戦の立正大学の先発は小石博孝であった。

関甲新学生野球リーグで3年の春季から3季連続で外野手ベストナインを、4年の春リーグ戦では最多盗塁賞(11盗塁)を、秋リーグでは打点王を獲得。4年時は主将を務めた。リーグ通算成績は、4年間で通算出場90試合、107安打、7本塁打、51打点、打率.322。

2012年、ドラフト会議にて千葉ロッテマリーンズから4位指名を受け、11月27日に群馬県伊勢崎市の上武大学伊勢崎キャンパスにて仮契約を結び、「アピールポイントの足を活かして、まずは一軍に上がりたいです」と抱負を述べた。契約金4000万円、年俸1000万円(金額は推定)、背番号は「65」[7][8]。

走攻守の三拍子が揃った強打者[8]。ストライドの大きい走塁で50メートル走5.68秒[18]の俊足、その俊足を活かした広い守備範囲と遠投120メートルの強肩[18]は即一軍レベルという高い評価を得ている。出塁時には持ち前の脚力を活かして盗塁を決めるなど積極的な走塁も見せる[18]。打席での勝負強さがあり、スイッチヒッターとして左右どちらの打席からも強い打球が打てる。身長183cm、体重84kgの恵まれた体格からは驚きの俊敏性を見せ、その高い身体能力とバランスの良さは天性のものと評されている[18]。

座右の銘は「おかげさんで」。

東京ディズニーランドが大好き。好きなキャラクターはドナルド。

父親はやり投げで国体9位の実力者、母親も陸上短距離で国体出場経験を持つ両親ゆずりの高い身体能力の持ち主。中でも自慢の俊足は、小学校の通学中、片道2キロの道のりを電柱間で全力疾走するというインターバル走で脚力が鍛えられた。

憧れの選手は新庄剛志。小学校時代、所属していた野球チームの名前が「三俣タイガース」だったこともあり、当時阪神タイガースで活躍していた新庄に憧れるようになり、新庄のトレードカラーだった赤色を自身のリストバンドやグローブ、肘当てなどの道具類にも取り入れている。

父親曰く「野球に関して弱音を吐くことが殆どなかった」という真面目な努力家。

さいたま市内の選手寮に入寮の際、野球に集中するためという気持ちから、大学の部屋にあった200冊以上の漫画本をすべて置いてきたという。

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