佐高信の出身高校

佐高信 ジャーナリスト

佐高信卒業高校
酒田東高校 偏差値 山形県高校偏差値ランキング
ジャーナリストランキング
47位 / 60人中 ジャーナリスト別偏差値ランキング
性別
男性

佐高 信(さたか まこと、1945年1月19日 - )は日本の評論家、東北公益文科大学客員教授。週刊金曜日編集委員・株式会社金曜日前代表取締役社長。「ヘイトスピーチとレイシズムを乗り越える国際ネットワーク」共同代表。先住民族アイヌの権利回復を求める署名呼びかけ人 をつとめる。

山形県酒田市生まれ。父・兼太郎は茜舟(せんしゅう)の雅号を持つ書道家・教師。山形県立酒田東高等学校、慶應義塾大学法学部法律学科卒業。支持政党は一貫して日本社会党(現・社会民主党)である。

1967年に大学を卒業後、郷里・山形県で高校教員となるが、同僚女性(現在の妻)との出会いがあり、前妻と離婚し、1972年に再度上京した。佐高の全面協力により書かれた評伝によると、次のような事情があったという。

「昭和四十二年の春、卒業と共に帰郷して庄内農高の社会科教師となる。ここで三年、教科書はいっさい使わず、ガリ版の手製テキストで通したため“赤い教師”の非難を浴びた、庄内工高に転じて結婚もしたが、同じく“赤軍派教師”のレッテルを貼られる。教育の現場に怒って県教組の反主流派でがんばるうちに、同僚教師と同志的恋愛に陥った。「佐高なんかのツラも見たくない」と反発する教師仲間は、陰湿に白眼視。母・千代は孫娘を抱いて死ぬと言い出し、佐高も自殺を思いつめる。四十七年八月、ついに辞表を出して上京」

上京後は総会屋系経済誌『現代ビジョン』編集部員を経て、編集長に。その後、評論家活動に入る(『現代ビジョン』誌については下の項目も参照)。

日本企業に関する批判的な評論で、『噂の眞相』(休刊に伴い、月刊『創(つくる)』に移行)に連載した「タレント文化人筆刀両断」は連載100回を超える。「佐高信の政経外科」をサンデー毎日に連載中。また『週刊金曜日』のコラム「風速計」も担当。

経済小説や歴史小説にも造詣が深く、池波正太郎、藤沢周平の熱心なファン。『金融腐蝕列島』(角川書店、1997年)など高杉良の著書の解説を多く手がける。

第44回衆議院議員総選挙直前の2005年9月4日放送「サンデープロジェクト」(テレビ朝日)に『社民党応援団』として出演するなど、公然とした社民党支持者である。また、2007年3月まで新社会党の機関紙『週刊新社会』にコラム『毒言毒語』を連載していた。土井たか子らと“憲法行脚の会”を結成、加藤紘一との対談集会を開くなど護憲運動を行なっている。日本共産党には批判的で、九条の会への参加を呼びかけられた時は日本共産党の関係者が加わっていることを理由に拒否していた。 2005年3月、「マガジン9条」発起人となった。

小泉内閣・安倍内閣への批判から、「クリーンなタカ派よりはダーティでもハト派の方が良い」と、加藤紘一や野中広務、鈴木宗男ら自民党内の左派や旧竹下派人脈との関係を深め、ロッキード事件で失脚した田中角栄に関してもかつてはこき下ろしていたものの今では「ダーティなハト」として相対的に評価している。なお、田中秀征については「クリーンなハト」としており、昔から親しい。

批判の対象である保守系や共産党系の人びとでも佐高の企業批判を高く評価する人は少なくない一方で、その言動や姿勢を批判されることも多い。

以下はサンデー毎日連載の『政経外科』シリーズ

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