佐木隆三の出身高校

佐木隆三 作家

佐木隆三卒業高校
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608位 / 702人中 作家別偏差値ランキング
性別
男性

佐木 隆三(さき りゅうぞう、本名:小先 良三(こさき りょうぞう)、1937年4月15日 - 2015年10月31日)は、日本の小説家、ノンフィクション作家で、北九州市立文学館名誉館長、九州国際大学客員教授。法廷のルポルタージュでも広く知られる。旧朝鮮咸鏡北道穏城郡生まれ。

両親とも広島県出身で父は農家の出。一旗あげようと田畑を売り払って朝鮮に渡り、佐木も朝鮮で生まれた。

1941年、銀山の所長をしていた父が呉の海軍に召集されたため、一家で日本に引揚げた。父の郷里で広島市から北へ40km、中国山地の山あいの寒村である広島県高田郡小田村(現・安芸高田市甲田町)で育つ。1945年、終戦間際の7月に父がフィリピンミンダナオ島ザンボアンガで戦死。8月原爆のきのこ雲を見る。終戦後は生活困窮のため、広島市へヤミ米を運んだりした。

1950年、母の親戚を頼り八幡市(現・北九州市八幡東区)へ移る。1956年、福岡県立八幡中央高校卒業後、八幡製鐵(現・新日鐵住金)に就職。同人誌などに小説を書き始め、「新日本文学」や「文學界」に発表。長崎造船の中里喜昭とともに、労働者作家として注目を浴びる。

1960年、八幡製鐵労組(労働組合)の活動をはじめ、安保闘争の直前から日本共産党に入党、組合活動を活発化させるが、まもなく共産党を離れ、共産党を批判する小説を書く。

1961年、『大罷業』を『別冊日曜作家』に発表。1963年、組合活動を戯画化して描いた「ジャンケンポン協定」により、新日本文学賞受賞。

1964年に、八幡製鐵を退職。以後作家活動に専念する。この年に、後年の代表作『復讐するは我にあり』のモデルとなった連続殺人事件の犯人である西口彰の裁判を一度だけ傍聴している。

1971年、沖縄へ引越し2度目の結婚。コザ市の外人アパートに住み、沖縄復帰闘争の活動家たちとかかわり復帰問題に深く関与した。11月17日、沖縄返還における沖縄返還協定批准阻止闘争による沖縄ゼネストで、作家だからデモの首謀者に違いないと警察に疑われ12日間、留置所に勾留されたが無実と判明して釈放された。1973年、2年住んだ沖縄を離れ千葉県市川市に移る。

1976年、実在の連続殺人鬼をモデルとした『復讐するは我にあり』により第74回直木賞受賞。その後、1979年に松竹で映画化され、今村昌平監督、緒形拳主演でこの年の映画賞を独占。佐木の名も広く知られることとなった。なお、映画化に至る経緯では新聞沙汰になるほどのトラブルが噴出した(復讐するは我にありのページを参照)。

1978年7月、銀座の路上で交差点に赤信号停止しているタクシーに乗ろうとしたところ、タクシー乗り場から乗るように言われたことに逆上。タクシーのボンネットに乗り上げて暴れてフロントガラスを破壊したため、警察に逮捕される。この時、佐木はかなり酒に酔っていた。

1984年、『海燕ジョーの奇跡』が時任三郎主演で映画化される。

1985年、別府3億円保険金殺人事件をモデルにした『一・二審死刑、残る疑問―別府三億円保険金殺人事件』を発表。被疑者が佐木の連載を読んで、無罪放免にしてくれるならとさまざまな裁判資料を提出。拘置所で佐木との面会で被疑者は冤罪を主張するも、「無罪になれば保険金が入るから謝礼する」と発言。ところが佐木は「無罪だとはこれっぽっちも思わなかった」ことから、後年被疑者は逆恨みの手紙を送っている。ちなみにこの事件は、一二審が死刑となり上告中に被疑者が死亡したことで公訴棄却されている。

1990年、『身分帳』により第2回伊藤整文学賞受賞。

1991年、富山・長野連続女性誘拐殺人事件をモデルとした『男の責任 女高生・OL連続誘拐殺人事件』を発表後、犯人から名誉毀損で訴えられる(犯人は現在死刑確定囚)。その後、2001年、名古屋高裁の控訴審判決で、「重大な事件を犯しても、人格権は否定されない」と犯人の請求が一部認められて、佐木と出版元の徳間書店は75万円の支払いを命じられる。佐木らは上告せず、75万円を支払った。

1999年、北九州市門司区に移る。2006年、北九州市立文学館館長に就任し、2012年3月いっぱいまで務めた(満期解任後は名誉館長に)。2009年4月より、北九州市立大学の特任教授(非常勤)に就任。九州国際大学客員教授も務めた。

2015年10月31日、下咽頭がんのため北九州市小倉北区の病院で死去。78歳没。

東京・埼玉連続幼女誘拐殺人事件やオウム真理教事件など、世間を震撼させた事件の裁判報道に積極的にかかわっている。特に東京・埼玉連続幼女誘拐殺人事件以降の重大殺人犯の裁判が始まったり、判決が出たりする時は、テレビ局の報道番組でコメンテーターとして登場している。

また、光市母子殺害事件の差し戻し控訴審において被告の元少年の死刑回避を訴える弁護士への懲戒処分請求が四千件を超える事態について、「自分で傍聴する努力もせずにテレビの情報だけで懲戒請求をしたという人がいたとすれば情けない」と主張した。但し事件自体に対しては批判的で被告を「フザけるな」と評した。また毎日新聞西部本社版に月1回毎日新聞社記者との対談とコラムからなる「マンスリー事件簿」を連載し、様々な事件について意見を述べている。

2010年2月23日、米子市会計事務所社長殺害事件の裁判員裁判が鳥取地裁で始まり、傍聴する。死者が複数の強盗殺人事件は裁判員裁判で初めてで、傍聴後、NHKのインタビューに答えている。

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