上地雄輔の出身高校

上地雄輔 タレント

上地雄輔卒業高校
横浜高校 偏差値 神奈川県高校偏差値ランキング
タレントランキング
1228位 / 2233人中 タレント別偏差値ランキング
性別
男性
生年月日
1979年4月18日生まれ
血液型
O型

上地 雄輔(かみじ ゆうすけ、1979年4月18日 - )は、日本の俳優、タレント、歌手。アーティスト名は遊助(ゆうすけ)。神奈川県横須賀市出身。所属事務所はイー・コンセプト(ジャパン・ミュージックエンターテインメント内)。身長178cm、体重67kg。血液型はO型。愛称はゆうちゃん、ゆうにい、心君など。

企画や原案を担当した作品や特別・友情出演の際に「神児遊助」名義で出演することがある。また、自身のアルバムなどに書いたイラストは「伊島華句水」として表記されている。名前の由来は、自身の名前をローマ字にして「yusukekamiji」を逆からローマ字読みしたものと思われる。

1999年に俳優として芸能界デビュー。2007年に「おバカタレント」としてブレイクし、2008年に音楽ユニット羞恥心・アラジンのメンバーとしても活動。2009年3月11日に遊助名義で自らが作詞した「ひまわり」でソロデビュー。

横須賀市浦賀に長男として誕生。6歳から野球を始める。1995年、横浜高等学校へ進学し硬式野球部に所属。捕手を務め松坂大輔らと甲子園出場を目指した。

複数の大学から推薦入学の誘いを受けていたが、芸能界のスカウトを受け、俳優としての道を志す。1999年にTBSの連続ドラマ『L×I×V×E』でデビューした。その後は端役で数々のドラマや映画に出演する。

2007年6月、『クイズ!ヘキサゴンII』で『スリルな夜・子育ての天才』(2007年)からのゲストとして出演した結果、ゲストとして初の最下位で、珍解答を連発。その後常連出演者となった。また、2007年8月には、同時期に出演していたつるの剛士・野久保直樹とともに「羞恥心」を結成し、2008年4月に歌手デビューを果たした。

2008年6月4日、自身のオフィシャルブログ『神児遊助』が「世界で最も1日の閲覧ユニークユーザー(重複しない人)数が多いブログ」(1日23万人観覧)としてギネス世界記録に認定された。

2008年10月、『セレブと貧乏太郎』(フジテレビ)にて上戸彩とともに自身初の主演を務め、同時期放送の『スクラップ・ティーチャー〜教師再生〜』(日本テレビ)には準主役での出演を果たした。

2009年3月、遊助名義でソロでCDを発売(詳細・その後のアーティスト活動については下記の「遊助」に)。

2009年9月、神児遊助としてドラマ『神児遊助のげんきのでる恋』(BeeTVで9月1日より配信)の企画・原案に初挑戦する。同年12月には、『第60回NHK紅白歌合戦』にソロで初出場した。

2010年2月、西善商事より男性衣装『U-SUKE』発表。翌11年、子供衣装『U-SUKe KIDS』発表。

2010年7月スタートのドラマ『逃亡弁護士』(関西テレビ)で連続ドラマ単独初主演を果たす。

2012年8月、出演している映画『のぼうの城』が「第36回モントリオール世界映画祭 ワールド・グレイツ部門」に特別招待され、自身初の海外国際映画祭に参加。

2015年8月22日に自身のコンサートで地元の同級生との入籍を発表し、同日に自身の公式サイトやブログでも発表した。

上地が高校1年のとき、明石家さんまが横浜高校野球部にジュースの差し入れをした[注 1]際、一人で直接礼を言いにいった上地に対し、さんまが「おまえ面白いから芸能界入れ」と薦めた。この出来事は上地の芸能界入りの些細な契機となったものの、これが直接の動機であったわけではない。

小泉孝太郎とは幼馴染で、デビュー前からの友人である。ドラマ『狂った果実2002』で初共演し、2007年秋から小泉がメインMCを務める『孝太郎Wキッチン』ではレギュラーアシスタントとして起用され、後番組の『孝太郎が行く2』でも共演。上地は小泉に対して「男として本当に尊敬している」と公言。小泉は「雄輔には全部ぶつける」と語っている。また、『うたばん』の鑑定コーナーに出演した際に元内閣総理大臣・小泉純一郎から直筆サイン入りの食事メニューをもらったことが明らかになった(鑑定価格は15万円)。

『あっぱれ!!さんま新教授』で「履歴書に書くことを増やすために資格を取りたい」ということで、番組内で2種類の検定試験に挑戦し、ほら吹き検定(2009年5月24日放送分)とスポーツ吹矢2級認定試験を取得している。

2010年12月24日放送分『アナザースカイ』の企画でスウェーデンに行き、本物のサンタクロースと出会った。そして、黄色い服のサンタとして「イェリヴァーレのサンタクロース」に認められた(国際サンタクロース協会による公認サンタではない)。

2013年1月6日、13日放送の『run for money 逃走中』で逃走成功を果たし、「アルティメットプレイヤー」の称号と番組史上最高金額となる賞金276万円を獲得した[注 2]。

2013年5月26日に放送された『行列のできる法律相談所』内で「業界人が選ぶ芸能界で1番性格のいい人」の1位に選ばれた。

両利きである。

父・克明は横須賀市議会議員(無所属・2003年初当選・現在まで4期連続当選、うち前2回はトップ当選)。母は元客室乗務員。父方の祖父は横須賀で菓子店を営んでいた[7]。上地家の先祖は宮古島の門閥(士族)で、与那覇勢頭豊見親を祖とする白川氏の一族でもあるサトウキビ農家で名字の本来の読みは「うえち」であったが、宮古島出身者や沖縄人に対する差別を嫌って、先に横須賀に出ていた彼のおじに倣って「かみじ」と名乗った。そのせいか克明は白川氏の通字である『恵』を継いでいない[7]。母方の祖父は大阪安治川生まれで、幼少期は浦賀のだるま船で船上生活をしていた。中学では野球部名サードとして知られていたが、経済的理由から中退し、工員、兵隊を経てタグボートの船長となり、浦賀ドックの野球チームでキャプテンも務めた[7]。

2015年に地元の同級生と結婚した。

少年時代の夢はプロ野球選手だった。1991年(小学生時代)、1994年(中学生時代)と、全日本選抜メンバーとして世界大会に出場。小学生時代はキャプテンとしてチームをまとめた。中学時代は軟式野球クラブチームの横須賀スターズでキャプテンを務める。上地が中学3年生の時に、所属チームは全国大会出場、関東大会優勝を果たした。横須賀スターズでの練習、試合、自主練習などに専念するべく、中学では理科部に所属した。

中学時代に計38校からスカウトを受け、私立横浜高等学校に進学。当初は木内幸男の下で野球がしたいと思い、茨城県土浦市の常総学院高等学校に進学しようと決めていたが、中学3年の夏に丹波慎也の投球を見て「この人の球を受けてみたい」と思い進路を変更した。在学時は硬式野球部に所属し捕手を務め、丹波とバッテリーを組んでいた。1年後輩には松坂大輔がおり、松坂が入部すると最初にバッテリーを組んだ。2年生から背番号2を背負ったが、その年の全国高等学校野球選手権神奈川大会の試合中に右肘の神経を断裂したため正捕手の座を1年後輩の小山良男に譲った(関東大会では、背番号2を背負っている[8])。

2008年1月19日に行われた松坂軍団対茨城ゴールデンゴールズ(横浜スタジアム)では松坂チーム・SAMURAIとして途中出場。打撃では最初の打席で2ランホームランを放ち、その後決勝犠牲フライを放って3打点の活躍だった。守備では11年ぶりに松坂とバッテリーを組んだ。試合は松坂軍団が7対5で勝利し、上地はMVPに選ばれた。

デビュー作品のL×I×V×Eをはじめ、アストロ球団、ROOKIES、バンクーバーの朝日など野球経験を生かした役柄の作品への出演が多い。

キャッチャー時代に培った分析力と人のクセを見抜く力は現在でも活用しており、番組で行われるゲームに関してデータをノートにまとめて解析している。『クイズ!ヘキサゴンII 』おいてはお楽しみゲームのハズレの位置を見破るのに使用(結果は失敗)しており、『Numer0n』においてはこれまでの参加者の使用カードによるクセを利用し決勝戦まで進むことができた。

初出演は2007年6月27日放送分。同じフジテレビで放送されていた『スリルな夜・子育ての天才』の番組宣伝もかねての出演であった。この回の予選ペーパーテストで、初出演にして最下位となり(6点)、クイズ本編では珍解答を連発したり前の問題の答え「フランクフルト」が頭に残り、ヘキサゴンコールの際にフランクフルトの「フランク…」と言いかけてしまい、それが原因でつるのと揉める等、司会の島田紳助から「メジャー級のアホ」と評された。その後すぐに常連出演するようになり、里田まい、つるの剛士、木下優樹菜、スザンヌ、野久保直樹とともに「ヘキサゴンおバカ6人組」と呼ばれるようになり「おバカキャラ」としてバラエティ番組への出演が増えるようになる。俳優業での活躍を広げたあとも、常連出演者としてほぼ途切れることなく出演を続けていた。

2007年9月頃から出演回の最下位をほぼ独占しており、最下位常連となる。特に2007年9月5日放送分では2点という低成績になり最下位となる。またクイズ本編でもなかなか答えられず「行列早抜け!リレークイズ」では優勝チームが決まった後も彼のためだけにクイズを続けることもしばしあった。里田の記録を抜き最下位総数のトップ(26回)[注 3]となるが、2008年下半期頃からは自身の点数の向上や新たな下位常連者の出演により以前に比べると最下位になることが減り、2009年に最下位となったのは3回に留まっている。

2008年7月26日の『FNS27時間テレビ!! みんな笑顔のひょうきん夢列島!!』内でのスペシャル放送分では明石家さんま率いる「パーでんねん軍団」の予選ペーパーテストの成績が悪かった影響で12位と初の中位入りを果たした。そして、2009年1月14日放送分では13位と下位だったが初の20点台を獲得した。その後は中位に入ることも多くなり、2011年6月1日送分では自身の最高点数である28点という高得点を取り、2010年7月14日放送分では、6位を記録し初の上位入りを果たして最高順位を記録する。

2010年に入ってからはタイトルバックで隣に着席するメンバー[注 4]を連れ出して走り出すことが定番になっていたが、高校生チーム制の導入後はあまり見られなくなっている。

番組内では共演機会の多いつるの、野久保とともに「イケメンおバカ三銃士」の愛称で呼ばれる。その後、2007年8月1日放送分の「アナウンスクイズ」で、上地が羞恥心を「さじしん」と読み、正解を教えられても理解できなかったことから、その日から三人のユニット名は「羞恥心」となった。羞恥心の「心」と呼ばれるようになったのは番組内で羞恥心が誕生した直後、紳助が「つるの、野久保、上地は羞恥心や」と言い、つるのがスザンヌから「羞」とはやし立てられたことから、上地に向かい「心」と言ったことが始まり。2008年3月5日放送分でデビュー曲「羞恥心」を披露した。羞恥心の活動休止後は「遊助」としての音楽活動に専念しており、新たなユニットには参加していないが、ヘキサゴンオールスターズには参加している。

2011年に入ってからはエンディングのお楽しみ罰ゲームで、上地自身7回受けたうちの6回も水を浴びており(上地の水浴び通算回数は番組最多の8回)、しかも2011年2月16日から同年3月9日放送分まで、4週連続で水を被っていた。あまりの回数の多さに、紳助からサインで教えてもらったり、過去回を一から見直して傾向と対策を練るなどしていたが、結局はそのかいもなく水を多く浴びていた。さらに、上地の傾向と対策を信じた結果、お楽しみ罰ゲームでは初めて水を浴びることになった里田は「ヤダ、もうキライ!」と激怒した。

かなりいたずら好きであり、収録中、収録外を問わず共演者にいたずらをして怒られている。また、『ヘキサゴン』のスペシャルで数多く行われたドッキリには自分が仕掛けられた後に自らも仕掛け人として参加(時には山田親太朗やスザンヌも巻き込む)する一方でドッキリを見破ったこともある。

遊助(ゆうすけ)は、上地が歌手として活動する時に使われるアーティスト名。ディスコグラフィーは、下記のCDのソロ「遊助」名義に記載する。

餓鬼レンジャーのDJGPがN.O.B.B.名義で遊助の専属DJを行っている。

また、遊助のジャケットやグッズに書かれている「遊助」のロゴは、書道家の武田双雲が書いている。

上地雄輔の関連人物

タレント偏差値ランキング 職業から有名人の出身卒業高校を探す

タレント偏差値ランキング

県別高校偏差値

関東

北関東

関西

北海道/東北

甲信越

東海/北陸

中国

四国

九州・沖縄

おすすめコンテンツ

全国高校偏差値ランキング
職業から有名人の出身高校を探す
有名人の名前から高校を探す

全国自治体別高校偏差値ランキング