ミッキー・カーチスの出身高校

ミッキー・カーチス タレント

ミッキー・カーチス卒業高校
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タレントランキング
2196位 / 2233人中 タレント別偏差値ランキング
性別
男性
生年月日
1938年7月23日生まれ

ミッキー・カーチス(Mickey Curtis、1938年7月23日 - )は、日本のタレント、ロック歌手、俳優。東京都生まれ。植木等の死去後、所属しているワタナベエンターテインメントでは最古参の部類に入るタレントである。出生名マイケル・ブライアン・カーチス(Michael Brian Curtis)、帰化後の戸籍名は加千須 ブライアン(かちす ブライアン)、作詞家としては川路 美樹(かわじ みき)、レーサーとしてはブライアン・カーチス、落語家としてはミッキー亭 カーチス、華道家としては加千須 岩水(かちす がんすい)を名乗る。主演作品である『ロボジー』出演時に使用した五十嵐 信次郎(いがらし しんじろう)は、出生名が英語であることから戦時中に非国民とされていじめを受け、日本語の名前に憧れて子供の頃に作ったもの。

日英混血のバーナード三浦と、日英混血の百合子(リリー)・ブライアンの長男として東京府東京市赤坂区で生まれ、生後まもなく兵庫県神戸市の父方の祖母三浦レオニー(日本におけるイギリス刺繍の第一人者)に預けられる。父方の祖父の三浦昇三は鉄道省観光局による観光通訳案内業試験の第1回合格者で、サマセット・モーム、ノエル・カワード、オランダのベアトリックス王女、ベルギー皇帝などの通訳を務めた。

1942年、父や母や姉とともに中華民国の上海に渡り、共同租界で生活。戦時中、実父が失踪してしまったため、イギリス国籍の義父を迎える。1945年、敗戦後に母や姉や義父とともに日本へ帰国、東京荻窪の母方の親戚宅に身を寄せる。1946年、東京千歳烏山に転居。以後、長く千歳烏山に住む。

1950年、和光学園小学校の5年生に編入学。和光高等学校在学中、1955年頃、ティーブ・釜萢が校長を務めた「日本ジャズ学校」に通う。1958年、成城大学文芸学部文芸学科映画科に入学するも、のち中退。

戦後は日本の占領に当たったアメリカ軍をはじめとした連合国軍兵士のキャンプ廻りや、朝鮮戦争に出征する国連軍兵士の慰問を行った。その後、徐々に音楽活動が認められロカビリー歌手として日劇ウェスタンカーニバルに出演。当時は平尾昌晃、山下敬二郎と共に「ロカビリー3人男」として高い人気を誇る。1960年には第11回NHK紅白歌合戦に出場。この第11回紅白はラジオ中継の音声が現存し、2004年にもカーチスの歌の音声がNHKのラジオ番組で紹介されている。

この頃より歌手としての活動以外に、二枚目俳優、タレントとしても活躍しており、その頃は共演者でもあった雪村いづみとのロマンスなども話題となり婚約まで交わしたのちに破局。1962年に『ザ・ヒットパレード』(フジテレビ)の初代司会者として共演した縁で芳村真理と大恋愛の末に結婚、1児をもうけたものの、1964年にわずか2年弱で離婚している。

1966年にはバンド「バンガーズ」をアジアで結成し、後に「ミッキーカーチス&サムライ」を結成し、ヨーロッパ音楽ツアーへ旅立ち[7]、ライブ活動のほか、現地でレコードを製作する。1970年に帰国後、音楽プロデューサーとなり、合歓ポピュラ-フェステイバルのイベントで自作の曲『地球最後の日』が作曲賞を受賞。ガロや小坂忠、矢沢永吉のいたキャロル等を担当する。また、1973年には左とん平の楽曲『とん平のヘイ・ユウ・ブルース』をプロデュースした。

歌手活動にとどまらず、俳優として、『野火』、『独立愚連隊』、『スワロウテイル』、『お墓がない!』、『死に花』など、多数の映画に出演。殊に岡本喜八の監督作品では常連俳優であった。また、立川流落語会家元・立川談志との出会いにより、落語家「ミッキー亭カーチス」として「立川一門会」Bコースでは1998年に真打昇進している。元々、学生時代は、学校をサボって寄席通いするほど落語好きで、単位が足りなくなったときも一席やって教師から単位を貰えるほどだったという。幅広いジャンルで活躍中で、「いつの時代でも若者の味方」というイメージが強く、『スワロウテイル』などで、それを不動のものとした。現在は、本人も「そういう役柄ばっかだよ」と語るほど浸透している。2013年10月には、Dステ14th「十二夜」に、サー・トービー・ベルチ役で出演決定。

趣味は多く、射撃、モータースポーツ、オートバイ、宇宙研究から彫金、最近は養蜂を手掛けるなど手広い。1960年代には元祖「タレントレーサー」としていすゞ自動車とワークス契約を結んだこともあり、1980年代には東京都目黒区にオートバイショップ「ブライアン・カーチス」を開いていたこともある。

アクターズプロモーション経てワタナベエンターテインメントに所属。

両親共にイギリス人のハーフ[8]。よってカーチス自身もハーフである。

1961年に芳村真理と結婚したが1964年に離婚。芳村との間に授かった息子は元歌手の大伴修。

1971年にタレントの西野美代子[9](ミカカーチス)と再婚するが、2002年、長い離婚訴訟の末に離婚した。西野との間に授かった長男が元ミュージシャンでいしだ壱成らとバンドを組んでいた加千須ユージン(邑壬カーチス)[9]。次男のトム・カーチス[9]はベーシスト。

2008年1月下旬に、33歳年下のピアノ講師[9]と再々婚した。

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