オール巨人の出身高校

オール巨人 タレント

オール巨人卒業高校
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性別
男性

オール阪神・巨人(オールはんしん・きょじん)は、日本の漫才コンビ。吉本興業大阪本社所属。

1975年4月にコンビ結成。コンビ名は毎日放送の公開バラエティ番組『ヤングおー!おー!』内で桂三枝(現・六代桂文枝)がコンビ名募集を行い、その中から採用されたものである。

オールきょじん、(1951年11月16日-)主にボケ担当。

1951年、大阪の天王寺で産まれ、その後、家業の都合で転居を繰り返す。その後豊中市の北条に落ち着き、結婚までの時期をこの地で暮らす。中学3年生の頃には身長が180cmほどになっていた。特に暴れん坊だった、不良だったと言うわけではないのだが、いつしかケンカが強いと言う「設定」になっており、学校では一目置かれる存在となり、いつのまにかたくさんの子分がいたという。 現在は吹田市在住。 大阪商業高等学校卒業後は学生の頃から手伝っていた実家の鶏卵卸売り業に勤務する。そのかたわら『素人名人会』などアマチュアが出演するテレビの演芸番組でモノマネや漫談を披露する。この頃に老人ホームや刑務所などでの慰問を行うために素人の手伝いを探していた時、まだ高校生であり、同じく演芸番組の常連であった高田昭徳、後のオール阪神と出会う。

臨時的に阪神と組んで漫才を行ったことがあったがこれが受け、阪神と共に吉本興業に所属することを勧められる。

当時の吉本にはNSCといった養成所がなかったため誰かの弟子となるのが習慣であったが、意中の島田洋之介・今喜多代は既に島田一の介や今いくよ・くるよ、島田紳助など多くの弟子をかかえており、ちょうど付き人を探していた吉本新喜劇の岡八朗の弟子となった(岡の一番弟子であったという)。当時島田紳助と仲が良く、今喜多代からコンビ結成を勧められたが、もともと吉本入りは阪神とのコンビ結成が前提であり、また巨人は年下の阪神が卒業するのを待っていたため、これを断った。

1975年2月には阪神も岡の弟子となる。その後1975年4月までの約9ヵ月間、岡八朗の弟子として過ごす。ただし岡は新喜劇俳優(とは言え漫才師としての経験もある)、巨人は漫才師志望のため、直接的に芸を学ぶ事はなかったが、アドヴァイスを受けることはあった。

一時期はせっかく夢を持って吉本に来たのだから、と、弟子入り志願者が10人居れば7-8人を弟子としていたほどであったが、2012年現在は、弟子を取ってはいない。弟子の数は合計30人程度にのぼるが(うち一人は女性だが、他は男性)、ほとんどは芸人を辞めていった。常識の無い弟子に困らされることもしばしばであったと言う

なお、巨人は厳しい師匠だと言われる事があるが、勿論弟子が失敗すれば怒ったり謹慎を命じたりしたりする事はあるにせよ、巨人自身は、そうではないと思っているとのこと。巨人は師匠である自身が弟子と真剣に向き合っているからこそ、怒鳴ったり怒ったりすることもある、としており、また自身は理由も無く手を挙げるような乱暴者では無いとも語っている(後述)。

だが謹慎をきっかけに弟子が辞めてしまうこともあり、そういった時は非常に寂しいもので、あの時許していればと自省をしてみたりと言ったこともあり、師匠をやるのも難しいものなのだと語っている。なお、巨人によれば、巨人が弟子に手を上げたのはただの一度だけであると言い、その弟子はあろうことか阪神の財布から現金を盗んでいたのだという。

また、テレビ番組『EXテレビ』の企画で巨人の弟子となった有吉弘行が兄弟弟子を歯が折れるほど殴ってしまい、暴力を振るうような奴は弟子にはいらんと謹慎を言い渡したところ、いつの間にか上京して「猿岩石」を結成しブレイクしていたといったことがあった。その後巨人と再会した有吉は土下座して謝罪し、巨人は何故連絡の一つも寄越さなかったんだと言いながらも、お前も辛かったんだろうと、正式に破門と言うかたちにした。

有吉以外にも巨人のもとを離れてから成功した例がいくつかあり、一時期は巨人の弟子をやめたら売れると言う話が生まれたという。なおあくまでテレビのバラエティ番組内でのトークではあるが、有吉がMCを務める番組に巨人がゲストとして出演した際、有吉は巨人師匠の弟子につかせてもらって良かった、としながらも、(猿岩石がブレイクしたきっかけの)6ヵ月のヒッチハイクと巨人のもとでの8ヵ月の弟子生活を比較し、もう一度どちらかをやれと言われたらヒッチハイクの方を選ぶ、と思うほど、(18歳当時の)自身には厳しいものだったと語っている。

弟子・元弟子には有吉のほか、角田龍平、コラアゲンはいごうまん[* 1]などがいる。

また弟子を取る時には履歴書と、心構えなどを書いた書面を提出させ、それは全て保管しているという[* 2]。

弟子については#ガチンコ!でも詳述する。

『ガチンコ!』と言うテレビ番組の企画で、巨人に漫才師を育てる企画、「漫才道」の講師の依頼があった。「生まれてこの方やらせと嘘は大嫌い」と言う巨人は、やらせをしない、「演出」も極力控える条件でこれを承諾。

1週目収録がはじまると、20-30人集まった候補者の中にとんでもなく態度の悪い人物がおり、巨人はその人物を怒鳴りつけたが、その人物はしらばっくれたような態度を取るだけだった。巨人は、「何を言うてんねん。お前な、漫才師になりたくてここに来たんなら、俺の言うことを聞け、嫌やったら帰れ! お前が俺の弟子やったらパンパンやぞ!!」(オール巨人『師弟』p.148より引用)と叱りつけた。巨人によればこの「パンパンやぞ!!」は後で評判になった台詞だが、本当はそんな風に言うつもりでななく、パンパンとはバチバチっと殴るぞ、ちゃんとやらないと手が出てるぞ、程度の意味合いであり、恐らく自身が怒りで興奮していたんだろう、としている。ともあれ1週目の収録は終わったが、巨人はその態度の悪い人物を、番組側が仕込んだやらせなのではないかと怪しみ、スタッフを問い詰めた。この時スタッフはやらせを否定したものの、2度目の収録の前の週に巨人がテレビを見ていると、なんと他の番組にその人物が出演しており、真面目な好青年であったという。巨人は「やっぱりやらせか!」と激怒し、2度目の収録の時にスタッフを叱りつけ、収録は中止となった。巨人は本音ではこの企画をもう降りたかったが、1週目を収録してしまった都合上そういう訳にもいかず、今後は自分の好きにさせて貰う、やらせは行わない、と言う条件でやむなく続けることにした。以後は1回目のようなあからさまな仕込みはなかったものの、スタッフが弟子へのビンタを要求するなどやらせを要求され、腹を立てることがあったという。

巨人はこの件に関し自著で、口で言っても解らない子には殴るしかない時もあろうが、自分は誰にでも手を出すような乱暴者ではない。またテレビの企画とは言え塾生を弟子のように思っているから無闇に怒るようなこともできない、と著している。

なお巨人は前述の通り、弟子に対して師匠として真剣に向き合うから怒鳴る時もあれば怒る時もあるとしており、テレビ番組の企画とは言え、自身が塾生たちにも真剣に向き合った結果、テレビの視聴者に「巨人は怖い」との印象を与えるに至ったのではないかとしており、出演しなければ良かった、と思う時もあるという。この企画で怖いと言う印象がついてしまい、寿司屋を訪れると茶髪の店員を奥に隠したり、「ウニください」と普通に寿司を注文したら、「あれ、怖くないんですね」などと驚かれたこともあったと言う[* 3]。

巨人によれば、ガチンコの出演は残念な結果に終わったが、芸人として残っている数少ない弟子は「巨人師匠は優しい」と言ってくれるし、また、一部のファンは当時「巨人さんは本当は優しいと知らしめたい」と言ってくれており、その気持ちは嬉しかったとしている。

巨人は以前、C型肝炎を患っていた。初期は自覚症状がない病気であるが、これが発覚したのは1997年ごろ、虫垂炎の手術をしたときである。ひとくちにC型肝炎と言っても色々なタイプがあるが、最も治りにくいウィルスに冒されていた。自覚症状が無い為になかなか治療を開始する踏ん切りがつかず、治療を開始したのは還暦を前にした2010年2月のこと。

巨人が受けたインターフェロン治療は注射を行うと体温が39度を超え激しい頭痛と関節痛が伴い、また副作用が20も30もあるようなものであったという(巨人の場合、一番ひどかったのは、耳鳴りであった。その他立ちくらみや味覚障害による食欲不振など。)。またこのような症状は当日だけではなく、日常生活にも支障を来すものであった。しかし不思議と、舞台上では時折目の前が真っ白になりながらも、しっかり漫才を行えていたという。

その辛さから家族に八つ当たりすることもあったが、巨人は仕事を休まずこの注射を毎週、1年半続け、また更に半年後の検査でもウイルスは検出されず、2012年現在は完治ということになっている。治療費は1年間につきおおよそ100万円程度かかったが、2012年現在は助成金が有り安価に治療できるとのこと。

なお巨人が治療を開始する4-5年前に、巨人の妻も同じくC型肝炎でインターフェロン治療を行っている。妻も注射後3-4日はずっとしんどいとへたりこんでいたという。

また巨人は治療中飲酒とゴルフを絶っていたが、治療終了後に「飲酒再開の会」を興したところ、20人ほどが集まってくれたと言う。

巨人は師匠である岡八朗を非常に尊敬・敬愛していると語る。弟子として専属したのは9ヵ月程度であったが、離れても一生師匠は師匠、弟子は弟子と言い、酒に溺れ身を崩す岡を諫め続けるなど、師弟関係は岡が死去するまで31年間続いたものであった。巨人曰く、たまたまの縁で岡と師弟関係となったが、師匠である岡の深い愛情と大きな度量があったから今の自分があり、後年酒と怪我で身を崩した岡を諫めるようなことになっても、その尊敬心や信頼関係にはいささかの揺るぎもないという。また、本当に優しくて、大きな師匠であり、岡八朗師匠に出会えて良かったと心から感じている、としている[49]。なお岡の葬儀の後、岡の日記を読む機会があったが、巨人の本名が「南出」であるところ、死去する2日前に書かれた、数日前に行われ岡最後の舞台となった芸能生活45周年公演について記した日記で岡も舞台を非常に楽しんだことなどが記されていたが、巨人の名前が「南田」と誤記されており、ここでそれはないだろう、と、ガックリきたと冗談めかしながら著している[50]。

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