せんだみつおの出身高校

せんだみつお タレント

せんだみつお卒業高校
法政大学第一高校 偏差値 東京都高校偏差値ランキング
タレントランキング
355位 / 2233人中 タレント別偏差値ランキング
性別
男性
血液型
O型

せんだ みつお(1947年(昭和22年)7月29日 - )は、日本のタレント、コメディアン。本名、中野 光雄(なかの みつお)。

樺太真岡郡真岡町生まれ、東京都育ち。

法政大学第一高等学校(現:法政大学高等学校)卒業、駒澤大学経済学部中退。中退後服部栄養専門学校に入学、調理師の免許を取得。

子役時代を経て、1970年代にラジオ番組・テレビ番組の人気司会者となった。「ナハッ」などのギャグで知られる。

芸名の由来は、慣用句の「せんみつ」(千に三つしか本当のことを言わないさま)から。

後述の『東芝ワイドワイドサンデー』の仕事の際に、ニッポン放送ディレクターのドン上野こと上野修が名付けたものであるという。当初は漢字であったが、声優の千田光男がいることからひらがなにしたという。

千田光男とは血縁関係はなく、名前の読みが同じだけの全くの別人だが、誤って千田のギャラがせんだに振り込まれるなどの出来事があり、お互いに意識していたという。この2人は海外テレビドラマ『特捜刑事マイアミ・バイス』の吹き替えで共演したことがある。その際せんだはフィル・コリンズの声を担当した。

過去には千田光雄やせんだ光雄、ムッシュ中野の芸名で活動していた時期もある。2000年にはミレニアムにちなんで1年間限定で二千田光雄(にせんだみつお)に、2009年には3か月のみ浦島みつおに改名した。

実息は俳優・せんだ雄太、実娘はタレント・せんだるか。

父は王子製紙の技術者で、父の赴任先であった樺太(サハリン)で生まれた。

1948年(昭和23年)に岩手県に引き揚げ、その後、宮崎県日南市に移る。

小学校2年生の時に東京都杉並区に移り住んだ。

小学校3年生の頃より「劇団杉の子」に所属し、子役として活躍していた。初舞台は轟夕起子主演の舞台『人形の家』。高校時代に出会った菅原進と仲良くなり、駒澤大学を中退後のしばらくの間、菅原進が結成したバンドビリーバンバンでコンガを叩いていたこともあった。

せんだは服部栄養専門学校に通いつつ、ムッシュ中野という芸名でビリーバンバンの付き人兼司会を務めることとなったが、その仕事が他のバンドにも広がり、アンドレカンドレ(井上陽水)、吉田拓郎などのコンサートの司会を務めた。

菅原進がボイストレーニングに通っていた浜口庫之助のつてで、世志凡太の運転手や世志が加わっていたフランキー堺のバンドの巡業に加わるなどの仕事を経て、坂本九がメインパーソナリティーを務めるラジオ番組『東芝ワイドワイドサンデー』(ニッポン放送)のレポーターの仕事を得ることとなった。

初のメイン司会番組は1969年(昭和44年)の『ワゴンでデート』(ニッポン放送)で和田アキ子とのトーク番組であった。その後『ラジオカウント』、『セイヤング』、『ハローパーティー』などラジオ番組の人気司会者となる。

1972年(昭和47年)10月にキャシー中島とテレビ番組『ぎんざNOW!』(TBS)の司会となり好視聴率を得る[7]。

続いて1973年(昭和48年)10月にスタートした『うわさのチャンネル』(日本テレビ)の司会を務め、人気が爆発した。また、湯原昌幸と番組で共演し、絶妙なコンビで人気を博した[8]。

この頃、結婚し披露宴の司会はみのもんたであった。

1974年3月26日には東京四谷の文化放送にせんだみつお宛ての発火物(局の係員が開封したら白煙をあげた)が送りつけられるなどの嫌がらせも受けた。

この頃は極めて多忙であり、無理なスケジュールで体調を崩した(次項参照)。

1978年(昭和53年)12月に肝炎、尿管結石で入院。半年間の休業後、折からの漫才ブームなどでレギュラー番組が総てなくなるなど、急速に人気に陰りがでた。せんだ本人の分析によると、当時は動きの芸からしゃべりの芸への移行期であり、自分にはテンポがなかったためであるという[9]。

1980年代以降も芸能活動をし、テレビ出演などもこなしているものの、タレントとしての露出度は1970年代の全盛期には及ばない。全国メディアでは、旧知の和田アキ子らの番組にゲスト出演する程度に留まった。

一方で、俳優としての活動に重点が置かれた。声優としても、『ゴールデン洋画劇場』での『ブルース・ブラザーズ』テレビ初放送時には、ジョン・ベルーシの吹き替えを担当。小野ヤスシが担当したダン・エイクロイドとの絶妙なやり取りを見せた[10]。

近年は「ウケない金ない仕事がない」の「三ない」や、自称「大スター」等の自虐ネタを持ち味としている。

2001年には、当時リバイバルヒットしていた「明日があるさ」に対抗して「明日がないさ」という楽曲を発表。歌詞も、そっくりそのままネガティブにしており、「明日がない 明日がない 明日がないさ」と歌っている。

ラジオ文化放送の「吉田照美のやる気MANMAN!」(2007年終了)では、ゲストではなくリスナーとして投稿が採用されることがよくあった。

2011年、「クイズ☆タレント名鑑」の企画「ギャグされるまで帰れません! バスツアー」に出演。街頭でマイクを向けた一般人が自分のギャグをやったら帰宅できる、というものだったが、髭男爵や小島よしおに破れ、最後の一人(一組)となる。

2012年に「明石家サンタの史上最大のクリスマスプレゼントショー」の芸能人枠で電話がかかり、「前日に新潟でスナック1日店長をしてほしいとオファーを頂き、予定が空いていたのでやった」という自虐ネタで見事合格しさんまの麹漬けを当てた。

現在は、イベント等司会者として全国営業中である。一方、俳優としては、現在も2時間ドラマを中心に主要脇役として活躍している。

2007年1月にTBSナショナル劇場『浅草ふくまる旅館』でデビューした俳優のせんだ雄太は長男。また長女のせんだるかも2009年にタレントとしてデビューしている。

来歴から「一発屋」と言われ、後輩、一般からバカにされているが、「一発売れるのに、幾度も苦労し、一発も売れなかった奴もいるんだよ・・・」と芸人は楽そうに見える方面への警笛を鳴らす名言を残している。

両手を顔の横に上げ、それを前後に動かしながら「ナハッナハッ」と言うギャグや、「せんだ偉い!せんだ偉い!」などと自分で自分を持ち上げるギャグが特に有名。

その他、人名や地名を連呼するギャグを得意とする。そのインパクトは強く、現在でも「せんだみつおゲーム」(後述)として残っているほどである。

ビートたけしとはテレビ番組『スター爆笑座』にツービートが出演して以来の仲で、ビートたけしの「ナハッナハッ(タケちゃんマン)」「コマネチッ」(ナハネチッ)は、ラジオのネタを考えていたビートたけしがせんだのギャグを真似したものだが、さらに元々は湯原昌幸のギャグをせんだが真似したものであるという[11]。ビートたけしによると、せんだからはギャグ1つにつき5000円で購入したという。

合コンなど宴会の余興で行われるゲームの一つ。参加者は車座となり、最初にある人間が「せんだ」といいながら誰か他の参加者を指差す。するとその指を指された人間は「みつお」と言いながら、また参加者の誰かを指差す。その後指をさされた人間の両隣の人間(あくまでも両隣の人間だけで、さされた当人はつられてはダメ)が「ナハッナハッ」のギャグを行うと1ターンが終了する。その後は「みつお」を言われた人間が最初の人間となり、以降だれかがミスをするまで繰り返す。

その応用版として、芸人とそのギャグや口癖を使った「○○[12]ゲーム」(○○はその芸人の名前)も存在し、宴会などで行われている。

1997年に放送されたアコムの自動契約機「むじんくん」のCMで、チャント星人(セイン・カミュなどが演じていた)が土星人との合コンに参加した際にやっていた事で広く世間に知られた。せんだ自身はCMに一切出演していないが、広告代理店からせんだに対して謝礼が支払われたという[13]。

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