さくまあきらの出身高校

さくまあきら クリエイター

さくまあきら卒業高校
武蔵丘高校 偏差値 東京都高校偏差値ランキング
クリエイターランキング
131位 / 181人中 クリエイター別偏差値ランキング
性別
男性
生年月日
1952年7月29日生まれ
血液型
A型

さくま あきら(本名:佐久間 晃(読み同じ)、1952年7月29日 - )は東京都杉並区出身のゲームライター、作家。血液型はA型。

東京都立武蔵丘高等学校から一年浪人。立教大学経済学部、劇画村塾出身。小池一夫曰く「自分の一番弟子」。自身が中学生のときから強い影響を受けたという作曲家のすぎやまこういちにあやかって、ペンネームを平仮名にする。

漫画評論家を廃業した後は、『週刊少年ジャンプ』にて1982年-1995年にわたり掲載された読者投稿コーナー『ジャンプ放送局』の構成や、コンピュータゲーム『桃太郎伝説』(桃伝)、『桃太郎電鉄』(桃鉄)シリーズの生みの親として有名。現在は『桃鉄』シリーズを中心としたゲーム作りに勤しむ。

堀井雄二とは学生時代からの友人である。

既婚者で妻と娘が1人、孫娘が2人。藤岡藤巻の藤岡孝章は従兄。

2011年7月6日付で文化人タレントとしてビー・ブレーブと業務提携契約を締結、その後同契約を解消しフリーランスに戻る。

実家は玩具店。3歳の時に母親を亡くしたため、実の母の顔を全く覚えていない。その後父親の再婚で継母と暮らすようになるも、反りが合わず、よく自分や姉に対し嫌味な発言をされたという。子供時分から思春期に至るまで良い思い出はなく、たびたび家出をすることで自我を主張していたという。成人したのちに親戚に「よく不良にならなかった」と感慨深く言われたという(そのような経緯もあり、現在の自分の家族(特に養娘や孫娘)に対しては血縁関係の有無を越えた家族として接している)。

幼少の頃から漫画に親しんでいたこともあり、同級生よりも漢字を覚えるのが早く、優等生と呼ばれていた。しかし、バンドや漫画にはまったことから成績が下降。高校時代には数学で0点を記録し、物理部の部員でありながら物理で赤点を取り話題になった。それでも成績の良いクラスメートの勉強法を真似して持ちなおし、一浪の末に立教大学へ進学。漫画研究会に所属し、漫研繋がりで早稲田大学の堀井雄二と知り合い、友人となる。同じく早稲田大学の土居孝幸とも出会い、卒業後再会し仕事を共にする事となる。一年留年の後に大学卒業後、ライターとなった。

25歳の頃に、当時開講したばかりの劇画村塾へ「一期生には大物が出る」との理由で入塾。編集コースに参加したがあまり身が入らず、漫画原作などを執筆していた。

『ジャンプ放送局』などの編集に参加する一方、漫画評論家として活動していた。その頃の評論は単行本『だからマンガ大好き!』(1982年)『まんが雑学ゼミナール まんがを100万馬力で読む方法』(1983年)にまとめられている。また、夏目房之介の『粋なトラブル』(1984年)など漫画の単行本に解説文を寄稿することもあった。

後に堀井雄二らとともに「花伝社」を設立し、新人漫画家を育成する雑誌『マンガハウス』を発行するも、億単位の赤字を出し2年で終了。その十数年後に、同様のコンセプトで『チョコバナナ』という雑誌を創刊するも、不況のあおりを受け16巻(1995-1998)で停滞・休刊となった。

その後、堀井が製作した『ドラゴンクエストII 悪霊の神々』が行列ができる程の社会現象で品薄状態になり、さくまも購入できなかったことから、友人である堀井の元へソフトを貰いに行こうと考えたが、土居孝幸の家のほうが近いことから、そっちに借りに行こうということになり、土居の家で茶飲み話をしている内に「竜王を倒すのが桃太郎っぽいよね」「俺たちもゲームを作りたいよね」「ジャンプ放送局7巻の表紙に“太郎ズ”の絵が描かれているけど、ゲームの村も金太郎の村、浦島の村としたらわかりやすいよね」と話が弾み、堀井から「ゲームは儲かるよ。出版社をしていたときの多額の借金も返せるよ。」と言われたことや、『ドラゴンクエストIII そして伝説へ…』の発売日が遅れることを事前に教えてもらっており、その当初の発売予定日が12月だったことから、12月より前に発売すればそこそこ遊んで貰えるかもという思惑を抱き、ゲーム製作の話が持ち上がる。

身内のスタッフを「蟹を食べよう」という口実で誘うため、札幌に本社があったハドソン(現・コナミデジタルエンタテインメント)を製作元に選んだ。これにより桃太郎伝説の発売が急遽決まったため、3か月で製作された。シナリオは原稿用紙4000枚に及び、ショッカーO野が手書きの原稿をワープロで打ち直した。1987年10月26日にファミコン用ゲームソフト『桃太郎伝説』が発売。売れなかったら『ジャンプ放送局』でギャグにするつもりだったらしいが、思いがけず売れたため、その後シリーズ化される事となる。なお、製作の際、堀井にはテストプレイなどで微妙なところを教えてもらえたとのことで、困ったら友人のよしみで堀井に作らせようと目論んでいたとのこと。

その後、ゲーム開発や連載などで多忙を極める。1995年当時は年にゲームを4本も製作していた他「ジャンプ放送局」なども抱え、休む暇もなかった。同年、病院で血圧を測ったとき数値が200を越え看護師に驚愕される。

その数か月後の同年12月にトイレで突如倒れ、脳内出血と診断される。さらに糖尿病まで発覚。翌月にはジャンプ放送局が終了しているが、この製作自体は数か月前に終わっており、当時は『チョコバナナ』の編集長を務めていた。後のさくま曰く「それまでも周囲に血圧を測れと言われていたらしいが、全く聞く耳を持たなかった」「食事療法(1日1,600キロカロリー)をしたら、それだけで1か月で5kgやせた。昔なら確実に1日3,500キロカロリー食べていた」とのこと。

退院後、1年半以上に及ぶリハビリ生活の傍ら、ゲーム製作や『チョコバナナ』の編集、アニメ雑誌『Magazine MEGU』の読者コーナー「☆比喩魔(ほしひゆま)」の編集などを続ける。その様は周囲から「とても病人の仕事のペースじゃない。そもそも病人は仕事しない。」と言われた。その一方で、業界内では重体説や再起不能説が囁かれていたという。

しかし、それ以降も現在に至るまで、三度の食事は基本的に外食、自宅で食事する際もテイクアウトの弁当などで済ませていることが多い。そのため栄養が偏りがちな上に糖分や塩分の摂取が過剰なため、主治医から諸々の注意を受けている。

1997年、『桃伝』から数えてゲーム製作10周年を迎えた。記念として製作された『怪物パラ☆ダイス』には、友人の堀井雄二らが登場するモンスターのデザインを提供した。また、さくまとこれまで関わった先輩・後輩・弟子ら総勢50人の「お祝いメッセージ」が収録され、裏技で見ることが出来る。

後輩のいしぜきひでゆきの誘いもあって、2010年4月に大阪電気通信大学の客員教授となる。

特に記載のないものはディレクション担当

さくまあきらの関連人物

クリエイター偏差値ランキング 職業から有名人の出身卒業高校を探す

クリエイター偏差値ランキング

県別高校偏差値

関東

北関東

関西

北海道/東北

甲信越

東海/北陸

中国

四国

九州・沖縄

おすすめコンテンツ

全国高校偏差値ランキング
職業から有名人の出身高校を探す
有名人の名前から高校を探す

全国自治体別高校偏差値ランキング