鮫島彩の出身高校

鮫島彩 サッカー選手

鮫島彩卒業高校
常盤木学園高校 偏差値 宮城県高校偏差値ランキング
サッカー選手ランキング
915位 / 1982人中 サッカー選手別偏差値ランキング
性別
男性
生年月日
1987年6月16日生まれ

鮫島 彩(さめしま あや、1987年6月16日 - )は、栃木県河内郡河内町(現・宇都宮市)出身の女子サッカー選手。なでしこリーグ・INAC神戸レオネッサ所属。ポジションはMF、DF(サイドバック)。

小学1年生のとき、たまたま近所に女子サッカー・チームがあり、その「サッカーというより鬼ごっこ」のような雰囲気に惹かれてサッカーを始める。中学校の部活ではテニス部に所属し、「絶対にサッカー選手になりたい」という気持ちはなかった。

ところが、安藤梢も在籍する地元クラブの河内SCジュベニールに所属すると、阿満憲幸監督の熱心な指導のもと、めきめきと頭角をあらわす。その後U-15の全国大会に出場。実力を認められ、女子サッカー界の名門である常盤木学園高等学校(宮城県仙台市)にサッカー留学した。1年からレギュラーに起用され、第14回全日本高等学校女子サッカー選手権大会では背番号10を背負い準優勝した。高校時代は攻撃的MFのポジションでスピードに乗ったドリブルを得意とした。8度の全国大会出場、3度の準優勝を経験した鮫島は一躍注目を集め、U-18で初めて日本代表に選ばれる。しかし、母親と同じく「看護師になりたいという気持ちがあった」鮫島は、「代表練習に行くのはもう嫌で、嫌で」、また「欲がなくて、そういう高いレベルでプレーすることを望んでいなかった。」

なでしこリーグのYKK AP東北女子サッカー部フラッパーズ(宮城県志田郡三本木町、現・大崎市)が東京電力女子サッカー部マリーゼ(福島県双葉郡広野町)になる際、高校卒業後の進路に悩む鮫島に誘いをかけたところ、高校の部活や代表合宿を通して「YKKの楽しい雰囲気」を知っていた鮫島はこれを承諾し、高校卒業後の2006年にマリーゼに入団。プロ契約ではないため、東京電力福島第一原発で事務員の仕事をするかたわら、練習や試合に臨んだ。レギュラーを獲得するとU-20日本女子代表に選出され、AFC U-19女子選手権2006マレーシアでは、韓国戦、インド戦、中国戦でゴールを決めた。

2007年、シーズンにチームはディビジョン2に降格したが、鮫島はmocなでしこリーグ2007ディビジョン2シーズン最優秀選手賞(MVP)を受賞し、チームも優勝して1年での一部復帰を果たした。

2007年以降なでしこチャレンジプロジェクトに参加すると、2008年にはなでしこジャパンに初選出された。代表ではサイドの突破力を買われ、ミッドフィールダーから左サイドバックにコンバートされた。2009年シーズンではマリーゼでも左サイドバックとして出場している。

2011年3月11日に発生した東北地方太平洋沖地震(東日本大震災)によって引き起こされた福島第一原子力発電所事故の影響を受け、マリーゼが活動を自粛すると「このままサッカーを続けていいのか」と思い悩んだが、サッカーを続けることを選び、マリーゼの練習に参加していたアメリカ人選手の誘いもあってWPSのボストン・ブレイカーズに移籍した。マリーゼの菅野将晃監督は「海外移籍には相当な不安感があったはず」と話している。米国への移籍は、東京電力でプレーしていたということで、国内移籍では受け入れ先に迷惑がかかるのではないか、という配慮もあった。6月12日のスカイ・ブルーFC戦で後半はじめから途中出場したのがWPSデビューとなった。

6月に開催された2011 FIFA女子ワールドカップにおいても左サイドバックとして全試合でスタメンとしてプレーし、7月17日に行われた決勝戦でもアメリカ代表に勝利し優勝を決めたチームに貢献した。8月10日、これまでのスポーツ界の貢献に対して、同じく栃木県出身の安藤梢選手とともに栃木県県民栄誉賞を授与された。ロンドン・オリンピック最終予選でもチームで唯一5試合フル出場した。

9月12日、モンペリエHSCと2年契約を結んだと発表。9月22日に正式契約し、監督のサラ・ムバレクは、「フランスとヨーロッパでは、サイドバックを任せられる選手が稀少であり求められている。だからわれわれは一歩先んじたわけだ。『サメ』は、サイドバックだけでなくもっと前の位置もこなす多機能の選手である。われわれの考える試合運びでは、サイドの役割が重要になってくる。彼女のようなタイプの選手を、まさにわれわれは待望していたのである」との発言を残している。

12月22日、なでしこジャパン海外組の熊谷紗希(常盤木高の後輩)および大儀見優季とともに、大儀見の同級生が勤務する東松島市立矢本西小学校(宮城県東松島市)を訪問し、サッカー教室などで被災地の児童たちと交流した。2012年6月をもってモンペリエHSCを退団。

2012年7月9日、ベガルタ仙台レディースに移籍。チーム初のプロ契約選手となる。

同年8月21日、仙台市から賛辞の楯が贈呈されることとなった。

日本代表としてロンドンオリンピックでは6試合中5試合に出場し、銀メダルを獲得した。

2013年3月20日仙台市内で常盤木学園高校と練習試合中、後半に右足の違和感を訴えて途中交代、その後リハビリで様子を見ていたが5月23日に痛みが引かないため精密検査を行った結果、右太腿の肉離れと腱損傷で全治約3カ月と診断されたと発表。その後もリハビリを続けて、そのリハビリ中に同じ施設に通っていた冬季オリンピックスノーボード女子パラレル大回転代表の竹内智香選手と交流を持ち、その後、竹内選手はソチオリンピックで銀メダルを獲得したことに刺激を受けた。2014年2月28日にヒューストン・ダッシュへ半年間の完全移籍(9月にベガルタ仙台に戻る予定だった)が決まったものの、2月の日本代表合宿中に再び負傷し、結局ヒューストン・ダッシュとの契約はできず、7月下旬までリハビリを行っていた。2014年7月29日にベガルタ仙台レディースへ復帰が発表された。

2015年1月、INAC神戸レオネッサにプロ契約での移籍を発表した。

(2015年11月29日現在)

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