高田文夫の出身高校

高田文夫 演出家

高田文夫卒業高校
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55位 / 61人中 演出家別偏差値ランキング
性別
男性
生年月日
1948年6月25日生まれ

高田 文夫(たかだ ふみお、1948年6月25日 - )は、日本の放送作家、タレント、演芸評論家。本名は高田 文雄(たかだ ふみお)。愛称は「高田ギョロメ文夫」「高田先生」。落語家としての高座名は「立川藤志楼」で落語立川流Bコースに所属。生年月日は沢田研二と同じ。

東京都渋谷区生まれ、世田谷区船橋育ち。父の高田栄三は歴史書関係の出版社国文社の経営者で、丹羽文雄と仲が良かったことから「文雄」という名前を付けられた。父方の親戚に出版社の経営者が多く、そのうちの一人に、雑誌『映画評論』発行人高田俊郎がおり、高田の芸能好きは彼の影響が大きいという。また、母方は代々、渋谷で鳶の頭をつとめていた。

小学校時代に『おとなの漫画』(フジテレビ)に強い影響を受け、青島幸男のような放送作家を志す。世田谷区立船橋中学校、日本学園高校を経て、日本大学芸術学部放送学科に入学し、落語研究会に所属。同期に古今亭右朝が、後輩に森田芳光がいる。立川談志に心酔し、談志の著書『現代落語論』がバイブルで、「落語の才能が無い」と森田を辞めさせている。本人が著書で語った所によると「青島幸男に憧れて早稲田を志したが、出来が悪かったので諦めた。」と言う。

中学高校ではエルヴィス・プレスリー、ビートルズの洗礼を受けたロック少年でもあり、高校時代はボーカルとして「高田バンド」を結成して、フジテレビの番組『勝ち抜きエレキ合戦』にも出演した。なお、当時からすでに、ライブでは曲の合間に漫談やコントを入れていた。高校3年生の時に、来日したビートルズの武道館公演を見るが、「演奏テクニックがたいしたことがない」と熱が冷め、以降は演芸少年に変わる。

大学卒業後は放送作家の塚田茂に弟子入り(のちに破門)し、「スタッフ東京」設立に参加。1973年、『ひらけ!ポンキッキ』で放送作家デビュー。

その後、『時間だヨ!アイドル登場』(日本テレビ)『ロッテ 歌のアルバム』『笑ってポン!』(以上TBS)、『スターどっきり(秘)報告』『夜のヒットスタジオ』『オレたちひょうきん族』『らくごin六本木』(以上フジテレビ)、『笑アップ歌謡大作戦』(テレビ朝日)、『三波伸介の凸凹大学校』(テレビ東京)、『ビートたけしのオールナイトニッポン』(ニッポン放送)、フジテレビの正月の名物番組『初詣!爆笑ヒットパレード』など数多くのバラエティ番組を手がける。『スターどっきり』『凸凹大学校』などの番組テーマ曲の作詞も手がけた。

著書の『江戸前で笑いたい』やテレビ史の番組のインタビューでは、構成を担当していた『ひょうきん族』の裏番組であった『8時だョ!全員集合』への対抗心からいかりや長介の傲慢ぶりを批判したり、ドリフはアドリブがなく自分が考える笑いとは違うなどと述べていた。

2009年より、日大芸術学部時代からの友人で放送作家の松岡孝に頼まれ、放送作家養成セミナーの講師を務めている。

また、自身もタレントとして活躍。NHKの子供番組『600 こちら情報部』では戸田恵子らとともにレポーターを務める。『THE MANZAI』では景山民夫と組み、「民夫くんと文夫くん」として漫才も披露した。

1983年、立川談志の落語立川流Bコースに入門。立川 藤志楼(たてかわ とうしろう。「とうしろう」は、業界用語の「トーシロー」=しろうとの意味)を名乗り、1988年には真打に昇進した。真打昇進後から1990年代前半にかけて精力的に高座を務め、多くがCD化された。その後しばらく落語家としては休業状態であったが、2006年4月中旬、約10年ぶりに高座に上がった。また、2008年からは新音源によるCDシリーズも発表されている。

2006年にワザオギからCDが発売された際、新宿・紀伊国屋書店2階のミュージックテイトでは「発売直後の週間売り上げ枚数が宇多田ヒカル」を抜いた」と発表された(宇多田ヒカルがちょうど新盤の発表前であったことや、この店が落語・お笑い関係のCDやカセットテープに力を入れているためともいわれる)。

学生時代に青島幸男か永六輔に弟子入りしようとした。永には弟子入りを志願する手紙を送るが、「僕は弟子を取るつもりはありません。お友達になりましょう」との返信が来て断念している。なお、高田が放送作家になり、15年後に永に対面した際にこの件を話したところ、「今からでも遅くありません。弟子になってください」との手紙が後日届いた(高田は「自力でなんとかなった」と断っている)。2014年には「永六輔、高田文夫。幻の師弟・初のふたり会」を開催している。

最終的に芸人にならなかった理由として、「売れてなくても芸が下手でも、年功序列で『○○兄さん』とヨイショしなければならないことが苦痛に感じるから」としている。しかし、落語立川流に入門し、後に立川藤志楼として芸人になれた。

余芸の範囲ではあるが、東京ボーイズに加わって舞台に立つこともある(その場合、「ニュー東京ボーイズ」となる)。

『たけし・逸見の平成教育委員会』第1期「生徒」として、セミレギュラー出席。博識を披露する一方で、特に国語を得手とした逸見政孝から「要するに、接頭語の意味が解ってらっしゃらないんですね」との指摘に対して、渡嘉敷勝男らと一緒に「偉そうに。あんたに言われたかないよ」「こういう時に限って…」「揉めろ揉めろ、この時間は」等とツッコミをし、先生役の北野武から「そこね、立ち上がって学級委員長にああだこうだというんじゃあない」「手を指すのは止めなさい」と咎められるお約束で、番組を盛り上げていた。また、北野から楽屋落ちを披露される事も多く「〜って、楽屋で高田さんが悪口言ってましたよ」「文筆家で景山民夫が大っ嫌い」などと言われ、苦笑させられる場面も多かった。

テレビ番組の構成作家をしていた1975年ごろ、ポール牧、青空球児・好児らの薦めによりビートたけしと対面、意気投合し親密になった。たけしを後押しして、番組に起用するようになる。その結果として、それまでたけしのブレインだった高信太郎の座を奪った。

また、ニッポン放送では『ビートたけしのオールナイトニッポン』の構成作家として参加するが、たけしの喋りに声を出して反応し、たけしが番組を休んだ時には代打パーソナリティーとして番組を担当したこともあった。ゲスト出演した松任谷由実に「高田さん、ウケ役なんだ(ね)」と言われ、たけしの気持ちを見透かした角川春樹には「うるさい」というようなことを言われる。1983年には、景山民夫と『文夫くんと民夫くん』に出演。さらに、1987年10月には、夕方のワイド番組『巨匠・高田文夫のラジオでいこう!』を担当する。

『高田文夫のラジオビバリー昼ズ』は1989年にスタートし、現在も続く長寿番組。この番組で春風亭昇太、松村邦洋らがブレイクした。また、ビートたけしと担当したフジテレビの深夜番組『北野ファンクラブ』でも司会を務めた。その後1996年4月〜1997年9月まで放送された北野富士、1997年10月〜2002年9月まで放送された足立区のたけし、世界の北野にも出演。北野富士ではたけしと共に司会、足立区のたけし、世界の北野では、ガダルカナル・タカ、グレート義太夫らたけし軍団とレギュラー出演した。

1992年、高田が気に入った東京の若手お笑い芸人を集めて「関東高田組」を旗揚げ。高田が司会を務めるテレビ番組『たまにはキンゴロー』にメンバーが出演。また、各地でライブも実施して人気を博し、ビデオも発売された。 メンバーは、春風亭昇太、春風亭勢朝、桂竹丸、「立川ボーイズ」(立川志らく+立川談春)、浅草キッド、松村邦洋、相馬ひろみ(現:ベン村さ来夫人)、大川興業、松本明子、早坂好恵であった。

近年は、ライブ『我らの高田“笑”学校』をプロデュースしている。

松村邦洋のギャグ「バウバウ」は、もともと高田のものまねである。

「バウバウ」の初登場は、『第8回 ビートたけしのお笑いウルトラクイズ』での「冷凍室ダジャレ→ものまね合戦」。松村が『北野ファンクラブ』のものまねをした際、十八番のたけしのものまねに続けて、間髪入れずに「バッバッ!(うまいうまい!) 高田文夫です! バッバッ! バアッバッバッ!」と演じた(高田が手を叩いて喜ぶ様子を誇張したもの)。高田文夫の笑い声は拍手を伴った派手なもので「ブワッハッハ!」(たけしを指差しながら「バカなこといって」というときもある)という笑い声が「バァーバッバ」と聴こえる。さらに言葉を発しながら笑うためそれが「バッバッバ」と聞こえ、それにネタっぽい色を加えて「バウバウ」になった。続けて「片岡鶴太郎の」「ジミー大西の」「中松義郎の」と披露していずれも高田で締めくくり、とうとうゲームはそのまま終了してしまった。シンプルな割に強烈なインパクトが根付き会場は大ウケ。以来、松村の持ちネタとなった(総集編で「番組(お笑いウルトラクイズ)から生まれたギャグ」と明言している)。

上記の通り、2006年4月に新宿末廣亭中席興行(担当:落語芸術協会)で10日間高座に上がったが、過労と風邪による体調不良のため、興行後の同年4月24日から『ラジオビバリー昼ズ』への出演を休止。7月3日から2か月ぶりに復帰した。

2012年4月11日の夕方にも、体調不良を訴えて緊急入院した。精密検査の結果、心肺機能に疾患があることが判明。すべての活動を休止して治療に専念することを発表した。

7月10日に病院を退院したことが、翌7月11日放送の『ラジオビバリー昼ズ』で春風亭昇太から発表される。また、7月13日放送の『大沢悠里のゆうゆうワイド 「毒蝮三太夫のミュージックプレゼント」』で高田の退院が話に上がった(毒蝮三太夫は大学の先輩、同日のゲストの春風亭一之輔は後輩にあたる)。その後、高田から毒蝮や大沢に対して自らの退院について報告するファックスがあり、翌週7月16日の放送分で伝えられた。

10月19日の『ラジオビバリー昼ズ』では、電話出演にて11月の復帰を宣言。11月5日の同番組で7か月ぶりにスタジオ復帰を果たし、不整脈から心肺停止に至ったこと、心臓が4回止まったこと、8箇所にメスを入れ手術をしたこと(その際に心臓ペースメーカーも植え込まれた)、2週間意識がなかったこと、70日間集中治療室にいたことなどを明かす。また入院前はチェーンスモーカーだったが、この病気を機に禁煙をした。当面は体調を考慮し、同番組の月曜日と金曜日の放送に出演。リハビリも兼ねることから「『ラジオリハビリー昼ズ』としてやっていく」と冗談を飛ばした。

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