高市俊の出身高校

高市俊 プロ野球選手

高市俊卒業高校
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性別
男性
生年月日
1984年7月9日生まれ

高市 俊(たかいち しゅん、1984年7月9日 - )は、元プロ野球選手(投手)。

帝京高校時代は松本高明、吉田圭らがチームメイト。自身はエースを務めたほか、高校通算12本塁打を記録するなど打撃も良く、登板しない際には三塁手としても出場していた。3年生時(2002年)には夏の甲子園に出場し、最終的に準決勝まで勝ち進んだが、2回戦の光泉高校(滋賀県代表)戦以外はピリッとせず、伝令役の選手に「エースならしっかりしろ!」と一喝される一幕もあった。

青山学院大学では国際政治経済学部に在籍。山岸穣の卒業後にエースとなる。3年春から4年春にかけて同大学のリーグ3連覇に貢献し、東都大学リーグ史上初となる3季連続でのMVP、最優秀投手、ベストナインの三冠に輝いた。同期に円谷英俊、大崎雄太朗、横川史学らがいる。

2005年の全日本大学野球選手権大会では優勝(翌年も準優勝)。秋にはリーグ新記録の11連勝を達成した。3年時までは僅か1敗しかしていない。2006年は相手チームの研究が進み、夏場に足を怪我した影響もあって、1年間で9勝8敗と調子を落とした。東都リーグ通算45試合登板25勝9敗、防御率1.82、275奪三振。同年11月21日のプロ野球ドラフト会議(大学生・社会人選択会議)で、東京ヤクルトスワローズに希望入団枠制度による入団が決定。監督の古田敦也から、会議当日に挨拶を受けている。同月24日に推定契約金1億円、出来高5000万円、推定年俸1500万円という最高の待遇で仮契約を結び、背番号は14を与えられた。

ヤクルトでは即戦力と期待され、2007年の春季キャンプは一軍帯同が決定していたが、捻挫によって調整が遅れ、二軍に合流することになった。練習試合やオープン戦で数試合に登板するも結果を残せず、シーズン開幕を一軍で迎えられなかった。6月23日の千葉ロッテマリーンズ戦でプロ初登板。ヤクルトが14点という大量リードを得ている状況で9回表から登板し、1回を無失点には抑えたが安打を2本打たれ、その後登板の機会のないまま二軍に降格させられた。石井一久の故障など、先発投手事情の苦しさから再昇格すると、8月22日の阪神タイガース戦でプロ初先発。阪神の先発は同じく新人の上園啓史だった。桜井広大の2打席連続を含む被本塁打4を許し、3回8失点に終わった。二軍では6勝(4敗)を挙げ防御率2.95であり、チーム最多の66奪三振を記録するが、被本塁打11、与四死球36もまたチーム最多だった。

2008年の春季キャンプは一軍スタートだったが、紅白戦や練習試合から被本塁打が多く、2月末に二軍に合流している。筋力トレーニングの増加や投球時の意識改革に取り組み、球速は142km/hまで向上した。10月12日、公式戦最終戦の横浜ベイスターズ戦に先発し5回を被安打1、無失点に抑えるが後続の押本健彦の失点によってプロ初勝利は逃した。(なお、押元は高市と同様流山市出身である。)2009年は、一軍の先発投手不足から3度先発機会を与えられるもいずれも結果を残せなかった。二軍でも前年より成績を落としてしまった。特に、以前からの課題である球威不足は改善されず、被本塁打は15を数えた。

2010年は一軍で中継ぎとして8試合に登板するが、防御率4.63と結果を残せなかった。二軍では18試合に登板し防御率3.67であった。投球回は前年の99.2回から88.1回に減少したが、被本塁打は3本と改善された。2011年は4月23日の広島東洋カープ戦で2年ぶりに先発投手を務めるが2.1回を投げて6失点を喫した。以後は一軍での登板は無く、二軍では26試合に登板し防御率2.79を記録するがプロ入り以来初めて規定投球回に到達できなかった。10月9日に戦力外通告を受け、12月2日に自由契約選手として公示された。

12月9日、北海道日本ハムファイターズの打撃投手として契約したことが発表された。

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