高山忠雄の出身高校

高山忠雄 プロサッカー選手

高山忠雄卒業高校
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性別
男性
生年月日
1904年6月24日生まれ

高山 忠雄(たかやま ただお、1904年6月24日 - 1980年7月1日)は、東京都出身のサッカー選手、教育者。

東京都生まれ。御影師範附属小時代にサッカーを覚え、神戸一中時代には第1回日本フートボール優勝大会(1918年)に出場した。

第八高等学校、東京帝国大学を通じて、快足のフォワードとして活躍。1930年の極東選手権競技大会では、中学および大学の後輩にあたる若林竹雄らと共に日本代表の国際大会初優勝に貢献した。 1931年に大学を卒業した後は外務省、文部省、浜松工業専門学校(現・静岡大学)教授などを経て、1948年から1965年までの18年間、母校である兵庫県立神戸高等学校の校長を務める。戦後復興期の新制高校としての土台作りに尽力する一方でサッカー部の指導にも情熱を注ぎ、自らプレーの模範を示して全国選手権やインターハイに何度もチームを導き、大仁邦彌、細谷一郎などの日本代表選手を育てた。

1965年4月より武庫川女子大学の教授、1972年より宝塚市の教育長を歴任した。1980年7月、東京都で死去した。

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