鈴木克昌の出身高校

鈴木克昌 議員

鈴木克昌卒業高校
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性別
男性
生年月日
1943年11月14日生まれ

鈴木 克昌(すずき かつまさ、1943年11月14日 - )は、日本の政治家。民主党所属の衆議院議員(5期)。

社団法人蒲郡青年会議所理事長、愛知県議会議員(4期)、蒲郡市長(第11・12代)、総務副大臣、民主党幹事長代理、国民の生活が第一国会対策委員長、生活の党代表代行・幹事長などを歴任した。

愛知県蒲郡市生まれ。愛知県立蒲郡高等学校、日本大学経済学部卒業。蒲郡青年会議所理事長等を歴任した。

1982年に愛知県議会議員に初当選し、県議を4期務めた。県議時代は自由民主党に所属。県議を退いた後、蒲郡市長を2期務める(1994年2月22日から1999年10月14日まで)。2000年6月、第42回衆議院議員総選挙に愛知14区から無所属で出馬したが、自民党の浅野勝人に敗れ落選。

2003年11月、第43回衆議院議員総選挙に愛知14区から民主党公認で出馬。前回敗れた浅野を下して初当選した。2005年9月、第44回衆議院議員総選挙に愛知14区から民主党公認で出馬。自民党の杉田元司の猛追を受けるが、再選(杉田も比例復活)。2009年8月、第45回衆議院議員総選挙に愛知14区から民主党公認で出馬。杉田に比例復活すら許さず3選。

2010年9月、菅第1次改造内閣で総務副大臣に任命され、2011年1月発足の菅第2次改造内閣でも再任された。同年6月1日、衆議院に提出された内閣不信任決議案への対応をめぐり、辞表を提出して賛成票を投じる意向を表明した(内閣府副大臣の東祥三・国土交通副大臣の三井辨雄・環境大臣政務官の樋高剛・総務大臣政務官の内山晃も同調)。この事態を受け、菅は東日本大震災への対応に目処がついた時点で退陣する考えを表明した。菅の退陣表明を受け、鈴木らは翌2日の内閣不信任決議案には反対票を投じ、一旦提出した辞表を撤回した。ただし、採決に先立って行われた菅と鳩山由紀夫による菅が前提付きの退陣を表明した会談の内容に疑問を持った小沢一郎の意を受けて、退陣期日と小沢の処遇を文書で回答するよう要求する質問状を菅に手渡した。

2011年9月、野田内閣の発足に伴い総務副大臣を退任し、民主党筆頭副幹事長に転じる。同年12月、小沢が会長を務める新しい政策研究会の事務局長に就任。2012年1月、民主党幹事長代理に昇格した。同年4月2日、首相の野田佳彦が推進する消費税増税法案の閣議決定に反対し、党幹事長代理を辞任する意向を表明。幹事長の輿石東に辞表を提出したが慰留され、23日に受理されるまで幹事長代理の職に留まった。同年7月の消費税増税法案を含む社会保障・税一体改革関連法案の採決では反対票を投じ、7月2日に民主党に離党届を提出したが、離党届は受理されず、除籍処分が決定した。

2012年7月11日、国民の生活が第一の結党に参加し、党国会対策委員長に就任した。同年12月16日の第46回衆議院議員総選挙では国民の生活が第一から衣替えした日本未来の党から出馬。愛知14区では自民党の今枝宗一郎に敗れるも、比例東海ブロックで復活し4選。選挙後に未来の党が分裂し生活の党が結成されると、党幹事長に就任した。2013年7月の第23回参議院議員通常選挙後の党役員人事では、党代表代行と幹事長を兼ねることになった。

2014年11月、小宮山泰子と共に生活の党を離党し、民主党に復党した上で同年12月の第47回衆議院議員総選挙では民主党公認で出馬することを表明した。選挙結果は、小選挙区では敗れたが比例で当選し、5期目を果たした。生活の党を離党した後も小沢との関係は続き、2015年1月1日に小沢の私邸で開催された新年会にも出席している。

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