近田怜王の出身高校

近田怜王 プロ野球選手

近田怜王卒業高校
報徳学園高校 偏差値 兵庫県高校偏差値ランキング
プロ野球選手ランキング
998位 / 4783人中 プロ野球選手別偏差値ランキング
性別
男性
生年月日
1990年4月30日生まれ

近田 怜王(ちかだ れお、1990年4月30日 - )は、兵庫県三田市出身の元プロ野球選手(投手、外野手)。

三田市立つつじが丘小学校卒業後は報徳学園中学に進学した。中学時代は三田シニアに所属し、最速138キロを記録する。日本代表に選ばれたリトルシニア世界大会では24回で47奪三振を記録し、和歌山シニアの宮本武文と共に関西No.1サウスポーと呼ばれた。高校は40校以上の高校から勧誘を受けるが報徳学園高校に進学する。

高校時代は1年秋からエースとなる。近畿大会では中田翔から三振を奪うなど注目された。2年時は常に注目されて春夏甲子園に出場するも共にまさかの1回戦敗退。その後は2年夏の青森山田戦での熱中症の後遺症や足の故障、さらにイップスで一時ボールを握れなくなるほどの不調に陥るも、3年夏にはノーシードから甲子園に出場を果たした。甲子園では、1・2・3回戦と全て完投でチームを勝利に導くが、準々決勝で最終的に全国制覇した大阪桐蔭高に連投の疲れからか打ち込まれ、8回途中7失点というピッチングで敗退した。

2008年10月30日、プロ野球ドラフト会議において、福岡ソフトバンクホークスから3位で指名された。入団会見にて、登録名を「怜王」(背ネームはLEO)とすることに決めた。

2011年12月6日、2012年シーズンから背番号を49に変更する旨が球団広報より発表される。

2012年1月24日、登録名を「近田 怜王」に変更することを本人のツイッターにて発表。同年8月9日、球団から外野手に転向することが発表された。それでも結果を残すことができず、同年10月7日付で戦力外通告を受けた。同年11月9日に行なわれた12球団合同トライアウトでは投手として参加したものの、オファーは無かった。

現役引退を決意し、通信制大学で教員免許を取得し高校野球の指導者を目指すつもりでいたが、12月11日に翌2013年4月から活動再開予定のJR西日本監督に就任する今田亨から誘われ、同社野球部に入部することが決まった。

チャンスをくれたチームに応えたいとの思いから選手会長を引き受け、チームが浮き足立っている際にも冷静にアドバイスを送るなどチームを牽引した。

2014年、チーム創部80年目にして第85回都市対抗野球大会に初出場を果たし、自身も救援で登板した。

2015年限りで現役を引退し、今後は同社で社業に就くことを本人がtwitterで発表した。

最速147km/hのストレートが武器。また試合を組み立てる能力も高く、プロ入り前には好きな選手として工藤公康を挙げていた。

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