谷津嘉章の出身高校

谷津嘉章 スポーツ選手

谷津嘉章卒業高校
足利工業大学附属高校 偏差値 栃木県高校偏差値ランキング
スポーツ選手ランキング
1559位 / 2530人中 スポーツ選手別偏差値ランキング
生年月日
1956年7月19日生まれ
血液型
A型

谷津 嘉章(やつ よしあき、1956年7月19日 - )は、日本の元プロレスラー。群馬県邑楽郡明和町出身。血液型B型。長髪に無精ひげを生やし、サイドにJAPANと描かれた(但しそのいでたちは海外遠征中で、日本では殆どJAPANの文字は無しのタイツ。逆にマサ斉藤は日本でもその文字はあった)ひざ部分までのロングタイツ(俗に「田吾作スタイル」と呼ばれる)がトレードマーク。

足利工大附属高校でレスリングを始め、日本大学レスリング部時代に全日本学生選手権フリースタイル100kg級4連覇、全日本選手権優勝。日本代表として1976年モントリオールオリンピック出場(8位)。1980年モスクワオリンピックでも日本代表に選ばれたが、日本が不参加だったため2大会連続出場はならなかった。世間では幻の金メダリストと言われた。その後、輝かしいレスリングの実績を評価され、1980年に新日本プロレスに入団。

レスリングエリートとしてプロレス入りした谷津はエース候補生として扱われ、いきなり渡米し、プロデビュー戦をニューヨークのMSGで行う(1980年12月29日、カルロス・ホセ・エストラーダ戦)という破格の待遇を受けた。以降もザ・グレート・ヤツをリングネームに、ベビーフェイスのポジションでWWFを半年間サーキットし、ジョニー・ロッズ、バロン・マイケル・シクルナ、ブルドッグ・ブラワー、ザ・ハングマン、ラリー・シャープ、サージェント・スローター、キラー・カーンらと対戦した。1981年6月8日のMSG定期戦では、日本から遠征してきた藤波辰巳と組み、ザ・ムーンドッグス(レックス&スポット)のWWFタッグ王座に挑戦している。

1981年6月に帰国しアントニオ猪木とタッグチームを組み、蔵前国技館にて、アブドーラ・ザ・ブッチャー&スタン・ハンセン組と日本デビュー戦を戦うこととなり、いきなりメインイベントを務める華々しいデビュー戦に注目が集まった。ハンセンをスープレックスで投げるなど大器の片鱗を見せたが、ラフファイトに気後れする心の弱さを露呈し、場外で額を割られるなどブッチャー、ハンセンの容赦ない攻撃に良いところなく敗北。再び渡米し、トラ・ヤツのリングネームでヒールとしてダラスのWCCWやフロリダのCWFなど、NWAの南部テリトリーで活動。WCCWではジャイアント・キマラ(初代)やザ・グレート・カブキと抗争し、1983年2月7日にはカブキからTV王座を奪取、3月28日にアイスマン・キング・パーソンズに敗れるまで保持した。トラ・ヤツは、最初は作り笑顔でお辞儀をし愛想良く振舞うが、試合終盤では持参した竹刀を振り回すというギミックで活躍した。

余分な肉をそぎ落として体を絞り、逞しくなって帰国すると、1983年に長州力率いる「維新軍」に入り、維新軍の若侍として注目された。当初は同じ維新軍団のアニマル浜口とのタッグの際は浜口の指示の下、手足となって動くという若さが目立つものの、後に長州に次ぐ軍団の副将格に成長した。(ユニバーサルプロレス(UWFの前身)に移籍前の前田日明とはライバルと目され、ワールドプロレスリングの解説者である桜井康雄は「正規軍と維新軍のドラフト1位同士の対決」という表現をした)「荒武者」とニックネームを付けられるなど荒々しいファイトも見せるようになったが、1983年11月3日の正規軍対維新軍4対4綱引きマッチ(両軍団が別れ、試合当日にロープを用い対戦相手を決定する試合形式)では、対戦相手の猪木と積極的に絡もうとせず、リング下に逃げる作戦を見せている。

また、その後の正規軍対維新軍の全面抗争第2ラウンドである5対5の柔道方式勝ち抜き戦(1984年4月19日)において谷津は維新軍の中堅として登場し、正規軍の先鋒で2人に勝ち抜いている藤波辰巳(現・辰爾)、次鋒の高田伸彦(現・延彦)の2人から勝利する。

その後、長州の「ジャパンプロレス」結成に参加。ジャパンプロレス軍団は全日本プロレスのリングへ参戦し、長州とのタッグでジャンボ鶴田&天龍源一郎組を破りインタータッグ王座を獲得するなど活躍した。(自らが天龍をジャーマン・スープレックスでフォールを奪うが、谷津のジャーマンはレスリングの下地があるにもかかわらずめったにお目見えすることは無く、大一番だけ見せるレアな技という見方をされた)

1986年6月には再びレスリング全日本選手権に挑戦し、フリースタイル130kg級で優勝し話題になった。(NHKのニュースでも取り上げられた話題であった)その後ジャパンプロレス軍団は分裂し、谷津は全日本プロレスに残留し鶴田と「五輪コンビ」を結成した。(ずっとバミューダタイプのトランクスだったのを新日デビュー戦以来の黒のショートタイツに変更した)「五輪コンビ」は初代世界タッグ王座を獲得し、1987年に世界最強タッグ決定リーグ戦で優勝するなど大活躍した(レスリング用のヘッドギアを付けて戦ったこともあった)。

1990年に新団体SWSが旗揚げされると、全日本プロレスを離脱しこれに参加した。同団体の道場制度の戦いの中で谷津は「道場・檄」に所属。道場主は若松市政であったが事実上のエースは谷津であり、1991年には若松に代わって道場主に就任する一方、SWSの選手会長の要職に就いた。特にキング・ハク(元プリンス・トンガ)とのタッグ(『ナチュラル・パワーズ』)はSWSのタッグ戦線で無類の強さを誇り、SWS認定タッグ選手権を獲得するなど秀逸であった。

しかし団体内部では、マッチメイクなどを巡って天龍派(『レボリューション』)と反天龍派(『道場・檄』『パライストラ』)との対立が燻っていた。その様な中、1992年5月14日谷津は「選手会長辞任とSWSからの退団」を突如表明した。この発言は天龍派と反天龍派団体内部の対立が一気に表面化する形となった。谷津と谷津を支持した仲野信市は内部混乱の責を取らされる形で同月22日の後楽園ホール大会で「引退」を表明。「SWS引退試合」に臨んだが、マスコミなどは天龍派擁護の声が強く、観客から罵声や物を飛ばされながらの引退試合となった。その後、一時プロレスを離れ、輸入自動車販売店を経営するかたわら、ジョージ高野・高野俊二兄弟が設立したPWCの発起人に名を連ねた後、

1993年にSPWF(Social Professional Wrestling Federation、社会人プロレスリング連盟。後にスーパープロレスリング連盟に改称)を新たに設立した(早稲田道場を経て千葉県長生郡一宮町に構えた)。大型外国人レスラーを招聘し全国を巡業で回る。この頃、神格闘十字軍教祖である矢口壹琅と抗争をし、電流爆破も闘った。

1994年に、長州政権下にあった新日へ参戦。当初は後藤達俊、スーパー・ストロング・マシンが抜けてヒロ斎藤と保永昇男だけとなったレイジング・スタッフとの共闘という形式で、この年のG1クライマックスにも出場。長州と9年ぶりにシングル戦を行ったのを機に長州とのタッグを復活。後にマサ斎藤、アニマル浜口、寺西勇らと維新軍を復活させ平成維震軍との抗争が始まる。しかし、平成維震軍自主興行の中断や、懐かしの外国人レスラーを一堂に会する興行を発表したのに実現化出来ず、抑えた会場を新日に肩代わりしてもらったことが影響し、新日マットよりフェードアウトする。

2000年10月31日にはPRIDE.11に出場しゲーリー・グッドリッジと対戦、アキレス腱固めでギブアップ寸前まで追い込んだものの、1ラウンドTKO負け。翌2001年9月24日のPRIDE.16でグッドリッジと再戦したが、返り討ちにあい、再び1ラウンドTKO負け。

また、これと前後して2001年4月にはアブダビコンバット99kg以上級に参戦。1回戦でリコ・ロドリゲスと対戦し、7分32秒飛び付き腕ひしぎ十字固めで一本負け。

2001年3月に旗揚げしたZERO-ONE旗揚げ戦(両国国技館)にも参戦し、2000年にNWA世界ヘビー級選手権で当時選手権者であった小川直也に勝利したゲリー・スティールと対戦し、監獄固めで勝利し、FIGHTING TV サムライ中継でゲスト解説した武藤敬司も「谷津さんは余裕の勝利だな」と絶賛していた。

2002年、長州率いる新団体「WJプロレス」に参加。2003年に旗揚げ戦を行い安生洋二と対戦し勝利したがWJプロレスは興行が低迷し、「長州をはじめとするWJフロント陣はインディー団体を分かってない!」と痛烈に批判して2003年9月に退団した。以後はSPWF復帰を表明したが、同団体は活動を停止した。

後年のリングインのテーマ曲はバック・トゥ・ザ・フューチャー。

WJプロレス退団の際に東京スポーツの取材に応じ、前述の批判と合わせ、「プロレスからは足を洗う」「雑誌編集にツテがあるのでそちらに行く」などと身の処し方について発言していた。時折、回顧の取材を受けることがあり、猪木や長州を批判することも多い。

2009年7月4日、足利工大附属高校の後輩であり、全日本時代の同僚でもあった三沢光晴のお別れ会に出席。久々に公の場に姿を現した。

2010年9月 デビュー30周年の自主興行ツアーを最後に現役引退すると発表。11月30日のSPWF~東京・新宿FACE大会で引退。30年に及ぶプロレスラー生活に別れを告げた。

引退後は運送会社の経営を経て、2012年12月から高田馬場でホルモン焼き店を開業したが、2014年2月7日、2月23日で閉店することが本人のtwitterにて発表された。

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