諏訪魔の出身高校

諏訪魔 スポーツ選手

諏訪魔卒業高校
藤嶺学園藤沢高校 偏差値 神奈川県高校偏差値ランキング
スポーツ選手ランキング
1050位 / 2530人中 スポーツ選手別偏差値ランキング
生年月日
1976年11月23日生まれ

諏訪魔(すわま、1976年11月23日 - )は、日本の男性プロレスラー。本名・旧リングネーム:諏訪間 幸平(すわま こうへい)。神奈川県藤沢市出身。全日本プロレス所属。既婚者である。

1976年11月23日、神奈川県藤沢市生まれ。亀井野小学校、湘南台中学校、藤嶺藤沢高校卒業。中央大学卒業後、社会人経験を経て、プロレスラーとなる。

藤嶺学園藤沢高等学校時代は柔道部で活躍(入学当初は柔道部でいじめに遭い、登校拒否寸前であったと自ら告白している)し、中央大学進学後にレスリングを始めて主将となる。大学を卒業してからはクリナップに就職しレスリングを続けた。

2001年12月、天皇杯全日本レスリング選手権大会・フリースタイル130kg級(最重量級)に出場。準決勝で田中章仁、3位決定戦で沢田直樹に敗れ4位となった。

2002年の全日本レスリング選抜選手権、国体で優勝し、世界選手権代表にも選ばれる。12月の天皇杯全日本レスリング選手権大会・フリースタイル120kg級では決勝で田中章仁に敗れ準優勝となった。

2003年9月にフリースタイル120kg級で世界選手権に出場するも予選で敗退。12月の天皇杯全日本レスリング選手権大会・フリースタイル120kg級では決勝で前年と同じ顔合わせとなった田中章仁に敗れ2年連続の準優勝となった。

2004年のアテネオリンピックを目指すも、自分の階級の出場枠がなくなったこともあり、馳浩のスカウトで27歳でプロレスに転向。

2004年4月に全日本プロレスに入門し、同年10月11日後楽園ホール大会にて馳浩戦でデビュー。

試練の7番勝負初戦ではベイダーと戦い、ベイダーのその巨体を見事に投げ切った。この途中でヒールターンしたため試練の7番勝負は5戦しか行っていない。

2005年1月4日にはヘビー級バトルロイヤルで優勝し、賞金100万円を獲得。後に武藤敬司と組んで世界タッグ王座に挑戦した。

2006年1月8日の大阪大会で、VOODOO-MURDERSへ加入し、同年2月にリングネームを諏訪魔に改名した。同年のチャンピオン・カーニバルでは、当時三冠ヘビー級王者の小島聡を破り準優勝。6月10日の熊本三井グリーンランド大会「武藤祭」にて、三冠王座に挑戦したが敗れた。

2007年のチャンピオン・カーニバルでは予選敗退を喫した。同年、12月に行われた世界最強タッグ決定リーグ戦には、小島とのタッグで出場し準優勝。

2008年1月3日の後楽園大会にてVMを離脱した。同年4月、決勝戦で棚橋弘至を下し、デビューから最短でチャンピオン・カーニバル優勝を果たした。同月にはデビューから最短で三冠ヘビー級王座初栄冠も果たした。

9月28日、グレート・ムタに敗れ三冠王座から陥落した。同年の世界最強タッグリーグ戦には、近藤修司とのタッグで出場し準優勝を果たした。

2010年8月29日、鈴木みのるを破り2度目の三冠ヘビー級王座を奪取。翌日には全日本プロレス選手会長に就任した。

同年9月10日、後楽園大会にて観客の野次に激怒し観客席にマイクを投げ、全日本プロレス側から厳重注意と3か月間30%の減給処分を下された。

同年12月、浜亮太をパートナーに迎え世界最強タッグリーグ戦に出場し5年連続の準優勝を果たした。同月、第37回プロレス大賞で殊勲賞を獲得。「今年一年いろいろ先頭に立って全日本プロレスを引っ張っていこうという行動がこうやって“殊勲賞”という形で評価されたのは嬉しい。」とのコメントを寄せた。

2011年、4月チャンピオンカーニバルにて永田裕志と対戦するも敗れた。結局優勝決定戦には進めず永田のチャンピオンカーニバル制覇を許してしまう要因を作ってしまう(なお、永田の決勝の相手は真田聖也)。

同年6月、両国大会の三冠戦にて永田に勝利。リベンジを果たすと共に4度目の防衛に成功する。

同年7月、チャンピオンカーニバル準優勝の真田と三冠戦を行いこれに勝利して5度目の防衛に成功。ちなみにこの三冠戦は武藤全日本体制になってからの入門生同士の初の三冠戦となった。

同年10月、チャンピオンカーニバルで対戦する機会のなかった秋山準との対戦を熱望し両国での三冠戦で激突するも30分を超える激闘の末にスターネスダストαで敗れ三冠王座陥落。この試合は2011年プロレス大賞ベストバウトの選考にノミネートされた。

2012年には出身地である藤沢市で、5月12日に地元凱旋興行と銘打って全日本プロレスがチャリティープロレス大会を秩父宮記念体育館(藤沢市鵠沼東)で開催を企画し、当日は秩父宮記念体育館に1,850名の観衆を集めてメインエベントに出場、勝利を飾っている。

2013年3月17日の両国大会で、王者であった船木誠勝を下し、第46代三冠ヘビー級王座に返り咲いた。

6月、白石体制発足となる全日本プロレス所属選手において、多数選手スタッフの離脱が示唆される中いの一番に残留を表明。新生全日本プロレスの名実ともにエースとなった。

10月22日、新潟県の三条大会で、5度目の正直で世界タッグ王座を戴冠。パートナーはジョー・ドーリングであり、留学生の時代から長年苦楽を共にした仲の選手と栄光を掴んだ。これにより、武藤敬司以来の三冠ヘビー級王座、世界タッグ王座を同時に所持する五冠王となった。

2014年1月には、「チャリティー大和大会~すわまちおこし Vol.3~」のプロモーションとして、コンビニエンスストアローソンの一日店長体験イベントを行うなど、リング外でも精力的に活動している。

2014年6月29日、大森隆男を破り第49代三冠ヘビー級王座を獲得した。7月からは全日本プロレスの運営が秋山準社長の新法人「オールジャパン・プロレスリング株式会社」に引き継がれるのに伴い、新法人の取締役に就任する。

2015年5月5日、IGF大阪大会に来場し、藤田和之と睨み合い、対戦をアピールした。

11月1日の弘前大会にて、佐藤光留とのタッグで船木誠勝&ケンドー・カシンと対戦。試合後、カシンのセコンドとして来場予定だった藤田和之が登場。エプロンサイドで煽り合いを展開し、乱闘寸前まで至った。

そして11月15日、天龍源一郎の引退興行にて、藤田とのタッグマッチが実現(パートナーはお互いに岡林裕二、関本大介)。試合開始直後、3分にも及ぶにらみ合いをし、壮絶な打撃戦・場外乱闘も展開したが、終始藤田とは噛み合わず、消化不良のまま試合は岡林が関本をゴーレムスプラッシュで仕留めた。試合後、藤田が空気を読まずマイクパフォーマンスをしたところに、「俺は天龍さんみたいな熱い試合がしたいんだよ!」と絶叫し、観客の後押しをかろうじて得た。

レスリング仕込みの柔軟なスープレックス系の投げ技と自慢の怪力を活かしたパワフルな技が多い。しかし、試合中に観客に対して物を投げるなどの粗暴な面の他に、雷陣(現SUSHI)に脳震盪を起こしてしまうなど、壊し屋としての一面を併せ持つ。

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