西野勇士の出身高校

西野勇士 プロ野球選手

西野勇士卒業高校
新湊高校 偏差値 富山県高校偏差値ランキング
プロ野球選手ランキング
2615位 / 4783人中 プロ野球選手別偏差値ランキング
性別
男性
生年月日
1991年3月6日生まれ

西野 勇士(にしの ゆうじ、1991年3月6日 - )は、千葉ロッテマリーンズに所属するプロ野球選手(投手)。富山県高岡市出身。

兄の影響で5歳から野球を始める。 中学時代までは外野手兼三塁手としてプレーした。高岡ボーイズでは、当時2年間コーチをしていた橋本清からも教えを受けていた。

中学時代は学業成績も良かったため、進学校である高岡高校への進学を勧められたが、野球強豪校の新湊高校に進学。自転車で1時間かけて通学した。1年時の夏に投手に転向する。エースとして挑んだ3年時の夏は富山県予選決勝でライバル・高岡商業高校に2-3で惜敗し準優勝に終わった。高校卒業後の進路に東洋大学への進学の話があり、当時の監督からも勧められたが、本人はプロを目指していたため進学などは一切考えておらず、プロ志望届を提出した。

2008年10月30日、プロ野球ドラフト会議で千葉ロッテマリーンズから育成選手ドラフト5巡目指名を受け、育成選手となる。

2012年11月10日には支配下選手登録された。背番号は67。

2013年、3月30日のオリックス戦でプロ初登板を果たす。4月7日には初先発するものの試合が降雨ノーゲームとなり、記録には残らなかった。翌4月8日の楽天戦にスライド登板したために、「プロ初先発」を2日連続で経験。7回無失点でプロ入り初勝利を挙げた。前半戦で8勝を挙げるが、8月には右肩痛を発症させるなど後半は1勝だけで、この年は9勝6敗に終わる。埼玉西武ライオンズとの2013年のパシフィック・リーグクライマックスシリーズファーストステージの第1戦(西武ドーム)で、4点リードで迎えた5回1死満塁の場面で2番手として登板し、1回2/3を無安打無失点に抑えて勝利投手となる。育成選手出身の選手がプレーオフ、CSで勝利投手となるのは史上初。オフには小野晋吾の引退により空き番号となっていた、村田兆治の背番号29になることが発表された。

2014年は、シーズン開幕直前に前年最多セーブに輝いた益田直也の負傷離脱により、開幕からクローザーを任された。好調だったため益田が復帰後も抑えのままでそのまま活躍し、リーグ3位の31セーブを記録した。

オフの10月9日に、日米野球2014の日本代表に選出された事が発表された。第3戦では9回に登板し、1イニングを無安打無失点の投球を見せ、則本昂大、西勇輝、牧田和久と共に日米野球史上初の継投ノーヒットノーランを達成。

2015年開幕前の2月16日に、「GLOBAL BASEBALL MATCH 2015 侍ジャパン 対 欧州代表」の日本代表に選出された事が発表された。

7月16日に、第1回WBSCプレミア12の日本代表第1次候補選手に選出された事が発表された。9月10日に、第1回WBSCプレミア12の日本代表候補選手に選出された事が発表された。

オーバースローから平均球速約139km/h、最速150km/hのストレートと、決め球のフォークが武器で、他にもスライダー、カーブを投げる。また、2011年にはイースタンリーグで与四球率1.10、2012年は与四球率1.97とコントロールの良さも持ち味である。高校時代の西野は最速143km/hの直球とスライダーで打者を打ち取るタイプの投手だった。

支配下選手一年目の2013年は浦和の球団寮からQVCマリンフィールドのある幕張まで電車通勤を行っていたが、シーズンオフの期間を使い埼玉県内の自動車教習所に通った。12月27日鴻巣市の埼玉県警運転免許センターで適性試験と学科試験に一発で合格したため普通自動車免許(AT車限定)を取得した。

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