蕭一傑の出身高校

蕭一傑 プロ野球選手

蕭一傑卒業高校
日南学園高校 偏差値 宮崎県高校偏差値ランキング
プロ野球選手ランキング
2497位 / 4783人中 プロ野球選手別偏差値ランキング
性別
男性

蕭 一傑(シャオ・イージェ、日本語音読み:しょう・いっけつ 1986年1月2日 - )は、義大ライノズに所属するプロ野球選手(投手)。右投げ右打ち。台湾の屏東県屏東市出身。

中華民国(台湾)国籍だが、プロ入り前に日本に5年以上在住していたためNPB時代は日本人選手と同じ扱いとなっていた。また、登録名は本人の希望もあり日本語読みにしていた。

屏東県屏東市出身。台湾大聯盟の高屏雷公などでコーチを務めた蕭良吉を伯父に持つなど、祖父から3代続く野球一家に育った。自らも小学3年時に野球を始めて捕手や内野手を務めた。当時は郭泰源に憧れ、西武ライオンズのファンだった。

日本の高校野球でのプレーを希望し、2002年に台湾から宮崎県の日南学園高等学校に留学して投手に転向。2年夏の第85回全国高等学校野球選手権大会、3年春の第76回選抜高等学校野球大会に出場したが、選抜では登板機会がなかった。留学前に台湾の高校(高苑工)に半年間在学していたため、規定により3年夏は公式戦への出場資格がなかった。

近畿学生野球連盟所属の奈良産業大学に進学後は1年先輩に桑原謙太朗がいたこともあり主にリリーフで起用され、4年時からは主に先発投手として登板した。2008年の春季リーグではMVPとベストナインを受賞。大学通算16勝1敗、防御率0.63。第57回全日本大学野球選手権大会では1回戦で延長13回を投げて完封勝利を挙げ、翌日の2回戦では延長11回サヨナラ負けを喫したが、自身は2日で331球を投げ特別賞を受賞した。

2008年のドラフト会議で松本啓二朗、藤原紘通らの交渉権を逃した阪神から1位指名を受け、日本プロ野球のドラフトで指名された初の台湾出身投手となった。ドラフト前は西武か横浜ベイスターズへの入団を希望していたが、12月8日に契約金9,000万円、出来高4,000万円、年俸1,300万円(金額は推定)で阪神と仮契約。背番号は19に決定した。

2009 ワールド・ベースボール・クラシックの野球台湾代表候補にも選出されたが、野球オーストラリア代表との練習試合で打球を体に受け、代表入りを辞退した。

2009年は後半戦に一軍へ昇格したが、投球練習でコーチ陣から評価を得られず登板はなかった。二軍ではフレッシュオールスターゲームに出場し、同期入団の西村憲らと共に優秀選手賞を受賞。また、ウエスタン・リーグでは7勝を挙げて最多勝利のタイトルを獲得した。

2010年は一軍の沖縄キャンプに帯同。二軍ではエースとして活躍し、9月7日に鶴直人と入れ替えでプロ入り初の一軍昇格を果たした。当初は9月11日のヤクルト戦で登板予定であったが、チーム事情により9月15日に出場選手登録抹消となり、一軍公式戦での登板はなかった。11月、広州アジア大会に台湾代表として出場し、銀メダルを獲得した。

2011年は充実した先発ローテーションに割り込めず二軍スタートとなったが、8月11日中日ドラゴンズ戦でプロ初登板・初先発を果たし、5回1失点の好投も味方打線が0点に抑えられたため敗戦投手となる。

2012年、一度も一軍登板がなく、10月2日、戦力外通告を受けた。11月27日、福岡ソフトバンクホークスが育成選手として獲得することを発表した。背番号は138。

2013年、10月26日に戦力外通告を受けた。10月31日、自由契約公示された。

11月28日、台湾・中華職業棒球大聯盟の 義大ライノズからドラフト3巡目で指名され、1月10日に入団会見を行った。背番号は41。

速球は最速148km/hを記録し、制球力もある。縦に大きく割れるカーブやスライダー、フォークボール、ツーシームなども投げる。

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